<<<<<<<<<<<<<<<<書籍用カード情報>>>>>>>>>>>>>>>> 著者名:Ruth Fulton Benedict 書籍名:定訳 菊と刀 −−日本文化の型 出版社名:社会思想社 年:1946=1985 <<<<<<<<<<<<<<500字程度の要約>>>>>>>>>>>>>>>>> *引用は「」でくくり、その後にページ数を明記 ベネディクトは、恩と義理、恩返し、忠義、孝行、恥、誠実、自重といった徳目について 述べている。  恩とは目上の者や同等以上のものから受けた債務であり、恩返しが求められる。 「『恩』は負債であって返済しなければならない(P133)」。  恩返しには義務と義理がある。  義務には忠義、孝行という無制限の義務や、すべてを返し尽くせない君の恩、天皇の恩 (皇恩)や親の恩への義務がある。  義理には世間に対する義理と名に対する義理がある。 「名に対する『義理』とは、自分の名声を汚さないようにする義務である。」(P.168) 主君や近親、他人に対する義理は返すことができるものである。汚名はすすぐことができる。 日本人は、「世間に対する義理が親切を返す義務であり、名に対する義理が復讐を その主たる内容としているという」判断基準によって義理を分けているのではない。 西欧では両者を「感謝と復讐という全く相反する範疇に分けている」(P169)が、 日本ではそれはあてはまらず、「義理」という一つの徳のもとにひっくるめている。  恥を引き起こし、「名に対する義理」が問題となるような事態を避けるために、様々な方法 によって日本人は失敗が恥辱を招くような機会を避ける。「名に対する義理」が脅かされた場合、 攻撃を自分に向ける傾向が強くなる。「日本人は失敗や誹謗や排斥のために傷つきやすく、したがって あまりにも容易に、他人を悩ます代わりに自分自身を悩ましがちである。」(P191)  「日本人の恒久不変の目標は名誉である」(P198)。日本人にとっては、自分の属している 世界で尊敬されればそれでもう十分な報いである。そして「義理を知らぬ人間」は「見下げはてた 人間」とされ、仲間から蔑まれ、つまはじきにされる。 <<<<<<<<<<<<<<要約者担当者名・要約日>>>>>>>>>>>>>>>                山田陽子・12月5日