おわりに 1. インタビューに関して  普段、どうしても内にこもりがちである高齢者が外に出るという価値は大きい。特にそれが独居の老人であると、なおさらである。外に出ることによって、心身のリハビリとなり、単調になりがちな生活にハリが出、またそれが毎週1回と決まった日の外出となれば、それは生活リズムとなる。そしてそれを続けることによって継続性が生まれ、その人の日常となり、生活の一部となる。そうやって同じ生活を続けることにより生活に安定感が生まれる。そしてその中で、時には誰かの誕生日会や、ゲートボール大会のような月の行事があって、小さな刺激になる。年に1回の新年会や、夏祭なども、その一つ一つを見れば、変化かもしれないが、長い目で見れば、それはひとつのサイクルになっているのである。  そうした行事や、また、普段の何気ない出来事を通じて、職員の方々にお世話になる。職員の方のあたたかい心遣いにふれて、感謝・喜びの言葉をもらす人の、何と多かったことか。独居で、家では話す人もなく、TVだけで生活している人にとっては、センターに来て人と話すだけで、それは刺激となり、また安心感となる。また自分が一番不幸だと思ってつらい思いをしていた人も、センターに来ている他の、もっと自分より重度な人を見て、こんなことで落ち込んでいてはいけない、がんばらないと、と、励みになっている人も多くいた。  実際のサービスにおいて、満足している人も多かった。中でも入浴サービスは、ほとんどの方が満足されていた。入浴自体だけでなく、それに携わる寮母さんや職員の方の気遣いも、満足感に影響していると思われる。  また少数ではあるが、サービスを受けることによって、介護者の負担が減ると答えていた人がいたことは、大変意義深いと思う。  サービスに対して、満足もあれば不満もあるのは当然である。その中でも、週に2回来たいということに関しては、このインタビューを行った後から、人によっては週に2回になった人もいるので、不満が解消された人もいるだろう。ただ、身体状況によって週2回必要と判断された人だけが、週2回となっているので、インタビューをした人の中には、その適用が少ないと思われる。センターのリハビリに対する不満は、リハビリでなかなか良くならないということが多かったが、PTの先生によると、回復の早い若者と違って、症状がある程度固定化している老人は、現状維持はできても、回復までには至らないことが多い、とのことだった。  いずれの不満も、不満を言う部署があればそこに言う必要があるだろう。 2. デイサービスがもたらす高齢者の社会的統合・精神的統合  老年期は個人にとって喪失の時代である。身体機能・精神機能の低下、社会的・経済的地位の低下、家庭内・地域社会での役割の減少、知人・友人の減少、そして、最後には生命の喪失。高齢者たちはこうした喪失の諸現実にときにあらがいながら、やがてそれらを受け入れていかなければならない。この過程は社会的関係の喪失による孤立感や孤独をもたらしたり、自己存在の否定感をもたらす可能性が強い。  センターのデイサービス利用者たちの多くは、孤立感や孤独、自己に対する否定的評価にもっとも基底的な影響を与える病弱とか障害といった要因をもっている。それにもかかわらず、デイサービスを利用することで、仲間や職員、ボランティアたちとの相互作用をとおしてふれあいの喜びを得、それによって孤立感や孤独を予防することができたり、そこから回復することができている。つまり、デイサービスは彼らに仲間や職員たちとの相互作用の機会と場を提供することによって、彼らの社会的孤立を防ぎ、彼らを社会的に統合することを可能にしている。  また、デイサービス利用者たちの中には、仲間や職員たちとの相互作用をとおして否定的な自己評価を見直したり、生き方を自省し自己確認する体験をもつ人たちもいる。あるいはまた、相互作用や活動のもたらす喜びや楽しみによって、硬直的になりがちな老年期のパーソナリティの行動、態度、性格といった側面において、積極性といったプラスの変化がもたらされたという人々も少なくない。これらの体験は、自己の存在を否定的に見てなにごとも消極的になりやすく、ときには抑うつ状態をもたらしかねない老年期の現実に適応していく能力を身につけさせるのではないだろうか。種種の喪失という現実がもたらす生活の諸変化によって、否定的な自己評価がすすんで次第に「絶望」の感覚をもってしまうのではなく、その事実を悲しんだりさみしく感じながらも、過去や現在の自己を肯定的に評価して精神的な「統合」の感覚をもちうる能力である。  一度は老年期の種種の喪失という現実によって否定的な自己像をもったり、抑うつ的な状態になった人々が、デイサービスの利用によって、現在が青春であり人生最高の時期であるといえるようになったのだとしたら、彼らは精神的な人生の「統合」感を得ることができたといってよいのではないだろうか。 1 1