V.調査法とその理論的背景
質的調査
質的調査は技法を様々に組み合わせて行われる。質的調査には参与観察、事例研究、談話分析、プロトコル分析、会話分析などが存在するが、純粋に質的なものもある一方で、量的なデータを記述しているものも多い(Good & Watts,1996)。すなわち、研究対象を説明するために適切な手段を調査者が様々な技法を組み合わせることによって作り出せる点が質的調査の魅力であると考える。
質的調査においては、計量調査と比較して信頼性と妥当性が常に問題にされる。GoodとWatts(1996)は、質的調査の妥当性について次のように説明している。結果をより確実にするには、単一の出所のデータを使うだけでは不十分である。すなわちデータは、可能であれば直接指標と間接指標を双方とも使用する、客観的な記録と個人的な記述の両方を使用する、参加者と観察者双方からのデータを使用するなどが必要となる。どのような組み合わせが良いかは調査によって様々である。このように、多様な観測の線(lines of sight)を使うことは、「トライアンギュレーション(triangulation)」と呼ばれることが多い(Berg,1995)。Berg(1995)はトライアンギュレーションを次のように説明している。すなわち、すでに事象の中で分かっている点(対象)のうち、3点を直線(lines of sight)で結び、三角形を作る。この三角形は「誤差の三角形(triangle of error)」と呼ばれるものであり、トライアンギュレーションとは、この三角形の中心が対象となる事象の真の位置を最も予測しているという考え方である。
信頼性は、研究者自身がツールとなるために測定することは困難である。南(1996)は、質的調査法であるグラウンデッド・セオリーの妥当性・信頼性の問題点を解決するために、スーパーバイザーの指導を受けること、共同研究で調査を行うことをすすめている。また、小城・川名・片田(1990)は、グラウンデッド・セオリーを用いた研究に信頼性を持たせるためには、方法のステップを書くこと、引用例を出すことをすすめている。
グラウンデッド・セオリー
グレーザーとシュトラウス(1996)は、社会調査を通じて体系的に獲得されたデータから理論を産出する方法を発見した。これがグラウンデッド・セオリー(Grounded Theory)である。グラウンデッド・セオリーは、象徴的相互作用論における人間行動の見方を応用した研究法である。研究は抽象的な概念と概念同士の関係に関する命題を生み出すために行われる(シェニツとスワンソン、1992)。
グラウンデッド・セオリーを用いた理論化は論理演繹型の理論化とは対称的で、理論を社会調査から帰納的に発展させるものである。グレーザーとシュトラウス(1996)は、データから理論を生み出すことは仮説と概念のほとんどがデータから出てくるだけでなく、調査プロセスを通じてデータと関連づけられながら体系的に作り出されることを主張した。つまり、理論を生み出すことが調査プロセスと絡み合っているのである。
シェニツとスワンソン(1992)は、グラウンデッド・セオリーの手続について次のように説明する。
グラウンデッド・セオリーでは研究を実施する以前に、一定の変数からなる母集団から標本を選ぶことをしない。まず最初に標本を決め、そこに存在している現象を検証していく。データは、参与観察や面接、文献などによって収集される。
分析は一貫して比較分析法が用いられる。まず最初に、収集したデータを行ごと段落ごとに読解して出来事や事実を探す。次に実質コード(substantive code)をつける。それは、その人物の発した言葉、事象や行動、その他の減少の中身を示すもので、バラバラにされたデータの内容を抽象化するものである。さらにデータを収集し、分析をすすめて、別のカテゴリーを構築する。そして、カテゴリー同士の関連パターンを見るため、データを分析する。この関連パターンを知ることで最初の仮説が立てられ、後にフィールドで検証が行われる。カテゴリー同士の関係の整理は継続して行われ、関連のパターンが概念として示されるまで行われる。カテゴリーが構築され、結びつけられると、中核(中心)カテゴリーをめぐって理論をまとめる段階になる。中核カテゴリー、主要なカテゴリー、サブカテゴリーの層を成すピラミッド型に図式化して並び替える作業等が行われる。
分析では、どの段階においても、研究者はカテゴリー同士の関係や相互関係について仮説を立て、その仮説をデータと引き合わせて検証する。そのため、グラウンデッド・セオリーによる研究では、データの収集と分析を並行して行うことが研究の方策として不可欠である。データ収集は、それ以上新しいカテゴリーが出てこなくなる(飽和状態になる)まで続けられる。
その次に、「理論に基づくサンプリング」に基づき、データを収集する。理論に基づくサンプリングとは、そのカテゴリーを代表することを確認する必要がある際に行われる。グラウンデッド・セオリーで行う理論的サンプリングとは、他の質的調査に共通するトライアンギュレーションの原理に相当する。その場の事実が他の場においても存在することを見出し、その場の人の確信の程度と、その確信と行為が一致していることを確認する作業は、質的研究を行う場合に求められる妥当性の検証である。つまり、カテゴリーの検証と制度や緻密さを高めるためのサンプリングは、そのカテゴリーを証明するために、すなわち妥当性を証明するために行われる。
一方、グラウンデッド・セオリーによって生成された理論の信頼性は、理論を実際に使い、その理論が似たような状況や、また違うタイプの問題に対しても応用できるか否かによって検証される。
グラウンデッド・セオリーの作り出す理論は具体理論(Substantive Theory)と呼ばれ、現場において実践者が考慮すべき様々な条件を案内図的に描き出すものである(深谷・大瀧、1995)。
また、研究者は調査のツールとなる。そのことによって生じる限界について、シェニツとスワンソン(1992)は次のように説明している。分析においては、研究者の訓練・経験といった研究者の特性が影響を及ぼす。また研究の過程では、問題に取り組む際の視野や収集したデータの多様性・量などが影響を及ぼす。グラウンデッド・セオリーを使って研究を進めていく過程では、思考は帰納的なものから演繹的なものに移り、演繹的なものから帰納的なものへと戻るため、研究者の思考もまた研究過程に大きく影響を及ぼすものである。
CD理論とフレーム理論
グラウンデッド・セオリーにおいては、データから得られた概念間の関係を説明する際、図式化することを方法として上げている。これを詳しく説明するものがCD理論とフレーム(Frame)理論である。
CD理論とは、人工知能の研究においてSchankが提唱した理論である。Schankは文章を構成している概念が持つ意味の間に関係が存在することに注目した。この関係は概念依存関係(Conceptual Dependency;CD)と呼ばれる。CD理論は、この概念依存関係を説明する理論である。CD理論により、文章において記述されている言語が構成概念を十分に説明してなくても推論することが可能であることが明示された(リッチ、1984)。
CDはひとつの事象の核(core)を表現するために簡単な構造を用いる。その構造は事象がどのように記述されたとしても、常に同じである。その構造は、「どのEVENT(事象)もひとつのACTOR(行為者)、その行為者によって遂行されるひとつのACTION(行為)、その行為が遂行するひとつのOBJECT(対象物)、その行為が向けられるひとつのDIRECTION(方向)を持つ」という要素で構成されている(シャンクとリーズベック、1986)。
CD理論では、事象は上記の構造の要素を持つことが前提となる。そのため文章において事象についての記述が不十分であっても、存在するに違いない行為者や対象物等があれば、それらを暗黙に仮定(Default Association;ミンスキー、1986)し、概念の持つ意味を補うことが可能である。この作業は、コンピュータ・サイエンスの用語であるスロット(slot)を用いて「スロットを埋めること(slot-filling)」と表現される。スロットとは、特定の範囲の値によって埋められるべき場所を指している。この「スロットを埋めること」について詳しく説明したものがミンスキー(1986)の提唱したフレーム理論である。
ミンスキー(1986)はフレーム理論を次のように説明している。フレームとは一種の骨組みであり、記入するべき空白がたくさんある応募書類のようなものである。この空白は、「ターミナル」と呼ばれる。たとえば、部屋を表すフレームには、「台所」「寝室」「オフィス」等の多様な種類のフレームが存在する。そして、部屋フレームのターミナルには「天井」「床」「壁」の6面が相当する。さらに下位ターミナルとして、面にあるもの(机・椅子・テレビなど)が相当する。もし人が机を見た瞬間、居間の机であると思ったものが実際は台所の机であることが分かった場合、人の思考は「居間」フレームから「台所」フレームに移ることができる。つまり、部屋フレームの間は机という情報を持ったターミナルによってつながっているのである。
フレーム理論で用いられるターミナルという用語はCD理論におけるスロットと同義である。もし、スロットに埋めるべき値が実在しない場合は暗黙の仮定によって値(暗黙値)が埋められる。暗黙の仮定とは、考えられる理由が他にない時に行う過程である。知っていること(あるいは知っていると思っていること)の大部分は暗黙の仮定によって表現されている。暗黙の仮定はフレームの空白部分(スロット)を埋めることによって、典型的な物事を表現する。各スロットには暗黙値が埋め込まれている場合もあり、他に相反する情報が存在しない限り、ことは通常通りに運んでいると仮定される(リッチ、1984)。
また、人間が事象を理解するために持たねばならない知識を組織化したものはスクリプト(script)とよばれる(シャンクとリーズベック、1986)。スクリプトは特定の状況におけるよくある出来事の流れを記述する構造を持つ(リッチ、1984)。例えば、誕生パーティーというフレームの中のスクリプトは、到着→ゲームをする→歌を歌う→ろうそくを消す→ケーキを食べる、というスロットの集合から成立している(リッチ、1984;ミンスキー、1986)。
スクリプトは常識的な決まりきった一連の手順を記述したものである。したがって、人がその知識を持っていれば、事象を説明する文章の途中に省略が存在しても、暗黙に仮定した情報や意味(スロット)を補うことや、次の行動を予測することが可能となるのである(難波・安西・中嶌、1986)。
この論文では以上の理論に基づいて調査の手続を踏み、調査から得たデータから事象を解釈することを試みる。