3,治療関係スケール
(1)治療関係スケールとは
山本和郎、越知浩二郎(1963)は、治療者がクライエントについて持つイメージや、治療的関係で自ら体験することを新しい言葉で記述し、治療者が異なった問題を持ったクライエントに対して実際の場面でどのような態度をとるかを見出そうとした。そして、ありのままに対象を記述し、現象的場合を記述し、さらに主体性を強調しながら記述するするという基本的態度と参加的観察とに基づいて「治療関係スケール」と「生命力スケール」を構成した。
「治療関係スケール」の下位次元と各8段階に尺度化された。5次元とは、クライエントの関係内の動き(
CMR),治療者の関係内の動き(TMR)、治療者の体験としての取り入れられたクライエントの経験への関わり(TCEx)、治療者の関係の仕方(MRt)、関係のあり方(R)である。さらに1965年、治療関係の再構成を行い、クライエント、治療者、関係の3つの領域をあらかじめ区別し、各4,4,3,の合計11次元が抽出された。クライエントのスケールは、体験の仕方(CEX)、対象の構成の仕方(CMC)、開放性(COP)、治療者に対する関わり方(CMT)である。治療者のスケールとは、治療者の体験として取り入れられたクライエントの体験への関わり(TCE
x)、理解の焦点のむけ方(FAU)、関心のあり方(RFC)、独自性の認め方(RCT)である。関係のスケールとは、関係のまとまりの形式(Rformal)、関係の醸し出す気分(Remotional)、関係を動かすもの、関係の動き(Rmovement)の合計11次元である。ここで特に今回の評価に関係ある、治療者のスケールのついて詳しく述べる。
1,TCE
x…Experiencing what a therapist accept his client治療者が、クライエントの経験を共感し理解するとき、その経験はクライエントが持っている経験というよりはむしろ、治療者内部に生起するクライエントの経験として取り上げ、それに対して治療者がいかに関わるかに焦点が向けられる。
2,FAC
…Focussing aspect of experiencingTCE
xのプロセスの内容面を記述したもの。治療者がクライエントにどのような側面に焦点を持っているのか、相手の言葉の内容だけを理解しようとしているのか、気持ちか、さらに気持ちに直面しているクライエントの姿勢自体にも関わろうとしているのかが問われてくる。3,RFC
…Regert for clientクライエントに対する関心が、条件付き、選択的なものであるか、無条件にクライエント全体に関心を寄せているかどうかが問われている。
4,RCT
…Manner of relating in therapist治療者が、どれだけクライエントの独自性を認め、自分の感じ方、自分に見える世界とクライエントのそれとは違うということを尊重しているか。
TCEx |
治療者の体験としてとりいれられたクライエントの経験への関わり |
1 |
相手から伝わってくることには全く注意を向けない。相手ののべていることの意味も分からない。漠然とした形でしか感じられない。自分の中には相手から伝わってきた実感というより、相手から伝わってきた漠然としたものに対する反応としての経験でいっぱいになる。例えば、奇妙な、異常な安心できないといった反応でいっぱいとなり相手から伝わってくる相手のいわんとすることには全く目を向けられない。 |
2 |
相手から伝わってくることに目をむけだすが、それは言葉の一般的な意味の次元でわかろうとする。こちらの中にいろいろと実感されていることには注意を向けない。言葉の意味は相手が実感し意味していることから離れて、言葉の概念的な枠の中でしかとらえない。こちらでもっている常識的な概念的枠組みでその相手の言う言葉の意味をとらえてわかった感じになる。 |
3 |
相手の伝わってくる漠然とした実感を持つようになる。しかしその実感に基づいて相手のいわんとすることを理解するのではなく、こちらに持っている常識的な枠組みや、専門家的理論的枠組みにあてはめてとらえる。結果的に相手の気持ちだけをその人から切り離して、理解したり、理論的枠組みの一つの要素として理解したりする。こちらに伝わってくる実感を感じてもそれに対する吟味は全くしない。 |
4 |
相手から伝わってくる実感の次元で相手のことをとらえるようになるが、その場合その伝わってきた実感を吟味して、その上でとらえるのではなくこちらにあらかじめ実感できる面に対応している限り実感できるのであって、その限りでは、狭く選択的である。こちらが共鳴できるところでわかったとして安住してしまい、共鳴できないところでは無視されたり、概念的にとらえてしまう。 |
5 |
相手から伝わってくる実感を吟味し定着させようとする努力がでてくる。相手から伝わってくる漠然としたものを感じ、それが何か、はっきりとらえようと努力する。いままでこうだとうけとっていたものでない面があることの気づいてそれに目をむいてくるが、それを充分実感できないままでいる。実感しようとする努力があるが、実感できていないため概念的な枠組みでの捉え方がまだ残っている。 |
6 |
相手から伝わってくる実感にもとづいて相手のことをとらえようとする努力の中に定着した実感が感じられてくる。その定着した実感は乏しいが、その実感にそって相手をとらえようとする動きがでてくる。自分の表現した言葉とそこで実感していることのずれを感じ、そのずれを訂正する動きがとれる。定着した実感から時には離れてしまうが、、概念的な枠の中でとらえることはほとんどなくなる。 |
7 |
相手から伝わってくる実感が自分の中で豊かに定着してくる。その実感にそった表現が時々ずれることがあり、ぴったりした表現を探す努力はまだ残っているが、ずれの修正は自由に行われる。表現と実感のずれが時々あるので相手と充分な一体感を持った動きとまで入っていない。 |
8 |
相手から伝わってくる実感が豊かに定着化され広がりを持ってくる。それと同時にその表現も自分の気持ちの表現のごとく定着した実感にぴったりしていて自由になってくる。自然な一体感を持った動きとなっている。そこには努力してとらえるという意識もなく自然で自由な動きがあるだけ。 |
FAU |
クライエントを理解するときの焦点のむけ方 |
1 |
相手の述べていることがなにを意味しているのかはっきりとはわからない。相手を理解するにもどこに焦点を向けたらいいのかわからない。相手の姿、相手のしゃべっていることそういういうことに目は向けても、それをどう処理していいのかわからない。相手の話の内容を断片的にわかる程度で、まとまった形でなにを訴えているのか、はっきりとはわからない。 |
2 |
相手の述べている話の内容に目を向ける。相手の訴える話の内容、症状の内容を相手から切り離した形でとらえる。話題の中での筋道や、因果的なつながりに理解の焦点がしぼられる。相手の気持ちの面にはふれることはしない。 |
3 |
相手の述べている内容にをとらえようとすると同時に、そこにでている気持ちの面にも焦点が向けられる。しかしその気持ちは、相手が実感していることとして、とらえるのではなく、相手から切り離された形で、ある枠組みの中であてはめてとらえたり理解したりしている。こちらでその気持ちを実感して受け取ったものでなく、内容と気持ちを概念的な枠組みの中で置き換えてとらえる。 |
4 |
相手の述べていることの内容と気持ちに焦点が向けられているが、特に気持ちの面に部分的に実感し共鳴したりする。しかし気持ちが実感できるようになっても、相手の気持ちとしてわかるというのではなく、自分の気持ちと共通しているということでよくわかるので、そこでは相手の気持ちとしてとらえることができない。自分の気持ちに共通していない面は実感できないため、概念的な枠組みの中で置き換えてわかろうとする。 |
5 |
相手の伝えていることの内容面よりも、気持ちの面に焦点が向けられる。それと同時にその気持ちを相手の感じている気持ちとしてとらえようとする努力がでてくる。相手が自分の問題に対しどう取り組んでいくかに関心が向けられるが、そのことが大切だとわかってきたところで、実感のレベルでとらえるまでにはほとんど達してない。焦点がそこにあっても、とらえたものは相手から離れた概念的なものになっている。 |
6 |
相手の伝えていることから相手が自己の直面している問題にどういう気持ちを抱き、どのように取り組もうとしているかという点に深い関心が寄せられ、相手そのものの動きとしてとらえることができてくる。しかし、まだ相手の一瞬一瞬移り変わる動きそのものをぴったりとらえることができるところまでいっていない。相手の動きを相手から離れたところでとらえがちなところが残っている。 |
7 |
相手の伝えることから、相手の取り組み方そのものに充分深い関心が向けられ、相手の動きの一瞬一瞬移り変わる動きそのものをぴったりとらえることができるようになる。しかしまだ相手の取り組み方としてとらえるという捉え方で、相手と十分な一体感を持ったとらえ方に達していない。 |
8 |
相手の取り組み方、そのものに充分深い関心が向けられ、相手の動き一瞬一瞬新しい動きとして豊かにとらえながらさらにそこには相手のものとしてという意識はほとんどなく、充分な一体感をともなってうけとれている。 |
RFC |
クライエントに対する関心のあり方 |
1 |
相手に対して聞こうとする態度はあるが、それは全く表面的なことで、内心では相手そのものに様々に反応しており、特にそのまま聞くことに耐えられないほどの否定反応がでてしまっている。相手そのものに対し関心をよせることは、全くできないでいる。 |
2 |
相手に対して一応聞く態度はある。しかし相手を問題を持っている人、異常な人、悩みのある人として聞いているので、相手の提出する問題、症状についてその人と切り離して聞いている。その人のその問題への気持ちの持ち方、取り組み方となるとなぜそういう気持ちになるのか、相手から離れてこちらで感情的に反撥したくなる。どうにかしてはならない人として Controlしたくなりいらいらする。 |
3 |
相手に対して一応聞く態度がある。しかしそれはこちらの持っている枠組みにあわせて相手をとらえようとする態度で、相手の問題やその問題への取り組み方をこちらの枠組みの中で解釈し、ある方向へ向かっていくことを肯定したり、否定したりする。相手そのものの方向をそのまま認めることはしないで、こちらが Controlする意識が強い。相手がControlに従わないと否定的な感情がでてくる。 |
4 |
相手に対して意識的にある枠組みでとらえようとする態度はほとんどないが,自分で意識しない枠があり、相手のとらえ方はこちらで実感できる面でしかとらえられず、相手そのものの姿としてとらえることができない。こちらが実感できる範囲内でで相手をこうだと分かった感じを持ち、その相手が肯定できれば安心し、肯定できないと不安になり、頼りない人と感ずる、こちらの受け取り方にそった方向に相手が向かうことを期待する。ときには Controlする意識もでてくる。 |
5 |
相手の取り組み方そのものを聞こうとする努力がでてくる。しかし、相手の姿が何かあるのだと頭では認められても、現実には部分的にしか伝わってこない。否定感情はほとんどないが、受け取れない感じられない面が全面にでて、それにふれられないもどかしさが伴う。聞こうとする面が全面にでて、それにこだわることで、相手を充分肯定できないで、相手の動きを限定し、束縛してしまうことがある。 |
6 |
相手の取り組み方、動きそのものをそのまま認めることができるようになる。相手の姿そのものにその人らしさというものをすこしづつ感じられてくるが、まだ充分でなく、どこかこちらの受け取り方の偏りや、やや概念的な受け取り方で、相手を限定する傾向が残っている。しかしその人らしさをそれとしておいておける段階になっている。 |
7 |
相手の取り組み方、動きそのものをより深く認めることができてくる。その人らしさの中に広がりを持った実感を感じだしてきて、その人らしさがそのまま伝わってくる。相手を限定する傾向はわずかしか残っていない。しかしその人らしさとしておいておく傾向があり、より深く一体感を持つまでにいたっていない。 |
8 |
その人らしさがより大きな豊かな広がりを持ち生き生きとした実感として響いてきて、その人のあり方がより深いところまで伝わってきて、それを充分に認められるようになる。そこには相手の前にしているという意識もなく、相手そのものにほとんど一体感を持って素直に対せている。 |
RCT |
クライエントとの関係の持ち方 |
1 |
相手の存在、内的世界がそこにあることは全く無視されているかまたはそれがあることに気づいてない。相手はただこちらが反撥し、反応する対象でしかなく、ふれあうことは全くできない。 |
2 |
相手の存在、内的世界があることがそこにあることはほとんど無視されている。相手から提供される問題、訴えの内容を相手から切り離したところで問題にし、相手の内的世界にふれることはしない。こちらはこちらで自分の存在を話を聞く役割に限定して相手と面している。その意味で全く相手の存在とは離れた関係を保ち遠ざかっている。 |
3 |
相手の存在、内的世界があることを考慮しだすが、実感する段階にいたってない。相手の存在を相手の存在を独自な存在としてとらえることはできないで、むしろ一般的な枠組みの中で置き換え、その枠組みの中で相手にふれようとする。その意味で相手の存在を距離を置いて冷静に眺められる立場に立つことで相手との関係を持とうとする。 |
4 |
相手の存在、内的世界を実感しだすが、それは一部であり、しかもその実感は相手のものとしてでなく自己の内的世界の体験とごっちゃになっている。相手を独自な存在としてみることはできず、こちらの内的世界と類似しているか相違しているかという相対的な対象としてしか、限定された一部の相手にしかふれられていない。あいての内的世界の一部に近づくが、他の面では離れている。 |
5 |
相手の存在、内的世界が実感されてはいるが、その実感された相手の内的世界がその人独自のものらしいというのがわかってきても、それが実感できないままでいる。その独自性がわからず、相手が遠くへいるような感じを持つときがあり、それに触れようと努力して結果的には4の段階の関係を持ったりする。また独自性の漠然とした感じはこちらを不安にさせ ,自己と他者の分離を充分に実感できないままでいる。 |
6 |
相手の独自の存在、内的世界があるのだということが実感されだす。相手の独自な世界内のこととして、自己と切り離してとらえることができる。しかし相手の独立な世界が自分とは切り離されたような感じがして、不安が潜んでくる。相手の独自な世界としてとらえていても、それに近づいたり、働きかけたりする時、相手の独自な世界が見えなくなる。 |
7 |
相手の独自な存在、内的世界がそのまま自己と独立していることに充分に認めることができる。自己と他者の分離ははっきりしていて,ごっちゃになったり、独自性が見えなくなるようなことはない。しかし相手の世界と自己の世界が充分には実感できないままでいる。 |
8 |
相手の独自な世界をそこにそのまま自己と独立した存在として認めるだけでなく、自己の世界と相手の世界とのつながりが充分に実感されてくる。相手と自己の独自な世界がそこに一体感をもって深いつながりを持った存在として、深く実感される。 |
(2)治療関係スケールの適用
治療関係スケールの適用の仕方として大きく3つに分けられる。もちろんその3つは相互に関係しあうものである。第一に心理療法の治療効果を測定する目的に用いる仕方であり、クライエントの変化だけでなく、治療者及び治療関係そのものの変化をとらえる治療関係診断の道具として用いる方法である。第二にセラピスト自身の訓練のために、治療者が現実にどの段階にいるのかをチェックするために用いる仕方でありスーパーヴィジョンに利用する方法である。第三に治療面接過程の研究の中で、面接テープの分析の一つの道具として用いられる方法である。
スーパーヴィジョン…カウンセリングに携わっている人が自分が相談を受けているクライエントについてそのクライエントとの関係について、多くは自分より経験を積んでいるカウンセラーに相談し、指導を受ける関係である。