第一節 在日韓国・朝鮮人一世のおかれている現状

現在の状態

健康状態

Aさん:昨年、交通事故に遭い入院した経験がある。現在も通院中。息子さんのほうは耳が聞こえず、両足が不自由。杖を使えば近くでなら何とか歩ける。しかし遠いところでは車椅子でないと無理。

「交通事故に遭って足はまあ時々痛む。さむなったらこたえる。」

「私はもう病院だらけや。目医者も行くし歯医者も行くし。心臓も悪いから病院にかよっとる。」

「お兄ちゃんは杖ついたり。まあ遠いところに行くんやったら車椅子やけど、このへんぐらいやったらな。ぼちぼちいきようから。」

退院する際、一番気になったことは自分の足のこともあるが息子さんのことだ。退院して一ヶ月ほどはホームヘルパーをつけていた。入院していた間、息子さんの面倒は近所の人や娘さんがしていた。

「自分が治ったら歩けるかっていうのも心配やけど、お兄ちゃんのことも心配やし。家も当たってないし。もう悩みばっかりや。まあみんながね、ようしてくれたから。」

「退院する時は困ったことってあったけど、まあ、ヘルパーさんをつけてくれたから、洗濯とか掃除とかやってくれたけどな。一ヶ月ほどな。」

(Aさんが入院していた間、息子さんの面倒はだれがなさってたんですか。)

「そやからもうみんな近所の人とか娘とか。みんな交代交代で。」

Bさん:特に今のところからだの事で困ってはいない。医者には通ったことはあるけれども入院したことはない。足が震災前から少し悪い。そのことで時々今でも病院に通っている。ひざのあたりを中心に両方の足が痛い。だから遠いところは行けないけれど、近いところなら時間をかけてゆっくりなら自分で歩ける。

Cさん:もともと喘息もちで病院にはよくいっていた。いまは喘息のほうが治りかけているので病院にはいっていない。御主人のほうは足が悪いが病院にいくほどでもない。

「困っていることは喘息だけやけど、喘息は治りかけとうからね。前はひどかったけんど。最近は入院せえへん。」

「主人はもう、足が悪うてもな、医者には頼らへん。(私が主人の)足をようさすったとう。」

 

家族・親族・近隣との相談、社会的支援について

Aさん:息子が二人、娘が一人居る。娘のほうは生活も安定しており何も心配することはないが、長男のほうは離婚して子供も居るので心配である。同居している息子は末っ子になる。子供たちはちょくちょくきてくれる。近隣とのつきあいのほうは仮設住宅に住んでいる人が少なくなってきたのでそれほど密ではない。どちらかというとRさんのような事情をよく知っている人に相談することが多い。

今現在、むすこさんは週一回のデイサービスと週四回、作業所に通っている。Aさんはデイサービスを週二回にしたいと考えている。また杖や車椅子は役所のほうから給付されている。

「まあ娘はいうことないのよ。長男は苦労ばっかしや。若い時から嫁さんと別れて。」

「ここ(=仮設住宅)にはもう二軒だけですわ。こういう役所のこととか民生委員のこととかよその人にいうてもわからへんもん。やっぱ知った人にこうやああやいうて電話かけたりな。」

(息子さんはデイサービスに満足なさってるんですか。)

「そうやね。ああいうところにいくのがちょっとたのしみみたいや。きいたらうれしそうにはなしすんねん。」

W病院のところにデイサービスのとこがあんねん。もう一回あったらいいなーって思うから。本人は二回でもいいねんけど区役所のほうが二回してくれるかくれへんのかな。」

「作業所。この下に身体障害者の作業所があるんやわ。そこいっとんねん。4日。土曜、日曜、やすみやし。」

現在利用しているサービスはすべてボランティアや役所から得た情報だ。だがそのような情報が得られるようになったのは震災後のことである。また息子さんのことがよほど気にかかるのか障害者に関するサービスは比較的知っていた。ショートスティも一度だけ利用したことがある。

(デイサービスのことはどういうふうにわかったんですか。)

「みんな、ボランティアがいうてくれるし、役所の女の人とか区役所の人らがきてこういう事をしたらええよーっていうから。」

「一般の家に居てたら震災前は(定期的に)見回りなんかぜんぜんなかった。それで私わからんかったもん。ぜんぜん。」

(もし一週間ほどAさんがでかけなくてはならなくなったら、息子さんは親戚に預けたりするんですか。)

「預けない。一周間ほど預けてくれるところがあるねん。一回は預けたことがあんねんやわ。」

Bさん:男の子が一人と女の子が7人。女の子は下関など遠くに居て孫とかもめったにこない。女の子の1人はすでに亡くなっている。長男は再婚している。今のお嫁さんの間にはこどもはいないが、先妻のと間に三人の子供がいる。長男は近くに住んでいることもあって結構頻繁に訪ねてくる。近所の人との付き合いもほとんどない。近所にだれが住んでいるのかも分からない。

一週間に一度、ホームヘルパーさんがたずねてくる。仮設に居た時から来ている。だから震災以降の仲だ。それまではそういった制度(福祉サービス)があるとも知らなかったし、知るすべもなかった。しかし、日本人のヘルパーだからあまり気が合わない。出不精で自分のほうから積極的に外界と接触を持とうとしない。どちらかといえば強制的に連れていけば出て行く。つえも持っているが使わない。

Cさん:息子が3人と娘が2人いる。長男夫婦とは同居。次男は明石、三男は伊丹に住んでいる。子供たちはたまに電話をくれたり、たずねてきてくれる。近所に親しい人が一人いる。日本語の読み書きができないため、難しい手続きはすべてお嫁さんがしてくれる。困った時に頼りになるのはやはり家族である。

「困った時は家族に相談せんな、だれに相談するの。」

「難しい手続きは全部お嫁さんがしてくれる。だって、何にも字が知らんからな。何ができるの。」

 

家計・経営・就労の変化、公的年金・生活保護の加入状況

Aさん:年金はもらえず、生活保護を受けている。いつも福祉の世話になっているという思いから肩身が狭い。今度、同居している息子が痔の手術をするためその費用をどうしようか途方に暮れている。役所にしばらくお金を貸してくれと頼んだら金額が高すぎるといわれた。医療券が使えるのは最初だけであとは現金で払っている。Aさんとしては交通事故にあったときに見舞金として出された100万円のうち使わずに返した30万円を今もらって息子の医療費に当てたいと考えている。

神戸市が無年金外国人に対して行っている救済措置制度も生活保護を受けているため対象外となっている。また障害者の手続きをしにいったら役所の人から生活保護をもらったほうがいいからそちらにしなさいといわれた。

(今、公的年金は?)

「なーんにも。私、何にもないから生活困って福祉もらってますねん。福祉の世話になっとうからおおきなこといわれへんやん。そりゃ世話にならなんだらどことまで大きい声だせるけんど。」

「痔の手術するのに32万円で通院は別や。それで私な、区役所行って頼んだんや。お金ちょっと貸してくれ言いうたらそんなたかいお金いうて。とんでもないこというないうて怒られたわ。高いか安いか本人は血はたれっぱなしやしな恐いいうてな。」

「保険きかへん、医療券もきかへん。実費や。その病院は保険きかへんとこやて。最初だけやて。医療券いるのは。」

「(神戸市が無年金外国人に対して行っている救済措置制度は)生活保護をもらっている人には無縁なわけですよ。年金だったら、胸を張って人に言えるんだと。だけど、生活保護をもらっていると胸を張っていいにくい。年金をもらって足りないところを生活保護で補うっていったら、まだ気持ちが違うんだと。」(Rさん)

「私はもう散っていくから、息子はまだ若いから身体障害者の手続きをしたわけ。したら民生もらった人は民生委員のほうがまだいいからせんでええいうて。障害者の金はうちはいっこももろてないんよ。」

Bさん:今は生活保護をもらっている。昔、夫が亡くなって幼子をかかえて困っていた時に知人からこういうのがあるよと教えてもらった。お金は長男のお嫁さんからもらっている。お金に関してこまっていることはない。

Cさん:日々の生活費は息子達がくれる。だからとくに困っていない。年金はもらっていない。神戸市の救済措置制度のことは聞いたことはあるが、息子達から自分達がはらってあげるからそんな面倒臭いもの手続きしなくてもいいといわれて何もしていない。つい最近、罹災証明を出さなかったことに気づいた。

「年金も何にもないからな。うちらいれるゆうても入れてくれなかったからな。子供らやな、孫らわな、年金でも保険でもいれてもらえる。年とったら入れてくれない。」

(どうして役所がしている措置制度を利用しないのですか?)

「神戸市がくれるんやろ。そういう話はきいとるけどまだもろてない。息子がいやがるから。そんなもんもらわんでもええいうて。」

「今でも税金だけはちゃんと払っとる。じいさんにはなしたらな、子供に邪魔にならん様にいきていかなあかんいうて

「罹災証明出さんかったから、この間わかってね。(罹災証明があるのとないのとでは全然違うよ。)

罹災証明をつくったら、ちょっとくれるかわからん。」

 

住宅

Aさん:震災後から仮設住宅に住んでいる。五回めにようやく当たった市営住宅は希望していたところではなく長田から離れた兵庫のほうになった。そのため、息子の病院やデイサービスの問題、Aさん自身の通院の問題などに悩んでいる。また人間関係を最初からやり直さなければいけないので戸惑いを感じている。

「長田やない、兵庫になんねん。兵庫になるから心配やねん。やっぱり長田の人は長田がええしな。だから友達でもここばっかしやんか。何でそんなとこ申し込んだいうけんど、そればっかしはな。いくら申し込んでもあたらへんから。」

Bさん:今は市営住宅が当たって、特に不便は感じていない。お風呂の掃除などはお嫁さんが来てしてくれる。長楽の仮設住宅に居る時も特に不便は感じておらず、日々の生活を流れに身を任せ過ごしていた。当時、仮設の世話をしてくれる役所の担当の方がいて事情をすべて察して一人一人に対処をしてくれた。だからBさんも市営住宅を申し込むに当たってそれほど苦労はしなかった。震災前から市営住宅に住んでいたBさんのような人は優先的に震災後も市営住宅に戻ってこられるようになっている。

Cさん:今は三世代同居なのでとくに不便を感じていない。

 

日常生活の様子

Aさん:息子さんが毎週水曜日にデイサービスに、土日以外は作業所に通っている。その間Aさんは毎日病院に通院している。病院から帰ってきたら、息子さんが帰ってくるまでに掃除、洗濯、買い物などをしている。

「息子が作業所に行っている間は病院に行ったりとか、洗濯したり。もうこんな状態や。こないして。」

「作業所は1400円。400円でも自分楽しみやいうていっとうから。弁当代だけたこつくねん。」

Bさん:一週間うちたまに友達の家に遊びに行く以外はほとんど家の中で過ごす。

Cさん:毎週土曜日に識字教室に通っている。それ以外はとくに出歩くこともない。夫のほうはCさんと一緒に識字教室にくることはなく、毎日パチンコに通っている。長男のお嫁さんがよくしてくれるし、生活に不自由はないけれどもなぜか心に風が吹いていると感じている。

(ひまわり教室にこられる以外、ほかにどこかに行かれたりしていますか。)

「ほかのところは何にも行ってへん。おじいさんは家におる。毎日パチンコにいっとる。」

「長男の嫁がなんでもやってくれるし、生活はなに不自由ないけれど何でか知らんけど、寂しい。」