T.序論
背景
昨今、カウンセリングやソーシャル・ケースワークが、以前に増して、より一般化し浸透してきているようである。様々な心の傷や悩み・ストレスへの対処法として、あるいは自分探しを目的として、カウンセリングやソーシャル・ケースワークなど「心のケア」を求める人々は増えているといって良いだろう。例えば、現代家族の問題や教育の問題を背景として、虐待やアダルト・チルドレン、いじめ、不登校、引きこもり、家庭内暴力、摂食障害、モラトリアムの恒常化、「キレる」少年たちなど、現代の若者をとりまく様々な問題がある。また、高齢社会を背景に、ターミナル・ケアや介護における心労の問題などが注目されている。阪神・淡路大震災やオウム真理教事件、酒鬼薔薇聖斗事件などとも相まって、あらゆる場面で「心のケア」の必要性が説かれ、その重要性が認識されはじめているのである。
身近な具体例では、関西学院大学学生カウンセリングルームの利用者数が1990年代に入って急増していることが挙げられる。カウンセリングルームの利用者数とのべ面接回数は、10年前の1988年には333名・788回であったが、1997年には765名・2417回となった。10年間で利用者数は2倍以上、のべ面接回数は3倍強となり、特に90年代以降急激に伸びている。相談内容も、心理領域の内容が増加しており、その多くは青年期特有の悩みであるとの統計がでている(K・G・カウンセリング年報 No.25,1997)。関学生も「心のケア」を必要としているようだ。
目的
以上のような現状をふまえつつ、関学生の「心のケア」に対する心理的距離について考えることが本稿の目的である。「心のケア」に対する心理的距離を測定し、距離の遠近を決定する要因として自己意識特性を想定し、介在要因としてスティグマを考え、調査・考察する。
まずは、関学生の「心のケア」への心理的距離とスティグマを意識する度合いの相関関係について調査・分析する。関学生は、スティグマを意識するがゆえに、どの程度「心のケア」に対して距離を感じるのであろうか。
次に、スティグマを意識しやすい人とはどのような自意識特性を持っているのかについて検討する。公的自意識・私的自意識の高低と「心のケア」への心理的距離の相関関係について、また、公的自意識・私的自意識の高低とスティグマを意識する度合いの相関関係について、それぞれ仮説をたて、検証を試みる。
最後に、「心のケア」とは何かについて考察する。一般的な関学生が思い描く「心のケア」とはどのようなものなのか。今後、「心のケア」を考えていく上で参考となるような一般関学生の生の声を拾ってみたい。
意義
われわれは、「心のケア」に対する心理的距離の遠近を決定づける要因の一つとして、スティグマを考える。これまで、精神保健や社会福祉の領域には、「特殊な人がお世話になるところ」といったマイナス・イメージが付随してきたという歴史的事実が存在する。そのようなイメージが付随する精神保健や社会福祉の領域に、「患者」や「被援助者」として関与することには、スティグマがつきまとってきた。確かに現状としては、カウンセリングやソーシャル・ケースワークなどの「心のケア」への理解が広まり、各種相談機関や精神科の敷居は低くなってきてはいるように思われる。では実際のところ、どの程度「心のケア」は一般に理解されているのか。現状での「心のケア」に対するスティグマはどれほどのものなのか。各種相談機関や精神科を訪れる際、どの程度人々は後ろめたさを感じたり、人目を気にするのだろうか。
日本の社会福祉において、スティグマの問題は中心的課題として議論されることが少なかったのではないかと思われる。しかし、今後の社会福祉の発展を考え、社会福祉をより身近で利用しやすいものとするためには、スティグマの問題は見過ごせない段階にまで達しているといえよう。「心のケア」や社会福祉の必要性が説かれ、その存在が認識されはじめている現時点で、それらに対するスティグマの意識の実態を明らかにすることは、日本における社会福祉の歴史をスティグマという観点から見直す作業につながる。そしてそれは今後の社会福祉発展には必要で有益な作業であるといえるだろう。
また、スティグマを意識しやすい人はどのような自意識特性をもっているかという研究は、これまでの研究では、個人と個人の間や個人と社会といった「関係性」の中で語られることの多かったスティグマを、個人の意識レベルで捉え返してみようという試みであるといえる。
「心のケア」を取り巻く現状は、「心のケア」という言葉が先行し、イメージだけが語られている感が否めない。一般的な人々が考える「心のケア」とは、すなわちカウンセリングであることが多いようである。研究者や専門家の間でも見解の一致は定かでなく、議論され尽くしている様子もない。定義づけは困難であるようだ。われわれは「心のケア」すなわちカウンセリングという立場はとらない。心理的側面そして社会的側面の双方からクライエントを支援し、良い状態にもっていくことが、すなわち「心のケア」であると考える。われわれの立場を含め、生の関学生の声を集め、今後「心のケア」とは何かについて考えを深める一助にしていきたい。
仮説
・公的自意識の高い人は、スティグマを意識する度合いが高い。したがって「心のケア」 に対する距離も遠い。
・私的自意識の高い人は、スティグマを意識する度合いが低い。したがって「心のケア」
に対する距離も近い。
以上の仮説に基づき、われわれの最終的な目的は、「心のケア」への心理的距離を規定する要因としての自意識特性を実証することである。
「スティグマは実際は属性とステレオタイプの間の特殊な関係」(ゴフマン1963=1997
p13)であるが、要求されているステレオタイプに合致せずスティグマがあっても、
それを大して気にとめず傷つかない人もいる。そのような人は、「独自のアイデンティティに関する信憑(identity beliefs)に守られて」(ibid p17))いる人ということである。また、「スティグマのある者は、自己自身を他の人間とはまったく違ったところのない人間と規定するが、ところがまた一方では同時に、じぶんを彼の周囲の人々共々別種の人間と規定している」(ibid,p178)のである。ある属性がスティグマとなりうるかそうでないかは、属性それ自体よりも、それに対する他者からの反応と、彼の態度や感情によるのである。
われわれはこの考え方にヒントを得、自意識特性、その中でも特に公的自意識・私的自意識という概念に突き当たった。
公的自意識の高い人の持つ特徴として、@他者に対する承認欲求が強いA他者の行動の原因を自分自身に帰属させやすい、があげられる。とすれば、公的自意識の高い人は、他者の目を気にするためスティグマを意識する度合いが高く、「心のケア」への心理的距離も遠いのではないか。これに対して、私的自意識の高い人のもつ特徴としては、 があげられる。とすれば、他者よりも自分の信念にもとづいて行動するためスティグマを意識する度合いが低く、「心のケア」への心理的距離も近いのではないか。
このように考え、本仮説をたてるに至った。
文献レビュー
<心のケア>
一億総ストレス時代と呼ばれる現代(武藤
,1993)において心と体が病み、人と人と関係が病んで分裂した状態をもう一度結び合わせ、統合、調和の状態に復帰させるのに必要な「心のケア」(近藤,1997)が身近なものになりつつある。主として個人に対する心的援助関係は、援助活動の内容にしたがって、ソーシャルワーク、カウンセリング、心理治療などと呼んで区別する(平野,1985)が、内容的には重複する部分がある。援助関係の内容は以下の通りである。1、カウンセリング
カウンセリングは日本語で相談と訳されるくらい身近な心理的援助である。不安、孤独、悩みなどについて相談し、精神的な安定を図り、問題を解決し環境への適応をもたらす事を意味している。
2、ソーシャルワーク
相談内容が経済的、身体的、精神的、文化的な福祉のニーズに由来するとなると、それを解決するための援助はソーシャルワークと呼ぶ場合が多い。これはどちらかといえば社会保障に基づく具体的サービスが先立つ援助関係である。
3
.心理治療心理治療とカウンセリングとの区別の見解には様々な違いが見られるが、心理治療はカウンセリングと比べてより特殊で高度な治療法と規定されている場合もある。精神科医が精神医学の知見を基本にして精神的異常や症状を扱い、その治療と矯正を行う事と更に狭く規定している場合もある。
・心理療法の歴史と背景
心理療法はその起源を求めていくと原始的宗教、原始的神秘主義までさかのぼる。人類が集団生活を行うようになると死や病、飢餓、苦難から逃れたいという願望の中から呪術や原始的宗教が生まれた。その中で行われた宗教的行事が科学としての医学や心理学、芸術など多くの学問を分化させてきた歴史の跡が見られる。
ギリシアでは古代から人間の諸問題に関心を持ち合理的精神を持っていた。ギリシア啓蒙時代の
Hyppocrates(前400年頃)は、呪咀や祈祷による医療的行為を科学的医学へと道を開き医学の父祖と呼ばれている。しかしそのような科学的医学の明かりはGalenos(129〜199)の死により中断される。キリスト教が偶像崇拝を忌み嫌う所から、人々の目に見える精神疾患は悪魔の仕業でありそのような者を魔女と決め付け教会がこれを罰する事のできる制度を設けていく。宗教の名の下に行われた狂気の人たちに対する迫害の犠牲担ったものは数百万を越えるといわれる。このような中から狂気の人たちは逸脱者とされていくのである。そのため医学的心理学はその後12世紀までの長い間破壊を余儀なくされる。我が国においては明治の中葉においても狂気を狐憑きだと信ずるのが大衆の常識であった(秋元,1980)。13世紀後半にようやく新しい医学がおこり始める。
Agippaは不幸な精神的疾患の意味を説明し本来の人間尊重の目を開かせる努力を行った。Philippe Pinelが精神病院で鎖や足かせにつながれていた患者を解放した行為は第一次精神衛生革命と呼ばれるほど画期的な出来事であった。これはフランス革命の嵐の真っ只中、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットがギロチンにかけられた1793年の出来事である。精神病者の解放がフランス革命の人間解放と共通の基盤に立っているのである。それでは、我が国に精神科医療のあけぼのが訪れたのはいつなのだろうか。
18世紀末にヨーロッパでおこり続いてアメリカへと渡った無拘束運動(精神病者を鎖からはずす運動)と人道的道徳療法が我が国に取り入れられるようになったのは19世紀末から今世紀初めと百年の後れがある。明治維新によって近代国家への道を歩み始めた我が国であるが、文明開化の影で精神病の人達は社会から疎外されており、監禁と拘束は公然と行われていた。このような歴史において精神病、精神病者は異常者とされ恥辱や逸脱者のレッテルを貼られる事と同義であり、スティグマと深く関わっているのである。わが国の心理療法の始まりとされるのは
1901年呉秀三が患者を縛り付けるために使われていた強制用具の撤廃を行ったことである。呉らにより進められてきた精神科医療を改革する運動と「私宅監置の現況」が世論を動かし精神病院法が新しく制定された。こうして少しずつ増加していった病院、病床であったが戦争が激しくなるにつれ減少していくのであった。しかし戦後においては、昭和二十年から十年で病床は十倍、三十年以降十年で四倍、昭和四十年以降十年で一、四倍と増加している。また、昭和三十年からショック療法時代が終わり薬物療法に移行して行く中でこれまで入院が必要だった人も外来治療が可能になり精神病院は昔のように世の中から隔離された「狂人」を閉じ込めておくところから、社会活動に復帰するための心の病気の治療場所に変わることが可能になったのである。精神衛生運動から始まった心理療法の理論、立場は今日では集団心理療法、行動療法、クライエント中心療法、東洋思想、ケースワーク、心理測定、職業指導など40を越えており、関係者の間では精神病院や心理療法への敷居を低くするために開かれた病院、施設、制度を目指して日々努力がなされている。また、昨今心のケアの必要性が説かれ、認識され始めている中でわれわれの中でも心理療法はかなり身近な存在になりつつある。しかし心理療法には上記のような歴史が背景にあるため、否定的イメージやスティグマはまだ消えてはいないのである。
・大学におけるカウンセリングルームについて
学生相談を行うカウンセリングルームへの来談者が90年代から急増している。(関学ジャーナル
156号,1998)。学生相談というのは学生個人が大学生活を送る中で出会う諸々の問題、修学履修上の問題から始まって人間関係のトラブル、生活上の問題、人生上の問題、就職進学上の問題等々をカウンセリングを通じて自主的主体的に解決できるように援助していく教育である。来談する学生はごくまれに重い精神病などの場合もあるが大部分は数回の援助を受けることで切り抜けられる健康な学生たちである。このような健康な学生がカウンセリングルームの主たる対象である。このような学生が気軽に気軽に利用できるか否かは場所や宣伝の仕方にかかっている。カウンセリングルームと健康科学センター施設内での学生相談室という二つの施設を持つ大学では前者ではガイダンスやカウンセリングレベルのものが多く、後者はかなり重い心理治療を必要とする事例が多かった。「心の病んでいる人が行くところ」というイメージが強いと、学生が利用しなくなるのである。
・関西学院大学カウンセリングルームの現況
関西学院大学カウンセリングルームでは来談者が十年前(
1988)に比べ来談者数が倍以上、延べ面接回数が三倍以上に増加した理由としてカウンセリング自体の理解が浸透しこれまでと比べて学生が気軽に利用するようになってきたことや、性格検査や就職活動に関連して職業的性検査を受ける学生が増えたこと、「自分の内面を見つめ直したい」という学生が増えたこと、などを挙げている。相談内容としては転部、転学相談が極端に減る一方、心理領域の相談は年々増えてきている。その多くは同性との親密さ、異性との出会い、親からの分離、将来についての不安といった青年期特有の悩みである。こうした傾向はほかの国立、私立大学においても同様である。
<スティグマ>
・スティグマ(stigma)とは
ゴフマン(1963=1997)によると、スティグマはもともとギリシャ語であり、「奴隷、犯罪者、謀反人−−すなわち、穢れた者、忌むべき者、避けられるべき者(とくに公の場所では)であることを告知」するための刻印、「肉体上の徴」である。
のちにキリスト教の時代、カトリック教会では、十字架上で死んだキリストの五つの傷と同じものが聖人=カリスマにもあらわれるということから、「聖寵」の意味も加わった。 現在ではこの言葉は、もとのギリシャ語の字義通りに近い意味で用いられているが、「肉体上の徴」をあらわすというよりも、望ましくない属性そのものをあらわすために用いられる。スティグマとは、汚らわしいとか望ましくないとして他人からの蔑視や不信を受けるような属性のこと、とさしあたり定義づけられよう。ある属性に与えられたマイナス・イメージともいえる。このような由来をもつため、スティグマという言葉は日常語として用いられ、特に学術用語というわけではない。
スティグマとなる属性には三種類のものがある。
一つめは肉体的な特徴である。これには障害、病気、老齢などがあてはまろう。
二つめは性格的な特徴である。これには、「精神異常、投獄、麻薬常用、アルコール中毒、同性愛、失業、自殺企図、過激な政治運動などの記録から推測されるもの」がある。 三つめは集団的な特徴である。これは、人種、民族、宗教などに付随する集団的スティグマである。
・社会福祉とスティグマ
いまなお日本の社会福祉の領域にスティグマが残るのはなぜなのか。公的扶助の系譜を参考にしながら、戦前・戦後の社会福祉の歴史的変遷をたどることと、日本の文化的土壌を視野にいれつつ考えてみたい。
日本における社会福祉は、第二次世界大戦敗戦を機にまったく性格を異にしている。
戦前は救貧法の時代であり、戦後は社会福祉法制の時代である。救貧法時代の社会福祉は残余的社会福祉であり、社会福祉法制時代の社会福祉は制度的社会福祉である。
ウィレンスキーとルボー(1958 p,139)によれば、社会福祉には残余的社会福祉と制度的社会福祉の二つの機能がある。
まず、社会福祉の「残余的(residual)機能」とは、社会制度で充足されない場合に補充的に機能するものである。本来二つの「自然」の経路、つまり家族と市場経済によって人間の社会生活は充足されているが、病気・老齢・障害などの理由によって自己の充足を果たせない場合、第三の機能として社会福祉がはたらくのである。したがって残余的社会福祉の場合には、利用者にスティグマが付与されることになる。
「制度的(institutional)社会福祉」は、残余的社会福祉の補充的・安全網的な機能を拡大し定着させ、近代社会における通常の第一線機能として組み込み、主系統としての機能を果たすものである。したがって、利用者は施しや慈善の対象としてスティグマを付与されるのではなく、受給の資格条件にもとづいてその可否が決定される。
1874年(明治7年)、明治政府はじゅっきゅう規則を制定する。この規則は、日本で最初に国家が制定した貧困者救済の制度として評価される。しかし、その対象は相互扶助から漏れた「無告の窮民」に制限されていた。
半世紀後の1929年(昭和4年)、救護法が制定される。被救護者、救護機関、救護施設、救護の種類および方法の四章からなる、法としての体裁を整えたものであった。
「貧困ノ為生活スルコト能ザルトキハ本法ニ依り救護ス」と公的義務を明記している点が評価される。しかし、実施にあたっては依然厳しい制限扶助主義をとっていた。
じゅっきゅう規則と救護法、すなわち「救貧法」の特徴は三つある。第1に 、救済の制限。第二に、貧困は個人の責任であるとみなされること。第三は国家責任が不明確であること。これら三点である。救貧法においては、対象者は人情による助け合いや隣保相扶によっても救済されない者に限られた。具体的には老人や子ども、妊産婦、病人などである。貧困は自らの怠惰・過失のためだとされていたため、その救済に国費を用いるのは不公正であると考えられ、治安対策としてごく少数の人に限定して恩恵を与える、という性質のものであった。
このような状況の下では、「お上」の救済を受けること、救護や生活保護を受けるということは、怠惰な人間であるとか、助け合う者のいない孤独な奴だとか、お上にすがらねば生きていけない情けない奴だ、甘えている、などという烙印を押されることと同義であった。「スティグマは尊厳の喪失、不適切な処遇、抑制、落層、市民権の否定、恥、きまり悪さ、不利益、失敗と適応に対する非難、給付申請の際のためらい、レッテル貼り、そして劣等感と同一視され」(スピッカー 1984)るようになったのである。
第二次世界大戦敗戦後の1946年(昭和21年)、GHQの社会救済についての覚書にもとづいて、旧生活保護法が制定された。また、同年日本国憲法が公布され、第25条には国民の生存権と国の保障義務が明記された。これをうけて、1950年に旧生活保護法は現行の生活保護法に改正される。
現行生活保護法は「日本国憲法第25条に規定する理念に基づき、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自律を助長することを目的とする」(第1条)ものである。この生活保護法は、国家責任、無差別平等、保護請求権、最低生活の保障、自立の助長、保護の補足性をうたっており、社会福祉法制の特徴が象徴されている。一般扶助主義が確立されたのである。
社会福祉法制の特徴は、三つある。第一に、生活困窮は社会制度の欠陥から生みだされるものであるとの認識。第二に、救済の国家責任の明確化。第三に、無差別平等の原則。これら三つである。
貧困、疾病、障害などが個人の怠惰や過失のせいではなく、社会制度や資本主義制度の構造的副産物であるとの認識がなされた。そこから、生活の困窮は普遍性を持つものであり、社会的・公的に制度の欠陥を補う必要があるとの発想や、保護は国家の与える恩恵ではなく、国民の権利であるとの主張・要求が生まれた。スティグマは軽減していくのである。
しかし、現行生活保護法にもなおスティグマは付帯している。持てるところから集め、持たざるところに配分する生活保護は、社会的平等の実践であり、再分配政策の典型でもある。ゆえに、持てる階層の力が相対的に強くなると、生活保護は抑制にはたらくようになり、保護を受けることは恥だという惰民観が台頭するのである。
日本の文化は「恥の文化(shame culture)」であり、「日本人の生活において恥が最高の地位を占めている」(ベネディクト 1972)とされる。日本人は概して恥や世間体を意識しやすく、古くから名を辱めない義務が強く要求されてきた。「援助を求める者と、それを提供する者との間に立ちはだかる最大の障壁は恥辱の壁であ」(マーシャル 1989)るとすれば、日本ではスティグマが根強いというのはうなづけよう。
<自己意識>
人は鏡に映る自分の姿を見たり、他者に見つめられるときに、自分の感情や行動や外見に注意を向ける。このように自分自身について意識することを心理学の領域では「自己意識」と呼んでいる。
「
Meadによると、『自己意識』は、“私”が“他者”の立場に立ったつもりで“私”について“他者”が抱く態度を理解し、“他者”の目を通しても自分を見ることであるという。」(中村、1987,P.81)
・客体的自覚理論
Duval & Wicklund(1972)は、自己注目が高まると注意は自分自身か外界のいずれかに向かうと考えた。それとともに、個人の自己評価や社会的行動に及ぼす効果を、鏡やビデオカメラを利用した実験的な操作によって誘導できること示し、「客体的自覚理論(objective self-awareness theory)」を提唱した。
自覚状態が高まった人は、その状況でもっとも関連度・重要度の高い自己の側面について自己評価をおこない、正しさの基準(
standard of correctness)に合致した理想の自分と現実の自分とを比較するようになる。例えば、人は嘘をついたときに自分の道徳性について考え、試験の成績を知るときには自分の能力について考えるだろう。そのような状況において、「嘘をついてはいけない」とか「良い成績が望ましい」といった内在化された正しさの基準や価値観に照らし合わせて、現実の自分を吟味するようになるのである。正しさの基準との比較による自己評価は、基準との不一致から不快な感情を体験することが多くなる。客体的自覚理論は、その不快感を回避するために自分に向いた注意を環境へ逸らそうとするか、現実の自分を理想の正しさに近づけようと努力するようになるとしている。前述のように基本的に自己意識が高まった状態は現実と理想の自己間のギャップを感じさせるので、否定的な自己評価に結びつくと考えられるだろう。だが、自己意識の高まる状況によっては一概に不快感を伴うとも限らず、自己の発達の契機になることもある。義務・強制的に自己に注意を向ける状況では必然的にネガティブな感情が引き起こされる。反対に、自発的に自己意識を高めるという経験をすれば、ポジティブな感情が引き起こされて自己の発達が促されるのである(古屋、
1987)。・自己意識理論と自己意識尺度
Duval & Wicklundの客体的自覚理論は自覚の高まりを規定する要因を、実験的な操作による状況変化から体系化した理論であった。それに対して、個人の性格特性という要因を考慮に入れて自己に注意が向かう傾向の個人差を考えたものが「自己意識理論(self-consciousness theory)」である(Fenigsteinら、1975・Buss、1980)。
Fenigsteinらは自己に注意が向きやすい性格特性を「自己意識特性(trait of self-consciousness)」と呼び、自己意識特性の個人差を測定する「自己意識尺度(self-consciousness scale)」を考案している。当初は自己意識の内容として、@過去、現在、未来の自己の行動に関心が集中していること、Aポジティブあるいはネガティブな自己の属性の認知、B内的感情への感受性、C内省行動、D自己を視覚化する傾向、E自分の外見や行動スタイルを気にすること、F他者からの評価への関心、の7つが考えられており、この時期にはまだ自己意識が公私に二分化することが分かっていなかった(辻、1993)。
彼らは因子分析で項目を精選していくうちに、自己意識尺度は「私的自己意識(
private self-consciousness)」、「公的自己意識(public self-consiousness)」、「社会的不安(または対人不安)(social anxiety)」の3つの因子からなることを確認した。第1因子の私的自己意識は他者が直接知ることのできない自己の内面に注意を向けやすい傾向であり、第2因子の公的自己意識は自分がどう見られているかを他者との関わりの中で意識しやすく、容姿やふるまいに注意を向けやすい傾向である。この二つの因子は互いに独立した要素から構成されている。第3因子である社会的不安は、対人状況において不安、緊張、当惑、羞恥を感じやすい傾向を意味している。社会的不安は公的自己意識と密接な関連性をもつことが分かっており、公的自己意識の強い人は対人不安傾向も強い、と菅原(1984)は指摘している。
−私的自己意識の強い人に見られる傾向−
・感情反応が強い
・集団の圧力に抵抗しやすい
・態度と行動の一致度が高い
・個人的アイデンティティを重視する
−公的自己意識の強い人に見られる傾向−
・他者の行動によって感情や自己評価が左右されやすい
・承認欲求が強い
・他者の行動の原因を自分に帰属させやすい
・他者による拒否に敏感…自分が周囲から逸脱した変わった人間と見られるのを嫌う
・他者との衝突を避けて強い自己主張をしない
・社会的アイデンティティを重視する
・自分に関する話題よりも相手のことを話題にしたがる
・恋愛関係における嫉妬感情を強く体験する
・態度と行動の一致度が低い
押見
(1992)の研究から自己意識特性同士の関係を見てみると、私的自己意識と公的自己 意識の得点間の相関係数は中程度の正の相関(0.38)、私的自己意識と社会的不安とは無相関(0.12)、公的自己意識と社会的不安とは弱いか中程度の正の相関(0.34)となっている。次に、自己意識特性と他の性格特性との関係を見てみる。公的自己意識の強い人は対人不安、シャイネス、自己モニタリング傾向が強く、独自性欲求は弱いという特徴をもつ。私的自己意識の強い人は対人不安、シャイネスとは無相関であるが、独自性欲求は強く、弱いナルシズム傾向も見られる。このように私的自己意識と公的自己意識は若干の正の相関をもっているが、それぞれに違った特徴を有しており、行動に及ぼす影響は正反対になることが少なくない。よって私的自己意識と公的自己意識は独立した概念として成立していると言える。
菅原ら
(1986)は15歳から49歳までの男女を対象にして調査を行い、年齢・性別と自己意識特性との関連を検討している。私的自己意識の場合、男女ともに23〜24歳にかけてもっとも高まり、その後は歳をとってもあまり変わらない。公的自己意識の場合、15歳以降は年齢が上がるにつれ低下するが、若い年齢の段階では男女差が大きく、女性>男性となっている。歳とともに他者から見られる自分を意識する性質は弱くなると言える。また、学歴との関連では両自己意識とも高学歴層で高い傾向が見られた。辻(1993)の研究においても社会的不安は女性のほうが有意に高く、公的自己意識も女性のほうがやや高い、という結果が出ている。ここで、自己意識特性が実験的操作以外による行動を規定する要因であることを示した研究をあげておく。私的自己意識の強い人が、鏡のある状況にいる自覚状態を高められた人と同じ行動特徴を示すという
BussとScheierの研究から、私的自己意識は鏡という自覚状態誘発刺激と同じ効果をもつと結論づけられている(押見、1992)。Hassは被験者の額に指で「E」の字を描かせ、外側(被験者と向かい合っている人)から見て「E」と読めるように描くかという実験を行い、公的自己意識の強い人は、ビデオカメラや録音によって自覚状態を高められた人と同じ行動特徴を示すことを明らかにしている。これによって「自己への注意が高まると、視点が自己の外側へと移動する」という予測が裏付けられ、自己意識を高めるようなビデオカメラや録音による条件操作がなくても、公的自己意識の強さという個人の要因は視点の移動に影響を及ぼすことが分かる。したがって、公的自己意識も鏡以外の自覚状態誘発刺激と同じ効果をもつ性格的要因であることが立証されている(押見、1992・菅原、1998)。
・自己意識に関する訳語
Buss(1991)を訳した大渕は、自分自身に注意が向いている状態を「自意識(self-awareness)」と呼び、日記をつけるときのように感情や願望などの私的な側面に注意が向けられている状態を「私的自意識(private self-awareness)」、人前で何かをするときのように他者に見られている自分の姿が気になる状態を「公的自意識(public self-awareness)」と区別している。「自意識」は状況によって一時的に強くなったり弱くなったりするものである。彼は Fenigsteinらに見いだされた、自己に注意を向けやすい個人的傾向を「自己意識特性(self-consciousness)」と称し、個人の性格特性としての自意識傾向も「私的自己意識(private self-consciousness)」と「公的自己意識(public self-consciousness)」とに呼び分ける。
また、押見
(1990)は人が自分自身のほうへ注意を向け、自らを注意の的としている状態を「自覚状態(self-awareness)」、そのような性格特性を「自己意識特性(self-consciousness)」、総称して「自己注目(self-focus)」という用語で使い分けている。
・自意識と羞恥との関連性
私たちは自分ひとりの世界にいる時と、他者と関わる世界にいる時とでは、心理的構えが異なっている。他者のいる対人場面では自分が他者に対して呈示している自己イメージを把握し、コントロールできる体制にいなければならないので身構える必要がある。
菅原
(1986)は、対人場面における個人の心理的構えを「自意識の高まり」と表現し、自意識の高まる対人場面を大きく4つのカテゴリーに分けている。さらに、自意識の高まりに伴って生じる特有の不安感を「羞恥感」と呼んで、それらを対人場面に対応させた4通りの分類を試みている。それぞれ、@「自己の劣等性が露呈する状況」では「公恥」、A「他者の存在感に圧倒される状況」では「気後れ」、B「他者から注目・評価される状況」では「対人緊張」、C「対人場面で自己の役割を見失った状況」では「対人困惑」、と呼ばれる羞恥が対応している。公的自己意識の強い人は、自分が他者から関心を持たれていると感じやすい性格特性がゆえに、自分の外見や言動が他者への影響をコントロールすると考える。そのために公的自己意識の強い人は前述のような状況下で自意識が高まり、羞恥感を強く感じると言えよう。公的自己意識と対人恐怖的心性は密接に関連している(菅原、
1984)と示唆されているが、「人を恐れる」という対人恐怖よりも「自分の恥ずべきウチ(ウラ)が見透かされることを恐れる」のではないかという中・桜井(1992)の指摘は興味深いものである。また、彼らはYG性格検査のCo尺度(協調的でないこと)と公的自己意識との間にやや高めの相関を見いだしている。Co尺度は「人の親切には下心がありそうで不安である」「人は結局利欲のために働くのだと思う」などの項目から構成されていて、人間性を否定的に見る傾向(シニシズム)に近い性格特性を測定していると考えられる。結局、「自分の恥ずべきウチ(ウラ)」とはそのような心理的構えであり、それが見透かされるのを恐れるがゆえに公的自己意識の強い人は対人不安傾向を併せ持ちやすいのであろう。以上のレビューより我々は自己意識特性とスティグマとの関連を注目するに至った。