序論

目的

 人間には自分をどこかに所属させたい、自分の問題に何か明確な定義を与えたいという欲求が存在している。そのことからアダルトチルドレンという概念の中に自己を置くことにより肯定しようとしがちである。自己を「安全な場所」に置くことは必要である。しかしBlack(1982),Woititz(1983)により提示されたAC特徴は考え、表現が漠然としていてどんな人へも容易に適応してしまうことや、AC特徴など載せている一般書物には、根拠となる調査的な研究がなされていないにもかかわらず、それらによって過剰な情報が与えられることにより、多くの人達はACの特徴を自分も持っていると信じ込んでしまい、不正確にダメージを与えている。つまり、ACの特徴の不明確さがACを作り上げている。

 このような概念の曖昧さに今後の課題を見いだし、AC援助の現場からACの明確な概念を導き出していきたい。

AC概念の誕生と歴史

 アダルトチルドレンの概念は、カナダのCork(1969)の『忘れ去られた子ども』に始まった。しかし、このときはまだアダルトチルドレンという言葉は使われていなかった。そして、1974年に、アメリカで「アルコール依存症とアルコール乱用国立研究所」がアルコール依存症の家族の子供達の研究を開始し、1979年に、その研究所が主催した国内会議が開催されて、関心がさらに広まった。その後Black(1981)が『私は親のようにはならない』を出版し、ベストセラーを記録した。さらに同年、「全米アルコール依存症子ども協会」(NACOA)が設立された。ベストセラーを記録したWoititz(1983)の著書である『アダルトチルドレン・オブ・アルコホリックス』が出版されたことによって一躍注目を浴び、アダルトチルドレンという用語が定着していった。続いてKritsberg(1985)により『アダルトチルドレン・オブ・アルコホリックス・シンドローム』が刊行された。

 アダルトチルドレンは、70年代アメリカのアルコール依存症の治療の現場から生まれてきた言葉である。初期の頃は、アルコール依存症の親のもとで育ち、大人になった者のことをさしていた。1980年代に入ってアダルトチルドレンが一大ブームとなっていくが、80年代の後半になると、アルコール依存症の有無に関わらず、薬物・ギャンブルなどの依存症、過食、暴力、拒食、閉じこもりなどの嗜癖という視点が加わった。様々な問題を抱え、子どもが安心して生活できない緊張と不安をはらんだ家庭(機能不全家族・dysfunctional family)で育ってきた人々がアルコール問題を抱える家族の中で子供時代を送った人々と同じような特徴を備えていることが分かった。そこで両者を区別するために、ACOA(Adult Children of Alcoholics)ACOD(Adult Children of Dysfunctional family)などの用語が用いられるようになった。ACODFriel(1988)らがアダルトチルドレンの関係の単行本で、表題に使用したのが始まりである。もともと彼らへの援助と治療の必要が語られ始めたのは1970年代終わり頃からであったが、1980年代を通じて多くのACグループ(ACを参加者とする治療グループや自助グループ)が発足した。

 日本においては、1984年に原宿相談室(嗜癖問題臨床研究所付属原宿相談室、略名CIAP)、1985年にASK(アルコール問題全国市民協会)設立され、本格的なアルコール問題を抱える家族に対する援助が始まった。1989年に東京で行われた、「アルコール依存症と家族」という国際シンポジウムにおいてBlackがアダルトチルドレンという言葉を紹介し、斉藤学がBlack(1989)の『私は親のようにならない』を翻訳し反響を呼んだ。1990年、自助グループのACODA(アダルトチルドレン・オブ・ディスファンクショナル・ファミリー・アノニマス)がスタートした。その後西山明(1995)の『アダルトチルドレン』が出版され、大越嵩(1996)の『アダルトチャイルド物語』や斉藤学(1996)の『アダルトチルドレンと家族』が出版されるなど、次々とアダルトチルドレン関係の本が出版され、我が国では現在、大ブームを起こしている。

ACの特徴

 

  ACの心理的特徴.

 アルコール家庭で育ち大人になったACOAには、次の13に心理的特徴が認められるという(Woitiz,1983)

1ACOAは、正しいと思われることに疑いを持つ

2ACOAは、物事を最初から最後までやり遂げることが困難である

3ACOAは、本当のことを言った方が楽な時でも嘘をつく

4ACOAは、情け容赦なく自分を批判する

5ACOAは、何でも楽しむことができない

6ACOAは、自分のことを深刻に考えすぎる

7ACOAは、他人と親密な関係を持てない

8. ACOA自分にコントロールできないと思われる変化に過剰反応する

9ACOAは、常に他人からの承認と賞賛を求めている

10ACOAは、自分と他人とは違っていると感じている

11ACOAは、過剰に責任を持ったり、過剰に無責任になったりする

12ACOAは、過剰に忠実である。 無価値なものとわかっていてもこだわり続ける

13ACOAは、衝動的である。 他の行動が可能であると考えずに一つのことに自らを閉じこめる

 これらの心理的特徴は、 Woititz1983)のアルコール依存症の臨床経験からひきだされたものである。したがってACOAの中には、これら13の特徴の全てがある者もいるし、そのいくつかしか呈さない者もいる。その他にも臨床観察や統計学的手法から、その特徴を描き出そうとする研究家や実践家が数多くいる。

 アダルトチルドレンには恐怖心、怒り、精神的な傷つき、恨み、邪推、孤独感、悲哀、屈辱感、自責感、無感動が認められると述べている(Kritsberg,1985)。さらに、悉無律(オール・オア・ナン)形式による絶対的確信、情報不足、強迫的思考、優柔不断、学習の障害、混乱、過敏などがあり危機志向型人生を送り、操作的行動、親密性の障害、楽しむことの困難、注目を引くための集団への参加が見られるという。

 臨床的観察によるアダルトチルドレンの心理的特徴としては、内なる感情を同一化する能力の障害、危機に遭遇した時の経験不足、見捨てられ感情、親密性をはぐくむ障害、介入や変化への抵抗が認められる(Kern,1985)

 また、コントロール群を設定したアダルトチルドレンの心性を研究した代表的なものによると、依存、同一化の障害、感情表現の障害、親密性の障害、他人を信頼する力の障害などの特徴がある(Black,1980)

 New York ACグループのメンバーが自己点検のために作った「ACランドリー・リスト」によると、孤立感、極端な自己評価の低さ、会いと同情の混同、怒りや批判への脅え、自分の感情に気づき表現する能力の欠如、自己肯定感のなさ、絶望的なまでの愛情と承認の欲求などが挙げられている。

 その他にも、「ACOAインデックス」という指標を用いて行われた調査では、その結果からACOAの特徴として、孤独感、自己非難、失敗することの恐怖、承認されることの欲求、コントロール(支配)することの欲求、頑固さ、一貫性のなさの7項目を挙げて「ACOAインデックス」という指標を用いている。

 また、ACの心理的特徴の多くの部分が「否認」から生じており、機能不全家族における慢性的な「家庭内トラウマ」から心を防衛するためには、子供は自己を分裂させ、もう一人の自分となって現実を「否認」するしかない。その結果、自己否定、他者と親密な関係が持てず自己をコントロールすることになるという(Friel & Friel,1988)

 

  ACの症状.

 アダルトチルドレンの心理的特徴、心性についてこれまで述べてきたが、それが顕在化すると、医学的および心理的な治療を必要とする症状を呈することがある。

 ACの症状としては鬱病、不安障害、パニック障害、恐怖症、強迫、性障害、乖離性障害、同一性障害などが認められ、さらに、摂食障害、嗜癖、胃潰瘍や大腸炎などの消化器障害、睡眠障害、呼吸器障害なども出現する(Friel &Friel,1988)。これに加えて、肩こり、背部痛、性的機能障害、アレルギーなども認められる(Kritsberg,1985)。これらの症状は、慢性でありPTSD(心的外傷後障害)としても捉えることができる症状である。

 その他にも多くの学者が示すようにACの症状は多彩である。よって症状からACであることを判断することはできない。

 

  機能不全家族の定義.

 先述したように、アダルトチルドレンはアルコール依存症家族のみにみられる現象ではない。その他のさまざまな「機能不全家族」(ディスファンクショナル・ファミリー)と呼ばれる問題のある家族でも存在する。しかし、「機能不全家族」というものは、定義が難しくその定義も研究者によって多少の違いがあり明確ではない。

 「機能不全家族」とは、よく怒りが爆発する家族、冷たい愛のない家族、性的・身体的・精神的な虐待のある家族、他人や兄弟姉妹が比較される家族、あれこれ批判される家族、期待が大きすぎて何をやっても期待に添えない家族、お金・仕事・学歴だけが重視される家族、他人の目だけを気にする表面だけ良い家族、親が病気がち・留守がちな家族、親と子の関係が反対になっている家族、両親の仲が悪い喧嘩の絶えない家族、嫁姑の仲が悪い家族(西尾,1997)。両親の離婚、親の死別、性的虐待、身体的虐待が認められる家族(Friel,1988)。「情緒的見捨てられ」(エモーショナル・アバンダンメント)があり、情緒的欲求が満たされない家族(Zupanic,1994)。「内なる子供」(インナーチャイルド)を喪失した家族(Bradshow, Whitfield,1990)

 以上のように、どのような形をとるにせよ、家族の働きがうまくいってないと感じればそれは機能不全家族であるといえる。

 更に機能不全家族は以下のよう特徴づけされている。

機能不全家族特徴@

 虐待の起こっている家族

   身体的虐待 性的虐待 精神的虐待 ネグレクト

 仲が悪く怒りの爆発する家族

 愛のない冷たい家族

 親の期待が大きすぎる家族

 他人の目を気にする、表面だけよい家族

 秘密が余りにも多い家族

 親と子供の関係が逆転している家族

 子どもを過度に甘やかし溺愛する家族

 アディクションのある家族

 

機能不全家族特徴A

 強固なルールがある

 強固な役割がある

 家族に共有されている秘密がある

 家族に他人が入り込むことへの抵抗

 きまじめ

 家族成員にプライバシーがない(個人間の境界が曖昧)

 家族への偽りの忠誠(家族成員は家族から去ることが許されていない)

 家族成員間の葛藤は否認され無視される

 変化に抵抗する

 

 これらのような機能不全家族で育ったものの心理的特徴として斎藤(1996)は以下のものをあげている。

1.ACは、周囲が期待しているように振る舞おうとする

2.ACは、何もしない完璧主義者である

3.ACは、尊大で誇大的な考えを抱いている

4.ACは、「No」が言えない

5.ACは、しがみつきを愛情と混乱する

6.ACは、被害妄想に陥りやすい

7.ACは、表情に乏しい

8.ACは、楽しめない、遊べない

9.ACは、フリをする

10.ACは、環境の変化を嫌う

11.ACは、他人に承認されることを渇望し、寂しがる

12.ACは、自己処罰に嗜癖している

13.ACは、抑鬱的で無力感を訴える。 その一方で心身症や嗜癖行動に走りやすい

14.ACは、離人感がともないやすい

 

また機能不全家族の特徴として以下の10があげられている(Friel,1988)

1. 身体的虐待、感情的虐待、性的虐待、無視、その他の虐待

2. 完璧主義

3. 融通性のない家族ルール、生活のスタイル、信念システム

4. 「話すな」のルールと、家族の秘密を守ること

5. 自分の感情を見極めたり、表現したりする力のなさ

6. 家族の他のメンバーを介してのコミュニケーション

7 二重メッセージ、二重拘束

8 遊んだり、楽しんだり、自然に振る舞うことのできなさ

9. 不適切な行動や痛みに対する耐性がありすぎること

10. 境界が不鮮明な網状家族

 そして彼らは、家族はこれらの10の特徴のなかで全部持つ「機能不全家族」もあるし、そのいくつかしか持たない「機能不全家族」もあるとしている。

 ところで、「機能不全家族」の対語は「機能家族」(ファンクショナル・ファミリー)である。歴史的には、「正常家族」(ノーマル・ファミリー)や「健康家族」(ヘルシー・ファミリー)よりも好んで用いられている。「機能不全家族」とは、責めたり、感情的に過剰に反応したり、問題を否認してそれを解決しようとする家族であるという(Weakland,1974)。また「機能不全家族」の問題解決方法は、しばしば問題を作り、問題を再生産してしまうと指摘している(Woitiz,1983)。

 このように、「機能不全家族」の定義は研究者によって様々ではっきりとした明確な定義がされておらず、しかも「機能不全家族」の程度にもよるだろうから、定義をあまりに拡大化してしまうと、この世の中の大人はすべてアダルトチルドレンになってしまう危険性があり、アダルトチルドレンの概念やその存在が曖昧化してしまう。

ACの消長

 

  メディアにおけるACの消長.

 アルコール依存症や機能不全家族に育ったからといって、必ずしもこれまで述べてきた特徴、心性、症状を呈するわけではない。現在ではアダルトチルドレンについての定義、特徴、歴史が曖昧なままに使用されており、治療、世論、メディアなどの分野で混乱して使用されているように思われる。そこで、我々はアダルトチルドレンに関する英語雑誌、英語論文、そして日本語新聞のそれぞれについての出現頻度を調べ、1967年から1997年(7月末日)までの30年間の移り変わりをグラフにした(図1参照)。このグラフから英語雑誌と英語論文は1990年までは増える傾向にあるが、1990年を境に、明らかに減少しているということがわかる。これほどまでに問題化したアダルトチルドレンがアメリカで消長しているということは、そもそもアダルトチルドレンという概念自身に問題があったと考えられるのではないだろうか。アダルトチルドレンに対する否定的な研究なされだしたのも、この頃からである。以下に、そのいくつかを挙げてみる。

図1 メディアにおけるACの出現頻度

 

  ACOAとnonACOAを比較した論文.

 Seefeldt,Richard,Lyon & Mark (1992)によれば、ACOAの特徴としてWoitiz(1983)が論じた12の特徴が、 ACOAnonACOAグループの中であてはまるか否かを調査した。結果は、12の特徴においてACOAnonACOAとの間に重要な違いはみ見られなかった。唯一、女性においてPRFの社会的認知のスコア(Social Recognition scale of the PRF)に違った点が見られたが、Woitiz(1983)の論じたものとは正反対の方向にあるものだった。その後Shemwell(1995)が行なった調査によると、ACOAの特徴と言われている質問項目においてACOAsnonACOAsの間に違いはほとんど見られなかった。また男性の方が、女性よりもACOAの特徴を自ら強く認識する傾向が見られた。この結果は、Black(1982)Kritsberg(1988)Woitiz(1983)によって定義されたACOAの特徴の曖昧さを示し、ACOAsnon ACOAsとの間において意義深い違いは見られなかったとしたSeefeldt(1992)の結論を裏付ける結果となった。 また、Logue,Sher,Frebsch(1992)らは、ACOAの特徴とされている性格描写に、医学的文献で述べられているBarnum Effect(曖昧で、いくつかの意味を持ち、社会的に望ましい態度を表現していたり、高い割合で人々に共通する性格描写が広く受け入れられる現象の事)の様な性質が認められる可能性を調べるため、ACOAnonACOA二つのグループに調査をした。この調査で、ACOA71%)もnonACOA63%)も両方の大部分の対象が一般に言われているACの特徴は自分自身をよく表していると見なしているという結果がでた。つまりACOA特徴には、特異性は見られないという事である。これらの調査は一様に、AC概念自信に問題がある事を述べており、彼らは以下のように批判している。

  Seefeldt(1992)は、「専門家」と呼ばれる社会的地位をもつ人たちが効果的な描写を用いて論じる事で、多くの人たちがACOAの特徴を持っていると信じ込んでしまう。また、提示された特徴は(考え、表現が)漠然としていて、どんな人へも容易に適用してしまう事を問題点としてあげ、Logue,Sher,Frebsch(1992)は、AC特徴などをのせている一般書物には、根拠となる調査的な研究がなされていないと批判した。

 また、Rodney(1996)ACOAnonACOA二つのグループに調査をした結果、ACOAnonACOAの間では重要な差異は見られなかったことから治療者やアルコール依存予防プログラムを実践している人たちが、ある種の性格特性が、全てのアダルトチルドレンにあてはまると信じることを止めることが必要だと論じたように、実際の臨床の場での問題を挙げる者もいる。 

 その他に、アルコール依存症の親の下で育った者とそうでない者との比較を行なった調査においても以下のように違いが見られないとした研究も存在する。

 Harman(1995)は、アルコール依存症の親の下で育った学生とそうでない学生の性格特性を調べるために、遺伝及び男女別という二つの多変量分散分析方法(MANOVA)を用いて調査をおこなった。その結果、ACOAの学生及びそうでない学生の大部分は正常範囲に入っていた。また、男女別では、男性が幼稚性の残る性格、物質そのものを乱用するという傾向があり、女性では感情面と精神面での影響が強いという異なった結果が出ている。アルコール依存症の家系及び男女別において相関関係はないといいう結論である。アルコール依存症の親の下で育った学生は、そうでない学生に比べて社会適応性が劣っているとはいえないとした。Dadd,Roberts(1994)は、アルコホリックの家庭における、自尊心、感情、不安、対人関係の影響を探求した結果、ACOAとそうでない人との違いを見る事ができなかった。問題はアルコホリックよりも家庭の不機能の方にむしろ見られた。しかしながら要因は多岐にわたっており、子どもの生まれ持った気質や、生まれた順番、コミュニケーション能力、抑制の軌跡、助けを与える人に育てられた経験、2歳までの家庭での出来事におけるトラウマ、家庭の伝統や宗教、父親が家から離れていて義務を怠る事などにある。ACOAの特徴の不明確さがACOAを作り上げていることが問題だとし、ACOAの被験者とそうでない人との違いは、態度や行動、仕事における完璧性を求める事と、適応力の無さにあるが、それに注意をすればそんなに変化は見られないと、適応力において若干の違いが見られるものの、同様の結論に達している。

 

  ACOAとACODを比較した論文.

 ACOAACODの違いの曖昧さについて言及したものも存在する。

 Cartwight,Mckay,Stader(1990)は、MMPIとCPIという調査をアルコール依存症の親を持つアダルトチルドレンとアルコール依存症でない親を持つアダルトチルドレンの2つのグループに行ったが、二つのグループにあまり違いは見られなかった。その理由として、アルコール依存症でない親を持つアダルトチルドレンの中には、虐待の家族を持つ人たちがいるからだとした。つまり、アダルトチルドレンはアルコール依存症に限らず、虐待の親でも同じ特徴が見られると考えられると論じた。Benda,Diblasio(1991)は、九つの症状の特質を測るBSI得点の比較を、アルコール依存症の親を持つアルコール依存症のアダルトチルドレンと、アルコール依存症でない親を持つアルコール依存症のアダルトチルドレン、そしてアルコール依存症の親を持つアルコール依存症でないアダルトチルドレンの三つのグループに対して行った。その結果、三つのグループ間で症状の程度にあまり違いは見られなかった。強いて言えば、BSIの九つのうち二つにおいて、違いがあったと言えば言えるとしたように、同様の結論に達した。

 今、日本ではアダルトチルドレンがブームになっているが、AC概念の曖昧さの問題やACという言葉が「精神的に子供のままである大人」と間違って広まっていること、また間違った使われ方をしているACをメディアが広め煽り立てていることなどの問題を抱えている。このままではやがて日本でもアメリカのように、アダルトチルドレンの問題は廃れていくことが予想されるであろう。

 

  臨床としてのアダルトチルドレン.

 先述の、実証的研究によると、アダルト・チルドレンが、ACOAやACODにかかわらず厳密な意味ではいまだに「臨床単位」として存在するかどうかは結論が出ていない。むしろ「臨床単位」としてのアダルト・チルドレンは存在しないと言った方が妥当であろう。

 むしろ無理に伝統的な心理学や精神医学の枠組みの中で「診断」という「臨床単位」としてとらえようとしているのが間違っているのかもしれない。アダルト・チルドレンという概念が生まれて、発展してきた経緯を振り返ってみると「治療」や「援助」という「臨床概念」からとらえることが重要なのかもしれない。

 これまで、親子関係や家族関係などの「家族内トラウマ」がその人のパーソナリティに影響することは、フロイト以来の精神分析学で実証されてきた。その結果としてアダルト・チルドレンでも出現されると言われている、「自己愛人格障害」や「境界型人格障害」等の様々なパーソナリティ障害が「臨床単位」として確立された。ACは「外傷性精神障害」の精神分析の視点に立脚しているが、「家庭内トラウマ」を受けた人達を、「外傷性精神障害」と呼ぶよりもアダルト・チルドレンと呼ぶ方が、回復への援助が役立つと思われる。「AC」と自らを呼ぶことによって、人々は自分の生い立ちを見つめなおし、回復への気持ちを持とうとしている。その事は精神分析学の立場からとらえても、決してマイナスな現象ではないと思われる。

 また、自分で症状を感じたり、アダルトチルドレンの特徴を満たしていると感じる「臨床的アダルト・チルドレン」の人達に対しては、先述したようにACであるとラベリングしてあげることは、「安全な場所」の確保と、共通の安堵感を促進しやすい。またアダルト・チルドレン達がグループ・ミーティングや自助グループの場で、お互いにACと言い合えることは共感の「分かち合い」や現在の問題を生い立ちに外在化させて自分を責めないで生きやすくさせる側面がある。

 クライエントやサバイバー達が「AC」と用いることに対して、そういう診断や概念は心理学や精神医学では存在しないと行っても仕方がない。アダルト・チルドレンという用語は診断されるものではなく、アイデンティファイされ、自らが自覚するための用語なのかもしれない。それはアダルト・チルドレンは元々アルコール依存症の子供達を診断するものではなく、社会的に援助することに由来していたからだろう。