第三節 在日韓国・朝鮮人と公的年金制度

豊かな老後を送る上で欠かせないものに公的年金制度がある。公的年金制度は大まかに分けて厚生年金・共済年金などの被用者年金とそれ以外の国民年金の2つがある。被用者年金には当初から国籍条項はなかったが、民族差別によって厚生年金の対象外となる零細企業にしか働けなかったり、国籍条項によって公務員になる事ができなかった「在日」の人たちにとってはあってないようなものであった。そのため彼()らの多くは国民年金の対象者となるはずなのにそれさえもしめ出される事になったのである。なぜこのような事が起こったのだろうか。それは年金制度が創設された時の国籍条項による排除とそれが改善された後、充分に経過措置がとられなかったことによる。

年金制度は収入が途絶える状況になった時に援助しようというもので大まかに分けて

  1. 労働能力が衰退する老齢になった時の老齢基礎年金
  2. 主要な働き手が死亡した時に残されたものに対しての遺族基礎年金
  3. 年金加入中に障害者になった時の障害基礎年金

3つの状況が想定される。ここでは年金制度と在日韓国・朝鮮人の関係を歴史的に3つに分けて説明していきたい。

 

第1期(1959年11月1日〜1981年12月31日)

1959年11月1日より国民年金法が制定され、1961年4月1日より拠出年金がスタートした。このとき国民年金に加入できるものは

<1>20才〜60才までの者で25年以上保険料を納められる者

<2>日本国内に居住している者。日本人でも海外に住んでいる者は対象外。

<3>日本国民であること(在日アメリカ人だけ1953年に締結された日米友好通商条約第3条によって加入が認められた。)

の要件を満たしている者であった。そのため1952年のサンフランシスコ講和条約によって日本国籍を喪失され外国人となった在日韓国・朝鮮人は国籍条項によって年金受給者の対象外となった。しかし日本人でもすべての人がこの要件に当てはまらない。そこで政府は以下の4者に対しては経過措置を設けて年金制度から取り残されないようにした。

  1. 1959年11月1日の時点で35才を超えている者。
  2. 60才までに25年間保険料を納めることができないので資格期間の短縮措置を行った。

  3. 196141日の時点で50才を超えている者。
  4. 原則として国民年金に加入できないが保険料を納めていなくても70才から年金を受給できるようにした。

  5. すでに母子家庭・準母子家庭の状態にある者。
  6. 国民年金に加入していた期間の事故でなくても母子福祉年金・準母子福祉年金を支給した。

  7. 1959年11月1日の時点で20才をこえている障害者

国民年金に加入していた期間の障害でなくても障害福祉年金を支給した。1968年小笠原諸島が返還され、1972年には沖縄が日本に返還された。それまでこれらの地域に住んでいた日本人は同じ日本人でありながら日本の領土ではないということで国民年金の対象外となっていたが、領土返還に伴い日本政府は過去にさかのぼって年金を収めていない間も収めたことにして不平等がないようにした。だがこの視点でみてみると在日外国人の人は過去にさかのぼってもらうこともできずに相変わらず国民年金の対象外であった。(注:1994年には中国在留孤児に限って同じような措置がなされた。彼らは過去に保険を収めていなくても戦争犠牲者ということで国庫負担金の三分の一だけ支払ってもらえるようになった。また保険を追納すれば一般の加入者と同じように支払われることになった。『みなし免除制度』だがこのときも「在日」は対象外であった。)

 

第2期(1982年1月1日〜1986年3月31日)

1981年に日本は難民条約を批准し、翌年1月1日から施行した。難民条約の内外人平等の原則にともない国籍条項が廃止された。しかし内容としてはかなりの問題点を残したままだった。

  1. 1982年1月1日の時点で35才を超えている在日外国人
  2. 60才までに25年間、保険料を納めることができないので老齢年金は支給されない。

  3. 1982年1月1日の時点で60才を超えている在日外国人
  4. 国民年金に加入することも老齢年金を支給することもできない。

  5. 1982年1月1日の時点で母子家庭・準母子家庭の状態にある在日外国人
  6. 母子福祉年金、準母子福祉年金は支給されない。

  7. 1982年1月1日の時点で20才を超えている在日外国人障害者

障害福祉年金は支給されない。

すなわち日本人に対しては無年金者にならないようにされた経過措置が在日外国人に対しては全く適用されなかったのである。

 

第3期(1986年4月1日〜現在)

1986年国民年金法が改正され、国民年金を全国民の共通した年金(基礎年金)とし厚生年金や共済年金は原則としてそれに上乗せする二階建年金制度がスタートした。それに伴いこれまでは任意加入であった専業主婦・学生(1989年より)が国民年金に強制加入されるようになり、名称も

老齢年金→老齢基礎年金(老齢福祉年金はそのまま)

母子年金、準母子年金、母子福祉年金、準母子福祉年金→遺族基礎年金

障害年金、障害福祉年金→障害基礎年金 に変わった。

専業主婦を国民年金に強制加入することで一つの問題が起こった。それは198641日の時点で35才を超えている専業主婦は被保険者期間が25年を満たすことができないという問題である。そこで政府(=厚生省)は彼女らが無年金者とならないようにカラ期間制度を設けた。「カラ期間制度とは、専業主婦等の国民年金の未加入期間をとりあえずは加入していたことにし、その後に実際に加入した期間を合わせて25年以上あれば老齢基礎年金を支給するというものである。ただし年金支給にあたっては、未加入の期間の分を差し引いて実際に加入した期間だけの年金を支給するという制度である。」注1:)

それに伴い在日外国人で国籍条項で加入できなかった1961年〜1981年までをカラ期間として認められるようになった。けれども60歳以上の人はカラ期間を認められなかった。また国民年金に加入できたとしてもカラ期間が認められたかったため、支給される年金額はわずかな額とならざるを得なかった。つまり1926年4月1日以前に産まれた在日外国人は老齢基礎年金も老齢福祉年金も支給されないことになる。もとをただせばこのカラ期間制度が設けられたのも在日外国人たちを救済するためなのではなく日本人の専業主婦に対する救済対策だったのだ。そのため今、現在も多くの在日韓国・朝鮮人一世の人たちは無年金状態なのである。

 

注1:)朴 鐘鳴 「在日朝鮮人 歴史・現状・展望」 (明石書店 1995年3月31日)P293 L12〜15

 

公的年金制度受給権について生年月日に着目して「在日」を分類すると以下の4つのグループに分けることができる。

 

生年月日

公的年金の受給内容

T

1926年4月1日以前

1986年4月1日の時点で60才を超えていたので

被用者年金の受給権がある人以外は公的年金はもらえない。

U

1926年4月2日〜

1947年4月1日

1982年の時点ですでに35才を超えていた者。

1986年よりカラ期間が認められ、公的年金の受給資格

を得ることができた。

V

1947年4月2日〜

1962年4月1日

1982年の時点で35才に達していない者。

25年の受給期間を満たすことができ公的年金が受給できる。

W

1962年4月2日以降

受給期間・受給金額は全く日本人と同じ。

 

上の表からもわかるように在日の期間が長く、税金も最も長く納めてきたTグループ(一世の人たちの多くはここに所属)には何の救済もされていない。高齢「在日」一世の老後の生活基盤は日本人高齢者と比較すると弱いことがよくわかる。