【1】カウンセリングの歴史

 

 カウンセリングは、アメリカ合衆国において、今世紀初頭に科学的・社会的・政治的要因から心理学のひとつの応用分野として誕生した。カウンセリングの源流といえる要因とは、精神病の治療・精神衛生運動・精神測定学を含む実験心理学と個別研究・クライエント中心療法のヒューマニスティックな見解・現存在分析の哲学的基盤・職業指導運動などがあげられる。カウンセリングという言葉が文献上に初めて登場したのは1931年であり、1930年代に出版されたカウンセリングの方法に関する教科書はすべて診断技法を扱ったものだったそうである。この時代は、適切な訓練を受けた精神科医のみが精神療法(心理療法)を行う資格を有するとされていたが、フロイトの精神分析とウィリアムソンのカウンセラー中心主義に挑んでロジャーズが1942年に『カウンセリングと心理療法』を著し、その中で心理療法は医学博士号がなくてもできるという明確な仮説を打ち出したことが契機となって、非医学的かつ非分析的な観点に基づくカウンセリングおよび心理療法が急速に発展した。ロジャーズは、カウンセラーはクライエントの言動を判断したり評価したりしないで、受容することが大切だと強調した。自分の立場を非指示的心理療法と呼び、研究の方向づけにも影響を与えた。ロジャーズ以前の文献は、心理テストの実施・オリエンテーションの手続き・人員配置の機能など職業指導の実際的な側面を扱ったものが多かったが、彼の意見が認められて以降はカウンセリングの方法ないし技法・カウンセリングの技法の精緻化、カウンセリングの目的ないし目的ないし目標など、カウンセリングに関するものが急速に増えた。彼の影響力は1950年代に出版されたカウンセリング心理学の教科書などの内容の変化に反映されている。

 アメリカ合衆国において、第2次世界大戦後新たな流れをその内部に組み込まれ、変化し始める。大戦後、負傷兵を含む大勢の退役軍人が個人的ないし職業上の適応問題に直面したことから、退役軍人を対象とする研究を行うカウンセラーや心理学者に給付金や奨学金を与えながら訓練を行ったり、『米国陸軍兵士の権利宣言』を出した結果、退役軍人に新たな教育の機会が与えられ、高等教育に新たなタイプの学生が大勢流出し、職業カウンセラーになるための資格要件に力を入れた。そして、カウンセリング心理士という用語もすまれた。このように、心理的サービスに対する一般大衆の受け入れ姿勢が強まった。1952年には、アメリカ心理学会にカウンセリング部会が正式に設立されるとまもなく、スーパーによってカウンセリング心理学は臨床心理学と明確に区別された。同年、アメリカ職員人事職業指導協会が生まれる。そして、1965年には『カウンセラーのための健全な倫理網領』を発行し、道60年代に学校カウンセラーのための役割と訓練内容が要約された。1983年にアメリカカウンセリング・発達協会、さらに1992年にはアメリカカウンセリング協会とその名称を改めていった。1960年代から1970年代にかでて、対人関係やコミュニケーションのスキルを学習させるための援助スキルプログラムが開発された。トゥルアックス・カーカフやアイビーなどによるこれらのプログラムにさらされれば、学習内容を他者に教えやすいという特典があるといわれる。1970年代に入って週単位のサイコロジストの免許制度あ導入され始めた。

 マイクロカウンセリングは、1966年にコロラド州立大学においてカウンセリングとサイコセラピイの過程に潜んだ行動的特性を明確にするということがもちあがった。これを行ったのは、Normington,C.,Miller,D.,Morrill,W.&Hass,R.である。彼らは半年もの間カウンセリングやサイコセラピイが機能するということがどういうことなのかを考えた。そして、将来性のあるカウンセラーを訓練する意味を見出せないまま実行に移した。これが、マイクロカウンセリング研究のはじまりだとされている。また、このマイクロカウンセリングは、アメリカのプラグマティズムのヘーゲル哲学の否定主義の見本として端を発したものである。