卒論の講評

浅野 琴美
浅野さんは、森田洋司(1991)の『「不登校」現象の社会学』の現代版として不登校行動について研究しました。中学生時の経験について回顧式で尋ねる調査票を作成し、他のゼミ生の助太刀も得つつ回答データを集めました。分析の結果、現代でも「登校回避感情をもつ出席生徒」が最も高い割合で存在しており、この傾向は森田(1991)の時代から一貫していることを明らかにしました。また、単に先行研究をなぞって登校を忌避させるようなマイナス要因を検討するだけでなく、登校を促進するようなプラス要因も分析し、オリジナリティを出すことができました。

林 来美
林さんは、性的志向が「アセクシュアル」である人々、つまり、他者に対して性的に惹かれない人々に焦点を合わせ、当事者が直面する様々な生きづらさについて研究しました。自らのもつネットワークをフル活用してインフォーマントとつながり、ごく短期間のうちに次々とインタビュー調査を敢行し、当事者の語りをもとにアセクシュアルの人々に特有の生きづらさを丹念に記しています。林さんが書いている通り「マイノリティの中のマイノリティ」であるアセクシュアルの人々に光を当て、アセクシュアルという存在やその生きづらさを可視化し、卒論として執筆・公開するという行為そのものが、まさに「批判的な探究」であり「批判的な実践」だったのだと評価できる力作です。

本田 渉
本田さんは、フィットネスジムでのトレーニーの振る舞いや相互作用について、3回生の頃から読んできたG・H・ミードの『精神・自我・社会』やW・F・ホワイトの『ストリート・コーナー・ソサイエティ』をたよりに、社会学的に分析しました。自身もトレーニーの一員としてジムに足繁く通いつめ参与観察を行ったほか、ジムに通うインフォーマントにインタビュー調査も行いました。観察した情報を分析用のデータとしてまとめあげるのに悪戦苦闘しましたが、ジム内でのトレーニーの振る舞いは、その人自身の筋肉量と密に関連しているという興味深い結果を明らかにしました。フィールドに浸って足で稼いだ卒論に仕上がったと思います。

野村 夕梨
野村さんは、若年層女性のもつ異性不安(異性との交流場面において不安を覚えること)は過去の父親との関係に影響されるという仮説を立て、計量分析によって検証しました。父-娘関係に注目したいということは早い段階から決まっていたものの、何を従属変数とするかを確定させるのに時間を要しハラハラしました。しかし、フタを開けてみれば、小学生時に父親が冷淡であったほど現在の異性不安が有意に高い一方で、優しい父親だったこと、過保護な父親だったこと、自由にさせる父親だったこととは有意な関連が確認されず、特に親和的で優しい父親だったことと異性不安の関連は極めて小さいという興味深い結果を見出すことができました。

松田 心
松田さんは、大学生の生活満足度を規定する要因に着目し、経済的余裕、アルバイト、学業の充実、家族・恋人・友人などの対人関係、サークルや選挙などの社会参加といった諸側面を網羅的かつ野心的に分析しました。分析の結果、現代の大学生にとっては、学業が充実していることよりも経済的にゆとりがあることのほうが生活の満足につながることを示唆する興味深い結果が明らかになりました。独立変数と従属変数の関係性をどのように仮説化するかを考えるのに苦労しましたが、いざ調査票が完成したら、同志社にいる学生にまさに「飛び込み営業」をかけて回答を依頼するなど、軽いフットワークでデータを集められました。

佐藤 弘基
佐藤さんは、営業職労働者に求められる感情労働とその問題点について研究しました。3回生の頃から感情労働に関するホックシールドの文献を緻密に読み込み、営業職に特有の感情労働の問題を独自に仮説化しました。コールセンターに勤めるテレフォンアポインターの感情労働に関するデータや、大手企業の営業職の働き方に関するデータを収集し、マニュアル通りの対応や業務の高速化が求められる圧力のなかで、感情管理の責任が労働者個人に負わされたり、結果が伴わない感情労働は無駄とされたり、企業と顧客との板挟みにより表出する感情と実際の感情に差異が生まれやすいことを手堅く明らかにしました。筆が早いようで、スピード感をもって執筆を進め、ゼミ生の中で最も早く原稿を完成させました。

曺 承鉉
曺さんは、フィルターバブルが生じるようなメディアに接触するほど、偏ったコンテンツを提供されるために人種、ジェンダーに関するステレオタイプが強化される一方、偏りの小さめなメディアに接触するほど、また顔を突き合わせての対人交流経験があるほど、ステレオタイプは抑制されるという仮説を立て、日韓の回答者から収集したデータを分析しました。限られた時間の中でも、ステレオタイプに関する独自の尺度を考案して調査に用いたり、元の仮説とは反対の結果が得られても独創的な考察を展開するなど本人なりの工夫が見られ、なんとか完成まで漕ぎつけました。