表1 治療関係スケール(山本・越智、1965)11尺度のうち共感に関係している「セラピストのストランド」の4尺度;

TCEExperiencing what a therapist accepts his client

FAUFocussing aspect of Experiencing

RFCRegert for client

RCTManner of relating in therapist 

 

TCE

治療者の体験として取り入れられたクライエントの経験へのかかわり

相手から伝わってくることには全く注意を向けない。相手の述べていることの意味もよくわからない。呆然とした形でしか感じられない。自分の中には相手から伝わってきた呆然としたものに対する反応としての経験でいっぱいになっている。たとえば奇妙な、異常な安心できないといった反応でいっぱいになり相手から伝わってくる相手のいわんとしていることにはまったく目が向けられない。

相手から伝わってくることに目を向け出すが、それは言葉の一般的な意味の次元でわかろうとする。こちらの中にいろいろと実感されていることには目を向けない。言葉の概念的な枠の中でしかとらえない。こちらで持っている常識的な概念的枠組みでその相手の言う言葉の意味をとらえてわかった感じになる。

相手から伝わってくる呆然とした実感するようになる。しかしその実感に基づいて相手のいわんとすることを理解するのでなく、こちらに持っている常識的な枠組みや専門家的理論的枠組みの一つの要素として理解したりする。こちらに伝わっている実感を感じてもそれに対する吟味は全くしない。

相手から伝わってくる実感の次元で相手のことをとらえるようになるが、その場合その伝わってきた実感を吟味して、その上でとらえるのではなくこちらにあらかじめ実感できる面に対応している限り実感できるのであり、その限りでは狭く選択的である。こちらが共鳴できるところで分かったとして安住してしまい、共鳴できない面は無視されたり、概念的にとらえてしまう。実感を定着させる努力はそこにはほとんどみられない。

相手から伝わってくる実感を吟味し定着させようとする努力がでてくる。相手から伝わってくる呆然としたものを感じ、それが何か、はっきりととらえようと努力する。今までこうだと受けとっていたものでない面があることに気づいてそれに目が向いてくるが、それを充分実感できないままでいる。実感しようとする努力があるが、実感できていないため概念的な枠組みでの捉え方がまだ残っている。

相手から伝わってくる実感に基づいて相手のことをとらえようとする努力の中に定着した実感をする。その定着した実感は乏しいがその実感にそってあいてをとらえようとする動きがでてくる。自分の表現した言葉とそこで実感していることのずれを感じ、そのずれを訂正する動きがとれる。定着した実感から時には離れてしまうが、概念的な枠の中でとらえることはほとんどなくなる。

相手から伝わってくる実感が自分の中で豊かに定着してくる。その実感にそった表現が、まだ時々ずれることがあり、ぴったりとしたが表現をさがす努力はまだの残っているが、ずれの修正は自由に行われる。表現と実感のずれが時々あるので相手と充分な一体感を持った動きとまで入っていない。

相手から伝わってくる実感が豊かに定着化され広がりを持ってくる。それと同時にその表現もじぶんの気持ちの表現のごとく定着した実感にぴったりしていて自由になっている。自然な一体感を持った動きとなっている。そこには努力してとらえるという意識もなく自然で自由なうごきがあるだけ。

 

FAU

クライエントを理解するときの焦点の向け方

相手の述べていることがなにを意味しているのかはっきりとは分からない。相手を理解するにもどこに焦点を向けていいのか分からない。相手の姿、相手のしゃべっていることそういうことに目は向けていても、それをどう処理していいか分からない。相手の話の内容を断片的に分かる程度で、まとまった形でなにをうったえているか、はっきりとはわからない。

相手の述べている話の内容に目を向ける。相手の訴える問題の内容、症状の内容を相手から切り離した形でとらえる。話題の中での話の筋道や、因果的なつながりに理解の焦点が絞られる。相手の気持ちの面にまでは、ふれることはしない。

相手の述べている話の内容をとらえようとする傾向と同時に、そこにでている気持ちの面にも焦点が向けられる。しかしその気持ちは相手が実感していることとして、とらえているのではなく、相手から切り離した形で、ある枠組みの中に当てはめてとらえたり理解したりしている。こちらでその気持ちを実感して受け持っているのではなく、内容と気持ちを概念的な枠組みの中に置き換えてとらえる。

相手の述べていることの内容と気持ちに焦点が向けられているが、特に気持ちの面に部分的に実感し共鳴するようになる。しかし気持ちが実感できるようになっても、相手の気持ちとして分かるというのでなく、自分の気持ちと共通しているということでよく分かるので、そこでは相手の気持ちとしてとらえることができない。自分の気持ちに共通していない面は、実感できないため、概念的な枠組みの中で置き換えてわかろうとする。

相手の伝えていることの内容面よりも、気持ちの面に焦点が向けられる。それと同時にその気持ちを相手の感じている気持ちとしてとらえようとする努力がでてくる。相手が自分の問題に対しどう取り組んでいるかに関心が向けられるが、そのことが大切だということが分かってきたところで、実感のレベルでとらえるまでにはほとんど達していない。焦点がそこにあっても、とらえたものは相手から離れた概念的なものになっている。

相手の伝えていることから相手が自己の直面している問題にどういう気持ちを抱きどのように取り組もうとしているかという点に深い関心が寄せられ、相手そのものの動きとしてとらえることができてくる。しかし、まだ相手の一瞬一瞬移り変わる動きそのものをぴったりとらえることができるところまでいっていない。相手の動きを相手から離れたところでとらえがちなところが残っている。

相手の伝えていることから、相手の取り組み方そのものに充分深い関心が向けられ相手の動きの一瞬一瞬移り変わる動きそのものをぴったりととらえることができるようになる。しかしまだ相手の取り組み方としてとらえるという捉え方で、相手と充分な一体感を持った捉え方に達していない。

相手の取り組み方、そのものに充分深い関心が向けられ、相手の動きを一瞬一瞬新しい動きとして豊かにとらえながら、さらには相手のものとしてという意識はほとんどなく、充分な一体感を伴って受け取れている。

 

RFC

クライエントに対する関心のあり方

1

相手に対して聞こうとする態度はあるが、それは全く表面的なもので、内心では相手そのものに様々に反応しており、時にそのまま聞くことが耐えられないほどの否定感情がでてしまっている。相手そのものに対して関心を寄せることは全くできないでいる。

2

相手に対して一応聞く態度はある。しかし相手を問題を持っている人、異常な人悩みのある人としておくことで聞いているので、相手の提出する問題、症状についてその人と切り離して聞いている。その人のその問題への気持ちの持ち方取り組み方になるとなぜそういう気持ちになるのか、そんな取り組み方をするのか、相手から離れたこちらで感情的に反発したくなる。どうにかしなくてはならない人としてControlしたくなりいらいらする。

3

相手に対して一応聞く態度がある。しかしそれはこちらに持っている枠組みにあわせて相手をとらえようとする態度で、相手の問題やその問題への取り組み方をこちらの枠組みの中で解釈し、ある方向へ向かっていくことを肯定したり、否定したりする。相手そのものの方向をそのまま認めることはしないで、こちらがControlする意識が強い。相手がControlに従わないと否定的な感情がでてくる。

4

相手に対し意識的にある枠組みの中でとらえようとする態度はほとんどないが  自分で意識してない枠があり、相手の捉え方はこちらの実感できる面でしか捉  えられず、相手そのものの姿として捉えることができない。こちらの実感できた範囲内で相手をこうだと分かった感じを持ち、その相手が肯定できれば安心し、肯定できないと不安になり、頼りない人と感ずる。こちらの受け取り方にそった方向に相手が向かうことを期待する。ときにはControl意識もでてくる。

5

相手の取り組み方そのものを聞こうとする努力がでてくる。しかし、相手の姿が何かあるのだと頭では認められても、現実には部分的にしか伝わってこない。否定感情はほとんどないが、受け取れない感じられない面が全面にでて、それにふれられないもどかしさが伴う。聞こうとする努力が全面にでて、それにこだわるので、相手を充分肯定できないで、相手の動きを限定し、束縛してしまうことがある

6

相手の取り組み方、動きそのものをそのまま認めることができるようになる。相手の姿そのものにその人らしさというものを少しづつ感じられてくるが、まだ充分でなく、どこかこちらの受け取り方の偏りや、やや概念的な受け取り方で、相手を限定する傾向が残っている。しかし相手らしさをそれとしておいておける段階になっている。

7

相手の取り組み方、動きそのものをより深く認めることができてくる。その人らしさの中に広がりを持った実感を感じだしてきて、その人らしさがそのまま伝わってくる。相手を限定する傾向はわずかしか残っていない。しかしその人らしさとしておいておく傾向があり、より深く一体感を持つまでには至っていない。

8

その人らしさがより大きな豊かな広がりを持ち生き生きとした実感として響いてきてその人のあり方がより深いところで伝わってきて、それを充分認められるようになる。そこには相手を前にしているという意識もなく、相手そのものに、ほとんど一体感を持って素直に対せている。

 

RCT

クライエントとの関係の持ち方

1

相手の存在、内的世界がそこにあるということは全く無視されているか、またはそれがあることに気づいていない。相手はただこちらが反発し、反応する対象でしかなくふれあうことは全くできない。

2

相手の存在、内的世界がそこにあるということはほとんど無視されている。相手から提供される問題、訴えの内容を相手から切り離したところで問題にし相手のない的世界にふれることはほとんどしない。こちらはこちらで自分の存在を聞く役割に限定して相手と面している。その意味で全く相手の存在と離れた関係を保ち遠うざかっている。

3

相手の存在、内的世界がそこにあることを考慮し出すが、実感する段階に至っていない。相手の存在を独自な存在として捉えることをしないで、むしろ一般的な枠組みの中に置き換え、その枠組みの中で相手とふれようとする。その意味で相手の存在を距離を置いて冷静に眺められる立場に立つことで、相手との関係を持とうとする。

4

相手の存在、内的世界を実感し出すが、それは一部であり、しかもその実感は相手のものとしてではなく、自己の内的世界での体験とごっちゃになっている。相手を独自な存在としてみることはできず、こちらの内的世界と類似しているか相違しているかという相対的な対象としてしか、限定された一部の相手にしかふれられていない。相手の内的世界の一部に近づくが、他の面は離れている。

5

相手の存在、内的存在が実感されてはいるが、その実感された相手の内的世界がその人独自のものらしいということは分かってきても、それを実感できないままでいる。その独自性が分からず、相手が遠くにいるような感じを持つときもあり、それにふれようと努力して結果的には4の段階の関係を持ったりする。また独自性の呆然とした感じはこちらを不安にさせ、自己と他者の分離を充分実感できないままでいる。

6

相手の独自な存在、内的世界があるのだということが実感され出す。相手の独自な世界内のこととして、自己と切り離して捉えることができる。しかし相手の独立な世界が自分と切り離されたところにある感じがして不安が潜んでくる。相手の独自な世界として捉えていても、それに近づいたり、働きかけたりする時、相手の独自な世界が見えなくなる。

7

相手の独自な存在、内的世界をそのまま自己と独立に存在していること充分に認めることができるようになる。自己と他者の分離ははっきりしていて、ごっちゃになったり、独自性が見えなくなることはない。しかし相手の世界と自己の世界のつながりが充分には実感されないままでいる。

8

相手の独自な世界をそこにそのまま自己と独立な存在として認めるだけでなく  自己の世界と相手の世界とのつながりが充分に実感されたくる。相手と自己の  独自な世界がそこに一体感を持って深いつながりを持った存在として、深く実   感される。

 (改正・治療関係スケール  越智・山本,1967