X.おわりに
私はこのような論文を書く予定ではなかった。実は、実習について疑問(カテゴリーZ)をもってから、その先のこと、つまり社会福祉教育や社会福祉実習について、色々なところから理論を重ね、こと細かに書こうと思っていた。
実際、私は次のように論文を書き始めていた。
私は、1998年4月末から通年で病院実習をした。しかし、実習をしながら、「何かがおかしい」と絶えず感じて
いたように思う。自分に足りないものが何であるのかを求め、対人援助について本を呼んだり、実習について考
えたり、はたまた自分について考えたり、先生方や友達など人に相談したり…いろいろな方法で答えを模索した
が、結局どうすればいいのかわからないままだった。そして、やっと「自分が一体何に対して違和感を抱いてい
るのか、それ自体もよくわからない」ということに気がついたのである。そして、同じように実習をおこなって
いる学生どうしで話していても、どうやら「よくわからない」まま実習を進めているのは、私だけでもないよう
に思われた。本当は、学生に限らず、現場も大学の先生方も感じているのかもしれない。実習に関わるすべての
人が、あえて目を向けることなく、「こういうものなんだ」とある意味あきらめてことを済ましているようにも
感じられた。もし、問題とする声をあからさまにあげるとするなら、実習自体がなくなってしまうかもしれない
と危ぶまれるほど、問題は複雑であり、またそれぞれに関連しているのではないかと考えるようになった。そし
て、そのように考えるにつれ、日々深刻さも増すようになった。…
この論文では、「どうして実習がうまくいかないのだろう」「どうしていいのかさえわからない理由は何だろ
う」「実習とは何だろう」「なぜ実習は必要なのだろう」「わたしは今まで何を学んできたのだろう」「社会福
祉教育は何をめざしているのだろう」「このままだと、大学は社会福祉の専門家など養成できないのではないか」
「たとえ混沌としていても、何か目指せる方向はあるのではないか」…などという、私の「わからない」を明ら
かにしていけるよう、大学における社会福祉教育について、社会福祉実習について、私が経験した病院実習につ
いて考察を深める。…
ところが思いがけず、指導教授が私の意気込みに隠された感情を見抜いてくださり、「実習について書こうとしていたあなた自身に振り返ってみなさい」ということとなった。
変更することになったときは、随分指導教授にはむかった。その頃の私は、自分の中にわき出た疑問を明らかにしたいという思いにすっかりのめり込んでいたからだ。しかし、もちろん教授にかなうわけはなく、私はしぶしぶ引き下がった。それでも、始めは嫌で嫌でたまらなかった。読み返したレポートはあまりに雑で、そのようなレポートを人に読ませていた自分が恥ずかしく、読むこと自体つらかった。当然、そのようなレポートが何かを示すとは思えなかったし、自分のすべてを赤裸々にさらけだすようでいたたまれない気持ちだった。また、自分の歩んできた実習自体にも自信がなく、そのような実習が他人に知られることもはばかられた。それに、自分が実習でさまざまに揺れてきたことを思うと、それだけ自分の大部分を占める大事な実習をどこか取られてしまうような気さえした。私は、何度「やっぱり、自分を題材にして論文を書くなんて嫌です」と言おうとしたことか…。
それゆえ私は、なかなか学校や実習、そして自分自身に対する本心を言わず、理論により自分の意見を正当化させ無難に済ませようとするところがあった。しかし、「あなた自身が言いたいことを書いた方がいい」と指導教授に背中を押していただき、ようやく「本当は…」とうち明けるように本心をこぼしたのであった。そして、指導教授が私のそのような感情をすべて受けとめ、この論文に入れるよう励ましてくださったおかげで、私は「何も人に言えないような実習はしていない」と半分確かめ、半分信じながら、自分でも混沌していた感情を整理し分析するようになった。
戸惑いながらも分析をすすめるにつれ見えてきたものは、私が何もない真っ白な状態で現場に飛び込んだにもかかわらず、スーパーバイザーがそのような私を受け止め、導いてくださっていたこと、私自身も拙いながらもなんとか進もうとしていたことであった。そして、私がさまざまにもった感情も、実習をした私だからこそもつことができた、かけがえのないものであった。今は、この実習がこれからの私の糧となり、私を支えてくれるであろうと確信している。そして、そのような実習をすることができ、またそれを確かめることができ本当に良かったと思っている。
この論文は、あくまでも私自身の実習過程の一部である。誰もが同じ感情をもち、同じ過程をふむことはありえないであろう。また私は、「実習はこうあるべきだ」などと一つの答えを出そうとしてこの論文を書いたのではない。これからますます変動する社会福祉教育において、病院実習をする学生に、実習に取り組んでおられる学校や現場の方々に、数ある実習の中の一つとして資料にしていただければ幸いである。
実習を見守ってくださった現場のスタッフ、実習担当の先生など、いろいろな方々に助けられ実習を行うことができた。また、教育や実習について書こうと思っていたとき、私は学生や現場の方にも意見を伺っていた。多くの人たちがそれぞれに実習に対し葛藤をもっていることを知り、そのことも論文を作成するにあたり大きな支えとなった。実習により出会えたすべての方々に、深く感謝している。
最後に、私がどのようなことを言おうと耳を傾け、真剣に語ってくださったスーパーバイザーと、卒業論文という形で自分と向き合う機会を与え、絶えず熱心に指導してくださった指導教授に、心より感謝を申し上げたい。