人間の精神生活とは、一つや二つの次元で理論的に説明できないほど複雑なものであり、一元的な仮説ではとうてい語ることができないと思われる。ストレスとその対処スタイルについても同じことが言える。ストレスと対処について歴史的にみてみると、人間の生き残りのための掟を理論的に説明しようとするいくつかの試みがこれまでになされてきたが、どれも一つを語って全てを語らずといった様子で、多くの欠点が残っている。
そこで考えられたのが、BASIC-Phと呼ばれる多重モデルアプローチである。これは、クライエントの対処スタイルの基礎となる6つの次元(Belief, Affect, Social, Imagination, Cognition, Physical)からなっており、それぞれの頭文字を取ったものである。人は誰でもこれら6つの様式の全てを使って対処できる可能性を備えており、いろいろな状況の下でそれぞれ好みの対処様式を持ち、自分なりの組み合わせを作り、いろんな場合に適用するのである。ストレス状況下にある人々の多くの観察や面接からみて、一人一人の人間が、特別な対処方法や対処機制の組み合わせ方を持っていることは明らかである(表7参照)。Lahad,Mは、ストレス状況下における対処機制における研究で、様々な対処スタイルを発見したのだが(Lahad,1989)、BASIC-Phのそれぞれの概念がどういうものなのか、またキーワードとどのように関連し合っているのかを、以下に述べていきたい。
表7 BASIC−Ph 多次元モデル(Lahad & Cohen, 1983)
自己価値 感情 他者役割 直感的 現実 実際の行動
組織 ユーモア
B A S I C Ph
信念
フランクル マズロー |
情動 フロイト ロジャーズ |
社会的 エリクソン アドラー |
想像 ユング デ・ボノ |
認知 ラザルス エリス |
身体的 パブロフ ワトソン |
態度 |
傾聴スキル |
社会的役割 |
創造性 |
情報 |
活動 |
信念 |
情緒換気法 |
社会構造 |
遊び |
好みの順位 |
ゲーム |
人生展望 |
受容 |
社会的スキル |
心理劇 |
問題解決 |
運動 |
価値の明確化 |
感情表出 (言語的・非言語的) |
アサーティブネスグループ |
「まるでーのような」シンボル |
自己操縦 |
リラクセーション |
意味 |
|
ロールプレイシミュレーション |
誘導された幻想 |
自己との対話 |
|
|
|
|
ガイディッドファンタジー |
|
|
これは、Maslow,A.H.によって始められ、後にFrankl,V.E.によって心理学的理論・心理療法のアプローチにまで発展した、信念と意味を重要視するものである。このタイプは、ストレスや危機に際し、自らを導いていくために信念や価値を支えにするのであるが、ここでいう信念・価値とは単に宗教的信仰だけでなく、政治的立場や使命感、充実感や強い自己表現を求めることも意味している。
Maslow,A.H.の理論は、人間は本来、自分自身の運命の展開を価値づけ、決定する能力を持っているものだという信頼に根ざしている。人間が純粋になって、その内面の世界を経験することができ、内面及び外部からの妨害に邪魔されずに機能することができる時には、人間は自分のためになるものを価値づけ、それを選択するものであると、彼は論じている。
そして、彼は価値観とは人間性の構造の内部に深く根を下ろしているものであり、不正な価値観を持つことは、ある種の精神疾患なのだと考えていた。誤った価値観というのは、内面の生物的な部分を抑圧することで、それに対して精神的健康というのは、自己実現に向かう良き成長と同じ意味であり、自分の中に持っている様々な可能性を十分なまでに開発し、現実化することなのである。自己実現へと導くような価値は正当な価値であり、また自己実現的な人間とは人間性に生命を与える指標的な、あるいは究極的な価値を身に体現した人であると彼は述べている。このようなMaslow,A.H.の心理学は、健康な人間を研究するものであり、全ての人間のユニークな可能性を信頼し、関心の中心をそこにおくものであった。
そして、もう一人のキーワードとなっているFrankl,V.E.は、実存分析の提唱者であるが、彼の理論は、実存主義思想からでたものではなく、むしろ彼の治療体験、特に彼自身もユダヤ人として収容されたアウシュビッツの強制収容所における体験に基礎づけられている。Frankl,V.E.は収容所で絶望に陥って自殺を企てようとした同胞に対して、精神医学的身体的療法・精神療法は功を奏しなかったが、彼らにとってかけがえのない独自の人生の意味、それへの責任を自覚させたとき、回復の道を歩むことができたといっている。また彼自身も、「人生にはいかなる状況にあっても必ず何らかの意味がある」、そればかりか「苦悩そのものにも意味がある」と自分に言い聞かせることで、収容所での悲劇的状況を信じがたいほどオプティミスティックに捉え、内的な勝利の体験に転換しようとした。
彼は、人間とは、生まれたときからその生命が終わるまで、創造価値・体験価値・態度価値の3つの価値領域から、意味と目的を探しだし、実現せんとする基本的努力を絶えず繰り返していくものだと言い、「意味への意思」を人間の根本動機と見なした。
また、Frankl,V.E.はこのような意味や価値は心内的なものではなく、あくまで心の外にあり、その呼びかけに応え、実現しようとするところに、人間の心の本質があるとした。そして、人間は人生の意味を求めて問いを発するべきではなく、むしろ人生から問いかけられ、それに責任を持って応えねばならない存在であるということを、フランクル心理学の基本命題とした。
これは、精神力動論を提唱したFreud,S.と、来談者中心療法を提唱したRogers,C.R.の理論を背景としている。このタイプは、情緒的・情動的対処様式を見せ、情緒の表現を対処方法として用い、泣く・笑う・自分の経験を誰かに話す、あるいは絵を描く・読む・書くなどの非言語的手段を使う。
Freud,S.は、心の構造を意識・前意識・無意識とにわけたパーソナリティ局在論モデルと、パーソナリティとはイド・自我・超自我の3つの機能から構成されると考えたパーソナリティ構造論モデルとを統合し、それぞれがどう関係しているのかを示した。それによると、イドの全体は、無意識の部分に相当すると考えられ、その存在については全く気づかれていないものの、行動を動機づけ、内的葛藤をつくり出し、本能的衝動と共に、他の抑圧されたものを含んでいる。また、受容されなかったり、不快な経験をしたときは、それを無意識の世界に押し込める傾向も持っている。そのようにして抑圧されたものは、イドの中にあり、無意識の本能的衝動と一緒になってトラブルを引き起こす。このたまった感情を発散させたり、昇華させないと、精神衛生が悪くなり、病理現象を引き起こすもとになる。もしそうなった場合には、精神分析的治療を受け、抑圧された衝動・欲望・葛藤を意識水準にまで引き出し、その表明された無意識の事柄の情動的内容に対応していかねばならない。そこで、現実・イド・超自我の要求に、合理的に対応でき、パーソナリティの側面を統合させており、脅威的な環境の中でスムーズに機能できるような強い自我を持てるように、無意識の世界を解放し、より深い自己と接触できるようにすることを精神分析療法では目標の一つとしている。生きていく中で、自分自身や他者のうちにある弱点や限界を受容できるような自我を持てるよう設計されているのが、Freud,S.の精神分析学である。
また、Rogers,C.R.は人間とは本来創造的に生きる力を持ち合わせており、自己の生活のバランスを整える統合力を持つものであると考えた。その考えに立脚したものに、来談者中心療法があり、それは非指示的カウンセリングとも呼ばれ、Freud,S.の言う精神分析とは区別されたものである。それは、クライエントが本来持ち合わせている自我の力を自発的によく機能できるように援助することを目的としている。ここでは、人は自ら成長していく力を持っており、自己実現を目指すものであるという考えの基に成り立っているため、人を独自に生きている人間として尊重し、その主体性を無条件に受容することを基本的に重要なことと考えている。彼は、カウンセリングにおける援助関係の中で、パーソナリティの変容につながるような条件として5つをあげている。それは、@クライエントとセラピストの間に基礎的な信頼関係が樹立されていることAセラピストが一致の状態にあることBセラピストがクライエントを無条件に受容することCクライエントを共感的に理解することDセラピストが自分の「内的な直感的自己」に最も密接になっていること、である。
このような条件は、人がその中で自己を表現する恐怖を解消させ、あるがままの自己を表現できる雰囲気を生み出す助けとなる。ひとたびこのような条件が用意されるならば、人は自然に立ち直り、自信を回復していく能力を持っているとRogers,C.R.は考えた。
これは、Erikson,E.とAdler,A.の理論によって支えられており、それぞれ違った角度からではあるが、社会の果たす役割や人が外界と接するときの社会的環境を強調した。このタイプは、社会的な対処様式を選び、グループに所属したり、課題や役割を持ったり、組織の一員となることによってサポートを得る。
Adler,A.の個人心理学での主要な概念は、個人の人格の発達のためだけでなく、人生における個々のあらゆる行動や情緒を方向づける上で、社会が重要な役割を果たしているという点である。人が生きていく社会環境での揺れ動く状況に自分を適応させたいと思う気持ちは、あらゆる人間の中にある共同体感覚によって表される。そして、この共同体感覚がよりよく発展させられ、個人と社会との関係がうまくいけばいくほど、人は人生でのタスクを成功させることができ、その人のパーソナリティをよりバランスの取れたものとすることができる。
また彼は、人は集団や社会に対して抵抗したり、敵意のある態度をとったりするときには、その人自身の劣等感が原因になっていると考えた。人間の自らに対する価値評価は、劣等感という形で表現され、その結果、様々な方法で「意味の追求」をし、劣等感を補償するために努力しようとする。彼はこのような基本的要求は本質的に人間の内部にあり、それぞれの個人が受ける避けがたい劣等感の自然な結果であると考えた。一個人の生活において劣等感を持つことは、その人が前進し、成長するのを助けることになるのである。このようにAdler,A.は、人は社会という環境の中で、自分の持っている劣等感を克服していくために努力し、その過程で成長していくと考えた。
Erikson,E.は、心理・社会的な発達の初段階を規定し、その各段階に心理・性的な成長を関係づけることによって、自我の研究の基礎を作り上げた。また、心理・社会的な発達段階の順序を8段階に分け、ライフサイクル全般にまで拡大し、その各段階にはその段階において解決しなければならない固有の発達的課題があると考えた。その解決は、前段階において準備され、その後の段階においてさらに進んだ解決がなされる。
Erikson,E.の自我発達論の特徴は、人間が成長の各段階で出会う社会的環境との交わりの過程の中で、本質的に社会的な人間の特性が開花すると考えるところにある。そして、自我の成長発達の初段階の順序は、普遍的ではあるが、社会が異なれば典型的な解決策も変わると考える。どんな社会でも、発達する個人がそこで生存していくことを補償するような制度によって、そのメンバーの発達段階に対応している。人は外界無しには生きられないと言える程、外界と密着しており、社会は人間の成長発達において各段階特有の課題を解決していく方法に影響を与えることで、彼をその社会の一員とするのである。
このように、Erikson,E.は自我の成長発達を重視し、さらに個人と社会との相互連関を強調することによって、歴史的社会的現実までにも深い洞察を示したのである。
これは、Jung,C.G.の理論を背景にしており、このタイプは想像力を働かせ、白昼夢を見たり、楽しいことを考えたりすることで悲惨な事実にふたをしたり、また自ら空想に導くことで気をそらせたりする。また、現実にはありえないような問題を想定してその解決を試みたりする。
Jung,C.G.は、自らの心理学理論を分析心理学と呼んだが、元型心理学という術語の方が、ユング心理学をより適切に表しているのではないかと考えられている。ユング心理学の要は、夢解釈にある。夢とは、無意識的過程の自発的な表現であり、目的性を持ったものである。また、夢の言語はイメージ的で象徴的であり、元型レベルでの人間的意識の作用を最もよく表現しているため、夢を理解するには豊かな象徴を元型的イメージに満ちた象徴表現の言語を学ばねばならない。そのため、夢解釈の方法として、連想と象徴の拡充という手段がとられた。Jung,C.G.の夢解釈は、彼が我々の内的、外的生活の中の象徴の機能をいかに考えていたかを、詳細に示している。
彼は、Freud,S.の無意識概念を拡大し、無意識には個人的無意識と集合的無意識があるとした。前者は、Freud,S.の考えたそれと同じ意味で捉えられ、後者は個人的無意識よりも深く、究極的にはより重大な意味をもつと考えられた。さらに、後者は人類の全てに共通する心的な知覚のパターンが含まれる元型的経験の領域であり、力と全体性と内的変容との究極の心的源泉と考えられた。そして、元型は象徴的、イメージ的な現れによって示され、個人が元型の内容を意識へともたらし、意識の生活と元型的レベルの人間経験の間の関係を確立しようと試みるときにのみ、心理学的成長が起こるとされる。
また彼は、能動的想像という心理療法の技法を始めた。その目的は無意識的素材、とりわけ夢や空想に現れる内的形象に対する患者の関係を強化し、発達させるところにある。Jung,S.は、能動的に想像することによって、患者に自分の心の中の様々な無意識の元型的要素との出会いと対決において、受容的でありながら能動的でもある役割をとらせようとし、自らの自我の思考と願望を追求させようとした。
このようなJung,S.の概念は、心の全体性は無意識的なものの意識化の所産であり、心は目的を備えた現象だという考えに基づいている。
これは、Ellis,A.やLazarus,R.S.ら認知派の人々により支えられている。このタイプは、情報収集、問題解決、自己操縦、内的会話といったことをすることでストレスに対処する。
Ellis,A.は、多くの心理療法について検討を加え、心理療法への新しいアプローチについて研究した。そして、その研究と自らの臨床体験に基づいて論理療法を出発させていく。論理療法(RET;Rational Emotive Therapy)は、認知的で哲学的な側面を強調していたが、それだけではなく、感情面と行動面の二者への働きかけの要素も強く持っており、その3側面を統合してきた。来談者中心療法や行動療法といった他の理論に対して、感情は思考の産物であり、思考を変えれば感情が変化し、感情が変化すれば行動も変わるという論理療法の考えは、大変刺激的なものである。
論理療法は、他の療法に比べて認知的領域に大きく踏み込んでいる点に特徴があるが、それは思考という回路を使って感情や行動をコントロールすることができると考えているからに他ならない。しかし、論理療法は認知的側面だけを強調し、感情を否定したり無視しているのではなく、自己実現へ向かう適切な感情と、自己破壊的方向へ向かうような不適切な感情とを区別、選択、統御してゆく思考を身につけることを目指している。そして、非論理的思考を認知的・情緒的・行動的技法を用いて論理的思考ができるように自己変革していくように努力していくのである。このような論理療法の立場は、必然的に自己分析的・自己研修的・自己変革的であるが、実際では、クライエントは一回の面接と次の面接の間、何らかの形で自己と会話をしているのである。そして、論理療法は認知・情緒・行動に働きかける極めて幅広い技法を駆使して、クライエントに新しく具体的な課題を与えるが、クライエントはこれを行うことで自己分析を促進していく。
Lazarus,R.S.は、ストレスー対処過程のシステム的モデルの中で、問題解決と情動の調整の2つの要素を掲げ、ここではまず最初にストレス状況の認知的評価がなされ、それに引き続いて情動反応やその他の反応が起こると強調している。彼は、ストレス過程の中に、脅威となるものの価値を規定するのは人間の側の主観的事実であるという認知的評価を取り入れている。ストレッサーに対して、その人の認知的評価によって圧力となるかどうかが決せられるという段階を経て対処の過程にはいるわけであるから、この評価そのものに対処は強く関わっていると言える。また、彼は対処を「その人の持つ資源に重い負担をかけるものとして評価された特定の内的・外的要求を処理しようとする絶え間なく変化する認知的、行動的努力である」と定義した。そして、対処には情動を調整すること(情動中心型コーピング)と、問題を上手く処理すること(問題中心型コーピング)の2つの機能があるとし、これらの方略は、どれか1つが単独にとられるというより、むしろそれが一群となって最終的に成長と適応、すなわち統合性の維持をもたらすものであるとした。その過程がどの方向に向かうかは認知によってコントロールされるが、全体としての対処反応は認知活動、情動及び生理学的反応が相互に絡まりあって成立している。このように、Lazarus,R.S.はプロセス志向の方向で、対処の評価・分析を加えようとした。
これは、Watson,J.B.とPavlov,I.P.の理論を背景にしており、精神や情緒という考え方そのものを否定し、人間行動を刺激とそれに対する反応の視点から説明しようとした。このタイプは、リラクセーション、脱感作法、身体的運動、活動といった、体の動きと共に身体的表現を使って反応し、エネルギーを消費することによって対応している。
Watson,J.B.は行動主義を唱え、個人の主観に限られる意識を対象とすることに反対、内観主義を否定し、環境からの物的刺激Sと、それに対する生活体の反応Rとしての筋及び腺の活動との関係を客観的に観察して数量的に測定し、それを支配するSーR法則を見いだすことを目的とした。人は刺激を消す前に、またその刺激の届かないところに動く前に、色々な方法で動き、試行錯誤を繰り返す。しかし、再びこれと同じ状況に出会うと、彼はもっと速やかにそれを遂行することができる。それをWatson,J.B.は学習した、あるいは一つの習慣を形成したと言った。また彼は、このような習慣の体系の最終産物がパーソナリティだという。つまり、パーソナリティというのは、行動を実際に観察して発見された活動の総計なので、その人の教育や業績、余暇の時間やレクリエーションの記録、日常生活の実際的な状況下でのその人の情動的な構造を参考にして、その人を客観的に観察することによって、パーソナリティを研究せねばならない。このようなWatson,J.B.の理論には、かなり極端な側面があるため、かなり批判的な意見を持つ人も多かったが、具体的事実である行動を直接の対象とすべきとする客観主義の立場は、今日の心理学の基礎をなしている。
Pavlov,I.P.の生理学・心理学の中心原理は、生物体が全体として統一体であり、全体性を持つものであること、それと共に生物体は環境条件に適応し、環境は生物体の要求に適応するというものである。統一と適応という両側面において中心的な役割を果たすのは神経系であり、高等動物にあっては、一時的・条件的な反射を司る座位としての大脳皮質の役割は決定的である。このように生物体の統一と環境への適応において最も重要な条件反射は、Pavlov,I.P.の理論においては基本概念になっている。彼は、精神活動とは高次神経活動で、脳を初めとする人間の神経系の働き以外の何者でもないと主張する。しかし、思考・感情・行動の内容は歴史的・文化的・社会的・個人的状況の中で働くものなので、精神活動が生理的活動によって決定されるということを表しているのではない。また、高次神経系の3つの型は、それぞれ興奮と制止の過程の間に、絶えず変化する力動的な均衡を保っている。脳の細胞は非常に敏感で、周期的な疲労や我慢できる程度の過度の緊張を生じやすく、気質的損傷を受けやすいため、それを保護する神経機制が必要で、Pavlov,I.P.はそれを保護機制と呼んだ。彼は、その一つとして睡眠をあげており、その適応機能は休息と回復によって疲労を克服することである。緊張の程度などにより、別の形の保護機制が起こることもある。また彼は、心身症は繰り返し条件づけられた誤った条件反射が形成されたものであると考えたため、治療としては症状のでる前に自立訓練法などによってリラックスする状況を与え、次第に症状を解消していくという方法をとった。このように彼は、一元論的唯物論の立場で科学観と科学的方法を強化し、心の神秘を取り除くことに大いに貢献した。