<<<<<<<<<<<<<<<<書籍用カード情報>>>>>>>>>>>>>>>> 著者名:石川准 書籍名:アイデンティティ・ゲーム−−存在証明の社会学 出版社名:新評論 年:1995 <<<<<<<<<<<<<<500字程度の要約>>>>>>>>>>>>>>>>> *引用は「」でくくり、その後にページ数を明記  「何が逸脱であり、誰が逸脱者なのかを巡る紛争は、きわめて今日的な現象である(p・192)。」 スティグマを貼られた人々の政治活動は様々であり、それらが互いに対立しあっている場合もある。 これらの活動の共通点は、存在価値の防衛である。「スティグマを貼られた人々は自分たちの存在価値を 守るために、逸脱の政治に関与する。彼らは社会の支配的な逸脱の定義を修正することで、 自我に刻印されたスティグマを拭い消そうとするのである。(p.197)」  「人は自らのアイデンティティを管理する能動的な選択主体である(p.213)」が、「アイデンティティ は自給できない財であ(同)」り、「他者と自分との相互作用のさなかに生成する。 だから人は自らのアイデンティティを管理するために、他者に働きかけて、彼の自分に対する評価や処遇 を操作しようとする。(同)」  「印象を操作するためには、人は自我に没頭しなければならない。(p.230)」 印象操作→自我への没頭→ナルシシズムという内向きのベクトルは、人が功利的になるという結果を生むかも知れない。 このベクトルはスティグマを貼られた人々の運動を腐食することがある。それには、たとえば、フリーライダー問題や 裏切りの問題がある。  また、逸脱の政治がアイデンティティの相剋性を超克できずに、個我への没頭へと解体すれば、「それは 内向きのナショナリズム、内向きのレイシズム、内向きのセクシズムへと連なる。(p.231)」  「スティグマを貼られた人々の異議申し立ては、ナルシシズムへと向かう内向きのベクトルと、人間解放へと向かう 外向きのベクトルのはざまにある(同)」。 <<<<<<<<<<<<<<要約者担当者名・要約日>>>>>>>>>>>>>>>                山田陽子・8月23日