第四節
ヒアリング調査からの考察今回、ヒアリング調査の対象者数が3人ということでサンプル数が少ないのは否定できない。だが高齢「在日」一世の多くの方がヒアリング調査を実施するのに気遅れなさり、受け入れが難しかった。今回、調査をする上でRさんには本当にお世話になった。Rさんがおられなかったら「在日」高齢者の方にお話を伺うことはできなかっただろうと思う。
私が神戸市長田区を対象にしたのは「在日」が多く住んでいるにもかかわらずあまり実態が把握されていないこと、大阪のように行政が目をむけようという態度が皆無に等しいこと、さらにそれらに覆い被さるように1995年におきた阪神淡路大震災で被害が一番大きかったことなどからであった。私自身、明石に住んでいながら震災前まで長田は近くて遠い存在だった。今回、調査をした上でいかに高齢「在日」一世の方が置き去りにされてきたか、地震によって生活が変えられたかを改めて思い知らされた。調査の結果を踏まえて、神戸市長田区の「在日」高齢者の生活課題を整理したいと思う。
<識字率の低さ>
「在日」高齢者の多くは日本語、母国語とも読み書きできない人が多い。そもそも日本に来た理由の多くは生活苦のためであって仕事をするのが精一杯であった。慣れない土地で子供たちを大きくさせることで頭がいっぱいで教育を受けるゆとりも金銭的な余裕もなかった。Aさん、Bさん、Cさんとも読み書きできなかった。そのため行政からの情報がはいってこない、そろえる書類がわからないという事態が起こり、手続きは家族に頼りがちになってしまう。
だがAさんのようにボランティアが何度か来てくれたり、Bさん、Cさんのように家族と同居(同居に近い形)の場合はまだいい。家族とも同居しておらず、頼る人がだれもいない独居の方はどうすればいいのだろう。そういう方のほうが多いのが現状だ。識字率の低さから見ても「在日」高齢者は福祉政策のスタートから取り残されているといえよう。
<社会的支援の低さ>
Bさん、Cさんとも頼るのは家族のみという感じを強く受けた。Aさんは身内の中にもいろいろ問題があること(長男の離婚など)、障害者の息子さんを抱えていることもあってRさんのように事情をよく知っている人に頼ることが多い。日本の高齢者も家族に頼る人が多いとはいえ、その率は年々さがってきており、「老後は子供の世話になりたくない。」という人が増えてきている。それに比べて「在日」一世は家族に頼らざるを得ないのが現状だ。
日本の高齢者はネットワークを広げようと思えば可能だが、「在日」高齢者は難しい。老人クラブにはいるにも「日本人の中に…。」と気後れしたり、Bさんのように日本人のホームヘルパーを嫌う人もいる。近隣の人にしてもAさんのように仮設住宅では流動も激しく、今では周囲に住んでいる人はほとんどいない。Bさんは市営住宅に住んでおられるが、周辺にだれが住んでいるのか全く分からないという。Cさんにしても週一回、識字教室に通ってはいるが、それ以外は家の中で過ごすことが多い。「在日」高齢者は経済的に見ても自立が難しいことからやはり「老後は家族に」の構図になってしまうのである。
<経済的基盤の弱さ>
「在日」高齢者の多くが無年金状態である。これは日本の公的年金制度のあり方と経過措置に問題があるためだ。(第三章で後述)そのため「在日」高齢者の生活費は家族に頼るか、生活保護か、わずかながらの自分の貯蓄に限られてしまう。「在日」高齢者の生活保護の受給率は日本の高齢者と比べて高い。
Aさんは「生活保護で福祉の世話になっている。」という思いが強いため、自分のお金でありながら毎月保護費はすべて使いきらず残すように生活を切りつめている。BさんやCさんは家族による援助があるのでAさんほどではないにしろ、やはり無年金ということもあって自立した生活は望めない。このように「在日」高齢者の人たちはぎりぎりの線で生活しているので不意の事態に対処できないのである。Aさんの息子さんの手術代の例をみてもそのことがよく分かる。
<不況に弱い仕事>
神戸市長田区に「在日」が多く住むようになったのは第一章でも述べたとおりゴム工業(のちケミカルシューズ産業に発展)によるところが大きい。Aさん、Cさんは地震前まではケミカルシューズ産業に従事していた。だが長田区の「在日」を支えつづけた職業であるケミカルシューズ業は概して不況のあおりをまともにうけやすかった。(第一章参照)
このことは阪神・淡路大震災による被害と工場の倒産数、生産高の減少をみても証明されよう。そのため民族差別のため不況に弱い職業にしか就けずケミカルシューズ業に傾倒していた「在日」の生活も安定性を欠いた。このことが老後の生活基盤の弱さにもつながった。
<権利としての福祉が確立されていない。>
Aさんは息子さんに関する福祉サービスについては積極的に利用しようとか知ろうとかいう姿勢が見られたが自分自身のこととなるとそんな余裕はないようにおもえた。BさんCさんに関しては福祉サービスに対する認知度・関心度は皆無に等しかった。実際、
3人とも要介護状態ではないのでそれほど緊迫したものとしてとらえていないと思う。また3人に共通していえることは「もう年だから。」という諦めの心境があることだ。老後を有意義なものにするために福祉サービスを利用しようという考えはなく、あくまで福祉=役所からの施しという感じが強いようだ。そのためAさんから「福祉の世話になってる(生活保護をもらっている)から、大きな事がいえない。」とかCさんから「役所の世話になりたくない。」という発言がでたのだろう。一方、行政側からみた場合はどうだろうか。Aさんが障害者のお金を申請にいった時に生活保護のほうをすすめたことからわかるように明らかに権利として福祉を利用するという姿勢を踏みつけている。「在日」高齢者は役所をさまざまな制約を課してきたものとして捉えているし、歴史的にみても実際そのとおりだった。そのため日本の高齢者と比べても福祉サービスを利用しにくい、役所の窓口に行きにくいという状況が生じているといえる。