対処(coping)の概念について

 近年、健康の概念が全体的な視点で論じられるようになり、人々のストレスへのコーピングに関する研究が重要視されるようになってきた。また、それに伴って人々がストレスに対処(コーピング)する様々な方法が、その人に心理的、身体的、社会的な安寧に影響するという見方も、徐々に確かなものになりつつある(Antonovsky,1979;Coelho et al.,1974;Cohen & Lazarus,1979;Janis & Mann,1977;Moos,1977)。そこで、現在までにコーピングに関する理論がどのように展開してきたのか、またそれぞれの人物がどのようにコーピングを捉えてきたのかを見ていきたい。

 対処理論の展開

 対処理論の定式化は、精神分析理論と自我心理学を土台としている(Moos,1984)。つまり、個人の自我過程が自己の衝動と外界の現実との葛藤を解決させうるというFreud,S.の理論と、現実志向的で葛藤からはひとまず自由であるような自我領域を扱った自我心理学の所理論とが、対処理論の源流であるという。この2領域の理論は、個人の対処資源の蓄積という観点から発達的な展望を形成するのに貢献し、それは例えば、Erikson,E.によるパーソナリティの発達理論に実ったとMoos(1984)は見ている。また、心理学の領域で対処理論を定式化したLazarus,R.S.は、知覚や動機に関する理論をはじめ人格発達理論や精神分析理論に基づく既存の膨大な諸知見の照合作業を行った(中西・黒田・前田・森山, 1988)。

 このように、対処の概念は様々な概念や理論と絡み合っているため、非常に複雑である。

 対処の概念

 コーピングという言葉はFreud,A.が使用したとされており、本来は人格や臨床の領域での概念である(平凡社, 1981)。しかしそれは、ストレス状況への対処の経験を通しての人格発達、不安・恐怖を与えるメッセージに接しての態度変容、社会変動や文化変容下での個人の適応過程、ストレス状況への心理生理的反応と行動との関係など、心理学の多様な研究領域で使用される概念となっている。

 コーピングの概念については、一般にストレスへの対処行動を意味するが、その定義は多様であり、用語に関してもcoping process, coping responce, coping strategy, coping behavior,coping mechanism, coping skillなど、必ずしも統一されていない。日本では、「コーピング」または「対処」、「対処行動、対処技能」、「対応、対応行動、対応機制」などと訳されて紹介されており、これもまた統一されていない。概念的には、「日常生活において直面する様々の問題状況に対して、対処・克服し、あるいは解決しようとする態度」と定義づけられ、適応という概念から発展して、より能動的かつ想像的なニュアンスを強調した概念であり、自我防衛機制に対立する概念として規定されている。

 対処の研究では、Freud,Sのいう防衛機制の発動を考え、人間の能力を超えた圧力に遭遇すると、人はこのメカニズムを無意識的に利用するという自我心理学が有力だった時代があり、逃避や合理化や投射などの機制がストレス対処反応の説明に用いられ、対処における緊張の緩和、解消の機能が認められた。しかし、精神力動論では、例えば否認のような精神内界の防衛プロセスは、抑圧といったプロセスなどに比べ、本来的に劣っていると見なされ、また現実に即しているというように、ある基準を満たしている場合にのみ、その方略はコーピングと呼ばれたのである(中西・古市・三川, 1993)。

 Haan,Nは、対処を同等の条件で困難を克服しようとすることであるとし、人は一つの出会いの中で問題処理のために内へ外へ資源を求めていくものであると考えた(中西・古市・三川, 1993)。また、「対処行動とは、主にストレス状況に直面し、これを克服する積極的な行動を意味するが、ストレス状況に対して防衛したり、その状況を一時的に回避して心理的安定を図る防衛行動も含まれる」というように、防衛の健康的な側面も対処として捉えている。Haan,Nによれば、防衛行動とは神経症的な特徴を持っており、柔軟性がなく、現実を歪曲したり、無意識的な衝動を満足されるために働くと考えられているが、対処行動は、その基本的な働きは防衛行動と同じだが、比較的柔軟性があり、時間や秩序などの現実に従い、意識的でより健康的である点が異なっている(中西・古市・三川, 1993)。

 また、ストレスへの対処行動の基礎として考えられるのが、自我機能といわれるもので、Haartmann,Hらによる精神分析的自我心理学の中で展開された考え方である。人間に内在する対処能力は、よく「精神力」や「気力」といった神秘的な言い方をされるが、自我心理学ではいくつかの自我機能として分析されている。ストレスへの対処行動や防衛機制の基礎になる自我機能は、乳幼児期から老年期までの各発達段階ごとにその強弱があるので、外的なストレッサーの種類によって、各年齢段階で対処の仕方も異なってくる。人は、それぞれの発達課題に取り組み、適切な対処能力を獲得して、精神的健康を維持しているのである。

 以上のような精神分析的自我心理学の立場をとらず、人間の持つ積極的対処、問題解決的対処を中心に考えようとする、心理的ストレス論者の立場ををったのは、Lazarus,R.S.である。彼は、プロセス志向の方法で、対処の評価・分析を加えようとした。彼は、コーピングを「ストレスフルな交渉によって引き起こされる内的・外的要求を処理したり、減じたり、あるいはそれに耐えたりするような認知的、行動的な努力である」と定義した(Folkman & Lazarus,1980;Lazarus & Laqunier,1978)。そして、この努力は、問題中心型コーピング(人間と環境の関係がストレスの源である場合、そうした関係を管理したり変化させたりすること)と情動中心型コーピング(ストレスの多い感情を調整すること)の2つの主要な機能を持つ。この2つの機能については、George(1974), Kahn et al,(1964), Murphy & Moriarty(1976), Murphy(1974), White(1974), Mechanic(1962)、 Pearlin & Schooler(1978)によっても認識されている。

 また、対処方略は、どれか1つが単独に取られるというより、むしろそれが一群となって最終的に成長と適応、すなわち統合性の維持をもたらす。その過程が最初はいずれの方向に向かうかは認知によってコントロールされるが、全体としての対処反応は認知活動、情動及び生理学的反応が相互に絡まりあって成立している(Folkman & Lazarus,1980)。彼の定義で大切な特徴は、コーピングがその結果とは独立に定義されていることである。すなわち、コーピングは要求を管理する様々な努力であり、それらの努力が成功したかどうかは問われない。個々のコーピング方略の有効性は、その方略の中に本来的に備わっているものではないのである。このようなアプローチは、明らかに精神力動論的な概念化とは異なるものである(Menninger,1963)。

 対処についての考え方は、学者によって様々な立場があるが、心理学者の間では、いわゆる防衛的処理と、積極的努力(コーピング)による処理とに分けるのが常識化しているように思われる。Allport,G.W.は、正常人の適応行為を精神分析でいう防衛機制と、成長と結びついた目的的なコーピングとに分けた。前者は自我を不安から防衛するために工夫された機制であるが、後者は自己の弱点・欠点・失敗・罪障感・恐怖などからも目をそらさず、それらを組み込んだ人格統合を図るものとされる。一方、臨床心理学者の中には,Allport,G.W.のようにコーピングと防衛との間に明確な一線を画すよりは、両者を相関連したものとして扱う人もいる。例えば、Mazlow,A.H.らは、破局を予期させ驚異となる状況への患者の防衛的反応をコーピングの機制と捉えている。そして、全ての行動は適応的機能を持つとするKorchin,S.J.も、コーピングと防衛を区別しながらも、選択的知覚の能力が当面の問題への集中(コーピング)にも、その問題の重要性の否認(防衛)にも役立ちうることを指摘し、このような関連性に注目する必要があると述べている。また、Lazarus,R.S.(1976)も、防衛を「人が実際の脅威にさらされたとき、自分自身を欺くために用いる心理的手段」と定義づけ、対処においては、防衛それ自体が重要な役割を果たすとされ、その多くが驚異的な刺激を無害と見なす再評価ー防衛的再評価ーの形で用いられ、それは情動中心型の対処のカテゴリーに入るものと考えられた(平凡社, 1981)。

 このように、対処の概念はその基礎にあったり、近接研究領域にあったり、その統合枠であったりする諸々の概念や理論と多面的に絡み合っているため、対処研究の全貌を捉えるのは決して容易なことではない。また、近頃コーピングへの関心が非常に高まっているにも関わらず、コーピングがストレスと安寧の間でどのようにして媒介的な役割を演じているかについては、ほとんど知られていないのが現状である。そのため今後、対処行動(反応、方略)の構造、対処に関するスケールづくり、そして対処過程に影響する先行要因についてなど、様々な角度からの研究が進められることが期待される。