第四節 在日韓国・朝鮮人とその他の社会保障

大部分の社会保障制度が「在日」をふくめた外国人に適用されるようになったのは1979年の「国際人権規約批准」、1981年の「難民条約批准」以降のことだ。難民条約は1951年に国連で採択されたもので公的扶助、社会保障を網羅的に捉え、内外人平等をうちだしている。国政人権規約は1966年に国連で採択され、すべての人に国民的または社会的出身による差別なしに社会保険その他の社会保障について権利を認めるという均等待遇の原則がうたわれている。これら2つの条約批准は「在日」の生活向上を目指して批准されたものではなく、国際世論に動かされてのものだったが、国籍条項撤廃という大きな成果をあげた。(図6-1-1、表6-1-1参照)

社会保障は大きくわけて@社会保険A公的扶助(生活保護)B公衆衛生および医療C社会福祉 の4つにわかれる。@の社会保険はさらに <1>年金保険<2>健康保険<3>雇用保険<4>労働災害保険 の4つにわかれる。「在日」一世がもっとも必要とする公的年金制度については前節で述べた。それではその他の社会保障制度は「在日」の生活を保障するものとなりえているのだろうか。

 

  1. 社会保険
  2. 健康保険、雇用保険、労災保険の被用者保険については制定当初から国籍条項はなかった。ところが「在日韓国・朝鮮人は不合理な雇用差別のため、国籍条項のなかった被用者保険の適用を受けない自営業またはサービス業などの事務所か従業員が常時5人以下の零細企業に勤める人がほとんどである。そして国民健康保険には1986年まで国籍条項があったため、「在日」は長い間どちらの保険にも加入できなかった。」 注1:)

    被用者およびその家族以外を対象とする国民健康保険については「86年4月の国民健康保険法施行規則の改正により、従来各市町村ごとで条例によって定められていた外国人に対する国民健康保険の適用について、国籍条件を廃止し、国内に住所を有する外国人にも原則として適用されるようになった。在日韓国・朝鮮人への適用については、67年の『韓国籍』の者だけが加入できる『協定国保』により、そして70年代に入ってから市町村の条例により国保への加入が進んだ。ただ、それまでは自費治療を強いられていたのである。」 注2:)

     

    注1:)姜 在彦 / 東勲「在日韓国・朝鮮人 歴史と展望」(労働経済社 198995)P193 L13P194 L2

    2:)庄谷 怜子 中山 「高齢在日韓国・朝鮮人」(御茶の水書房 1997年)P269 L1723

     

  3. 生活保護法
  4. 前節でも述べたとおり、「在日」一世の多くは無年金者であるため生活保護に頼る割合が非常にたかい。1946年の(旧)生活保護法には国籍条項はなかったが、1950年の(新)生活保護法になると外国人の適用を「準用」とし、現在に至っている。そのため生活保護は「在日」にも適用されているが、権利としてではなく恩恵的なものとされ不服申し立てをすることができないとされている。公的扶助の大まかな流れと「在日」の関係を見ていくと以下のようになる。 注3:)

    1。併合下(じゅっきゅう規則・救護法)

    併合下においては在日朝鮮人は日本国民とされたので、法の適用を受けることは出来たが、その実体は根強い差別のため徹底したものではなかった。またそれ以外の国籍の外国人に関しては皆無であった。

    2。旧生活保護法

    旧生活保護法はGHQの覚書きをふまえてつくられたので欧米人優先の措置が強かった。従来通り在日朝鮮人は日本国民として扱われた。具体的な内容としては「(ア)被保護外国人のうち欧米人種およびこれと同様な生理的条件を有する外国人に対する生活扶助費は1人月額6100円を加算すること。 (イ)中華民国・タイ国・フィリピン人など日本人と同様あるいは類似の生理的条件を有する人種についてはこの加算は認められない。」(p278)

    3。(現)生活保護法

    1951年の平和条約によって在日朝鮮人は日本国籍を失い外国人扱いとなった。外国人についての生活保護の原則は以下の通りである。

    (ア)外国人は原則としてその適用を認められない。

    (イ)「当分の間」これを認めるが、権利として認められないから保護が廃止されたり、保護金額が減らされても不服申し立てをすることが出来ない。

    ()学校教育法第1条に規定する小学校・中学校以外の各種学校には教育扶助を適用しない。

    このようにみてみると「在日」は一貫して公的扶助から排除しようという日本政府の態度が読み取れる。

     

    3:)以下の引用の大部分は 吉岡 増雄 「在日外国人と社会保障」 (社会評論社 1995)からによる。

     

  5. 公衆衛生および医療
  6. 6-1-1をみても特に「在日」には適用されないということもない。ただ一部の法には超過滞在者は適用されないところがある。最近話題になっている超過滞在者の医療費未支払い問題など解決しなければならない事も多いが、ここでは紙上の関係上、省略する。

     

  7. 社会福祉サービス

生活保護法をのぞく社会福祉5法(児童福祉法、身体障害者福祉法、精神薄弱者福祉法、老人福祉法、母子および寡婦福祉法)においては制定当時から国籍条項はないとされていた。しかし児童手当や母子家庭への貸し付けは外国人には排除されていた。

児童手当は1971(昭和46)年に公布されたが世界的にみてみるとむしろ遅いぐらいだった。手当ての受給資格者は児童(18歳未満)を養育する者で

(ア) 日本国民であること

(イ) 日本国内に住所を有すること

(ウ) 所定の児童を養育していること

この3要件を満たしていないと手当てはもらえないとされた。しかしこのような手当てでは養育者が日本人で養育される児童が外国人の場合は手当てが支給され、養育者が外国人で養育される児童は日本人の場合は手当てが支給されないという矛盾が生み出されるようになった。この矛盾に対して在日朝鮮人の民族団体が国民年金・児童手当を含む「児童諸手当」を適用するように厚生省に申し入れた。政府は1979(昭和54)年、インドシナ難民の受け入れとともに厚生省は在日外国人に国民年金・児童手当などを適用するよう法律を改正することで合意し、1982(昭和57)年の難民条約締結に伴い国籍条項は撤廃された。 4:)

同じく社会福祉を内容とする公営住宅の入居についても1979年の国際人権規約の批准まで日本国籍を有しない者は入居することができなかった。公営住宅法、住宅都市整備公団法、地方住宅供給公社法に国籍条項があったためだ。また住宅金融公庫の融資も外国人には資格がなかった。「長い間、多くの『在日』はバラック小屋などを自前で建てて住むか、親戚に家持ちがあれば間借りするなどの劣悪な住居条件にあった。大阪・京都・神戸・川崎・横浜などの『在日』の集住地区はこうして形成されてきた。なかには京都の東九条のように違法とわかっていても洪水・溢水の危険に常にさらされている堤防上の河川敷に小屋を建てて住まざるをえなかったという例もある。」 注5:)

今日の社会福祉サービスに関しては老人保健法だけが「国民の老後」というふうに国民というかたちで国籍主義を明確にしているほかは、一般的には国籍条項はなく極めて緩やかである。だが実態を見ると「在日」一世の多くは社会福祉サービスを利用しにくい状況だ。この事は第二章のヒアリング調査からでも明らかだろう。

 

4:)扶養手当についての説明の大部分は 吉岡 増雄 「在日外国人と社会保障」 (社会評論社 1995)からによる。

5:)仲尾 宏「Q&A 在日韓国・朝鮮人問題の基礎知識」(明石書店 1997830日)P75 L26