震災特別番組『ぴーぷるずチャンネル特番−カナダのボランティアリズム−』

第1回:「カナダのボランティアーズ−民間主導ボランティア活用主義の最前線−」


カナダを地球儀で眺めると、南は超大国米国と国境を接し、一方北極をはさんでその反対側はもう一つの大国ロシアである。世界第2の広大な国土を有する森と湖とカエデの国、それがカナダである。日本からは約9時間で西海岸の玄関口バンクーバーのあるブリティッシュ・コロンビア州につく。そのブリティッシュ・コロンビア州からカナディアン・ロッキー山脈を越えると、西部カナダの大平原が出現する。

カナダはボランティア先進国である。1987年の全国調査によると、15歳以上の国民の4人に1人、約25%がボランティア活動を行っていた。カナダ全10州の内でも、とりわけボランティア参加率が高いのがアルバータ・サスカチュワン・マニトバといった西部諸州である。この地域では15歳以上の実に40%近くがボランティア活動を行っていた。

西部カナダ。主な産業は牧畜や小麦、大豆などの農業生産である。一面フラットな大草原に民家はまばらにしかない。東部から移住してきた人々は、農作業や生活全般のあらゆることで互いに助け合うことで零下40度近くにさえなる厳しい冬を生き延びてきた。

その西部カナダで都市とは小麦畑の大海原に浮かぶ絶海の孤島のようなものである。その孤島を目指して東部カナダから工業生産物が大陸横断鉄道によって運ばれる。一方、西部カナダの小麦や大豆などの農産物はロッキー山脈をさらに越え、バンクーバーで船積みをされ、その荷の多くは日本まで運ばれる。

大陸横断鉄道がカナディアン・ロッキー山脈にぶつかる人口70万人のふもとの都市、それがアルバータ州第一の都会カルガリー市である。カルガリーは牧畜や農産業に加えてカナダにおける石油産業の一大中心地でもある。1988年には冬季オリンピックも開催された。

ボランティア活動の熱心さで見ると、カルガリー市は西部カナダ随一、従ってカナダ一のボランティア参加率を誇る。1996年9月上旬、わたしたちぴーぷるずチャンネル取材陣は、そのボランティア先進国カナダの実情を調べるためにカルガリー市へと飛んだ。

 

1)病院ボランティアのロバート

 

ここはカルガリー・ジェネラル病院ピーター・ローヒード・センターである。この病院は、もともとカトリック修道会の女性修道士たちの慈善活動として始められた。そのためか、現在では公営であるものの、病院ボランティアの活用は古くから行われている。

 

カルガリー・ジェネラル病院には介護を必要とする老人をケアするための特別養護施設が病院内に併設されている。その入所者たちの早朝のレクリエーション療法の模様を見学した。日本でならさしずめ1日中「寝たきり」状態の老人たちが車いすに乗り、レク療法室に運ばれてゆく。いつもの病院食ではなく、手作りの焼きたてパンケーキとソーセージの朝食をみんなで食べるためである。会食を通じた会話そのものがレク療法なのである。カルガリー・ジェネラル病院のレク療法は、専任のレクリエーション療法士1名にボランティアが1名介助者として配置される。朝食の準備や食事の介助を行っているのが、この日のボランティアのロバートである。パンケーキやソーセージをレク療法士から受け取り、レク参加者の皿に盛り分ける。準備が一段落つくと、ボランティアのロバートも一緒に朝食の食卓をかこみながら参加者の老人たちと会話を交える。食事中、必要に応じて前掛けを用意するのもロバートの仕事である。

 

(スタート19:17:37)

立木「ここでのお仕事について教えて下さい」

ロバート「2つの仕事をボランティアでしています。一つは朝食の手伝い。もう一つは、病院のギフトショップです。」

立木「何年こちらでは働いていますか」

ロバート「だいたい4年です」

立木「ここでボランティアをするきっかけを教えて下さい」

ロバート「近所だったということ。やってて楽しいし、それにボランティアをここではものすごく評価してくれるのです。王様になったみたいな気分になります。本当に楽しんでやっています」(エンド19:18:31)

 

(スタート19:19:05)

ロバート「以前からよくボランティアしていました。でも、ある時とても重い病気になったんです。直るのにも長い時間がかかりました。ですからここでボランティアをすることはわたしにとってはリハビリみたいなものでした。その結果はとても満足できるもので、十分報われたと思います。(エンド19:19:29)

(スタート19:19:31)

立木「胸の名札にはたくさんバッジがついていますが、説明してもらえますか」

ロバート「この二つは臓器提供を申し出たことを示すピンです。こちらはボランティアの夕べでもらったもの。これは老人へのボランティアをしたことでもらいました。」(エンド19:19:55)

<<追加97年1月1日>>(前からの続き)「今年のカルガリー・ボランティア表彰のピンです。ハートが金で出来ています。これをつけていると王様になった気になります。それからこれは何時間ボランティアしたかを示すピンで...1千時間です。」

立木「1千時間もですか!」

ロバート「ええ1千時間です。でも、とっても楽しいですよ。いろんなことが出来ますし、ものを運ぶとかそんなこととか、違った人達と出会えるし、経験だってできるし、時には悪いこともあるけど、でも時にはとっても良いこともありますしね。」

<<追加部終了(次にそのまま続く)>>

(スタート19:20:44)

立木「ボランティアをしていて、どんな時に一番報われたと感じますか?」

ロバート「ここのお年寄りたちはとても感謝してくれます。朝食なんてたいしたことではないのに、とても喜んでくれます。そんな時、一番報われたって感じますね。」

立木「(ロバートにお礼の電卓を渡す)」(エンド19:23:55)

 

2)福祉ボランティアーズ

 

 

シャンタラは10代の未婚の母である。妊娠したことがわかると家族はシャンタルを家から追い出し、ボーイフレンドも彼女のもとを去った。途方にくれたメリーを支えたのが、カトリック・ファミリー・サービスが派遣したキャレンだった。キャレンは未婚の10代の母を支援するボランティアである。週1回メリーのもとを訪れ、出産に始まり、育児や家事の仕方から、アパートの探し方、友達の見つけ方まで、シャンタルの生活全般にわたって自立できるように支援する。

 

(スタート00:14:20〜)「私は実際的なことでシャンタラのお手伝いをしています。彼女は車を持っていないので、お医者さんに行くときや買い物などで、私がお手伝い出来るときには乗って行ってもらったりします。それから話を聞いてもらいたいという時にはじっくりと耳を傾けます。育児のことで分からないことで、私が出来る範囲で教えたり出来ます。」

「娘が病気になった時です。熱があったんです。とっても心配になったんですけど、キャレンがすぐにお医者さんに行くように言ってくれて助かったんです。おかげで赤ちゃんは元気になりました。キャレンはとても支えになってくれます。助けてくれますし、アドバイスしてくれたり、話しをきいてもらいたい時に打ち明けられる人なんです。」(〜00:15:18エンド)

 

(父と子がバスケット・ボールをしているショット、ギターを膝に置いたショットなど)シャンタラは、生まれてきた子供を自分で育てるという決心をした。一方、どうしても生みの親の手では育てられない子供の場合には、カナダでは養子縁組が結ばれて、新しい家族に引き取られる場合が多い。10才のアレックスもそのような一人である。アレックスの養子縁組の手続きはカトリック・ファミリー・サービスが行った。従来は、いったん養子縁組に出されると、子供は自分の生みの親のことや、どのような経過で養子にだされたのかについては知ることができなかった。(スタート00:29:17〜)しかし現在では、もとの家族のことや、養子に出されて新しい家族に出会うまでの経過を、ボランティアが子供にもわかるような語り口で物語にして贈るようになった。

 マリーは、養子縁組みされる子供たちの個人史を1冊の本にして贈るライフブック・ボランティアである。カトリック・ファミリー・サービスでこのボランティアの仕事を始めてすでに数年になる。本職はジャーナリストで、カトリック・ファミリー・サービスの仕事は自分の才能や経験がうまく活用されると考えている。彼女は、養子縁組に関するすべての資料に自由に目を通す権限が与えられている。と同時にケースの守秘義務についても、専任スタッフと同等の責任が課せられる(〜00:30:10〜そのまま次の養母とのインタビューに続く)。

 

「アレックスは、ライフブックを広げて、自分がどこで生まれ、どのようにして今まで生きてきたのかを読むのが大好きです。どんな親戚がいるかっていうことも、まだ誰とも会ったことはないのですが、とってもたくさんの親戚がいることも知っています。...本当にライフブックを気にいっています。(エンド00:30:29...He just likes reading by himself.)」

 

仕事の進め方については、ボランティア応募者の適格性のチェック、教育、訓練や相談、指導や助言をする体制が確立されている。その一切のプロセスを統括し監督するのがボランティア・プログラム部長のコリーン・ビオンディさんである。

 

ビオンディ「(@16:09:29〜16:09:51、After the technical screening...//...program.)まず決められた的確性のチェック、つまり推薦状を読み、推薦者への問い合わせや犯罪歴などの有無を調べます。そこで問題がなければ訓練を受けてもらいます。もし訓練期間中にトレーナーを通じて気がかりなことが報告されるともう一度ボランティア応募者と、このプログラムへの参加の的確性について面談をします。(A16:18:32〜16:19:23、my responsibility is ....//...in the community)私の責任は、入り口の部分で適任なボランティアに訓練に進んでもらうようにすることです。いったんボランティアへの訓練やボランティアをする利用者の選定作業の段階になると、実際に訓練を司っているコーディネータと相談してゆきます。コーディネータとは週一回のペースで会議を持ち、折々の訓練上の課題の解決や、どのサービス希望者にはどのボランティアを紹介するかといったことについて相談します。実際にボランティアを最後まで指導監督するのは、このボランティア・コーディネータの職員なのです。ボランティアのサービスが終了するとコーディネータは勤務評定をボランティアに提供します。ボランティアはその時点で、継続の意思があれば別のケースが紹介されるかもしれませんし、または別のプログラムを希望するか、あるいは地域で他のボランティアの機会を見つけて移ってゆくかもしれません。」

 

3)カービーセンター(老人デーサービスセンター)のボランティアーズ

 

私たちは今回のカナダ取材で「ボランティアリズム」という言葉を多く耳にした。これは、医療や福祉などの社会サービスの提供に、ボランティアを積極的に活用する、いわば「ボランティア活用主義」という意味である。専任スタッフとボランティアがチームになって社会サービスを提供する。また、ボランティアに対して手厚い訓練を施し、ボランティア自身がある程度自律的にサービスを提供する。このようにボランティアを積極的に活用するためには、スーパーバイザーやコーディネーターといった専任の管理職員の仕事が大変重要だということも分かってきた。

 

次に私たちが訪れたのはカルガリー市内の中心部近くにあるカービー・センターである。ここは老人のためのデーサービスセンターである。老人たちはカルガリー市内全域からここに集まり、センターが提供する盛りだくさんのプログラムを利用して一日を過ごす。ただ日本のデーサービスのように一方的にサービスを受け身の立場で利用するのではない。ここでは1週間に64のデー・プログラムが開かれているが、専任のスタッフは極めて少数である。ほとんどの事務やサポート業務は老人たち自身がボランティアとして運営に参加している。ボランティアの数は700名を越すという。まさにカービーセンターのバックボーンはボランティアなのである。

 

 

(15:14:36〜)忙しく走り回るこの女性は、カービーセンターのボランティア・コーディネータ、ダイアン・ラングーウォースさんである。この日は午後2時からカルガリー市警察署長を招いてのお茶の会が催される。そのための準備で予定していたボランティアが当日急に来られなくなったために、ピンチヒッターでテーブルの準備に走り回っているところである。

 

(スタート15:14:59〜)

立木「今日これまでにハラハラする出来事は何度ぐらいありましたか?

ダイアン「4つか5つです」

立木「つい、今しがたおこったことについてお話願えませんか」

ダイアン「アレルギーをもった方なんですが、一緒に作業していた人がそのことによく耳をかさずに接着剤のビンのふたを開けたところ、強いアレルギー反応を起こしたのです。あわてて洗面所にその方を連れていって、それから作業場から外に出して、私のオフィスで休んでもらっています。まだボランティアの仕事をし残しているので家に帰りたくはないと仰っているのですが、作業場は危険なので休んでもらっっているのです。不用意に接着剤のふたをあけたボランティアの方と話しをしました。その方は気持ちが悪くなったと言われても、それは気のせいだと取り合わなかったのです。」(〜15:15:51エンド)/(スタート15:16:19:15〜)「コーディネータは一日中火消しに走り回るのです。人と人との間に割って入らなければなりません。一方はこうやりたい、もう一方はそうではなくこっちの方がいい、といった争いはよく起こるのです。ですから、そこに駆けつけて二人がうまく折り合えるようにお手伝いするのです(ふきんを投げるところまで〜15:16:40:“エンド)」

 

ボランティアによってサービスを受ける人たちのサービスの水準が下がらないようにするためには、ボランティアに対して管理職的な助言や相談も行う必要がある。と同時に、金銭による報酬のないボランティアの仕事では、仕事そのものに楽しみや意味づけを見いだせることがなによりも大切な価値をもつ。ボランティアを社会サービスに積極的に活用する時には、ボランティアの仕事をする人、ボランティアのサービスを受ける人双方の満足が保証されるように人事管理を行うダイアンさんのようなコーディネータの存在が不可欠なのである。

 

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カナダでは医療や福祉の分野にとどまらず幅広い分野でボランティアが活動している。事実1987年のボランティア全国調査によれば、カナダにおけるボランティア活動のトップ3は、教会活動、レクリエーション活動、そして教育や青少年活動の順であった。やっと4位・5位で医療や福祉分野のボランティア活動が顔を出すのである。

 

<<追加1997年1月7日>>

ここは、カルガリーから車で約1時間ほど東のラングドンの村である。この村で代々農機具修理店を営むロン・ウェンストロムさんに、どのようなボランティア活動をしているのかたずねてみた。

 

(スタート05:00:40〜)

 ロン「地元の消防団と、教会のボランティア・グループ、月に2回開かれる村のメンズ・クラブの3つのボランティア団体に所属しています。」(〜05:00:55エンド)

(スタート05:01:00〜)

ロン「長年ここで仕事をしていますが、ここで農業やってる者で、何もボランティアの仕事をしないという人間はまずいませんね。教会の活動とか、地元のホッケーや野球のチームのコーチ、こども農業クラブであるとか、ともかく農業をやっている者はほとんど誰でも何か地元のためにボランティアの仕事をしています。(〜05:01:38エンド)」

 

ラングドン村のロン・ウェストロムさんは、農村では誰でもボランティアをするのが当たり前であると教えてくれた。一方、カルガリー市は人口70万人とはいえ西部カナダでは随一の大都会である。カルガリーでは都市住民もボランティア活動に極めて積極的である。その理由について2・3の識者に尋ねてみた。

 

カルガリー市役所福祉局のクリス・ブランチさんは、カルガリー市内で家族や地域サービスを行っている様々なボランティアや非営利組織に補助金を提供するのが仕事である。

 

クリス「(スタート12:09:46〜)私はカルガリーっ子です。ここでは隣近所のものが互いに助け合うという文化が育まれています。ここで大きくなったのですが、この都市はまるで小さな田舎の町の雰囲気を持ち続けてきたのです。今ではカナダ有数の大都会になったんですが、どのようにかして、昔からの隣近所意識、みんなこの地域の仲間だという感覚を今もなくさずに持ち続けています。なぜ西部は、とりわけ東部のカナダと違ってそうなのか。東部はずっと古い歴史を持っています。社会基盤もより確固としたものがあります。古くから人が住み着いてきた地方です。これに対して、なにごとにも開けっ広げで、よそから来た人を心からもてなすというのが、ここ西部カナダの流儀なのです。ここでうまれ育つと、外から来た人に親切にし、受け入れ、質問にも包み隠さずお答えする、ともかく小さい時から、訪ねてきた人には敬意を払い、手をひろげるようにするものだと育てられてきたのです。(〜12:11:00エンド)」

 

カルガリー大学社会福祉学部長のレイ・トムリソンさんは、長年東部カナダの大都会トロント大学で教鞭をとった後、約10年前に生まれ故郷のカルガリー市にもどり、社会福祉学部の学部長に就任した。東部とちがった西部カナダ、とりわけカルガリー市の性格についてこのように語っている。

 

レイ「(スタート13:29:35〜)この都市の人達が感じていることは、まず楽しみたいということ、よそから来た人を歓迎したい、人をもてなすことで有名な所なのです。恐らくこういったことのルーツは、カルガリー自体が元々は農業や牧畜を主体とした町だったからだと思います。日本でもお聞きになったことがあるかもしれませんが、カルガリー・スタンピードの祭りの期間中は、都市を閉ざして、仕事をストップして、大いに西部の昔に戻って楽しむのです。これがあるから、昔ながらの精神が今にまで息づいてきたのだと思います(〜13:30:13エンド)」

 

カルガリー・ジェネラル病院ボランティア人事部の部長、スー・ウッドさんは、カルガリー西部祭りともいうカルガリー・スタンピードと市民ボランティア意識の関係についてこのように語ってくれた。

 

スー「(スタート00:25:55〜)カルガリー・スタンピードはボランティアが運営しているのです。カルガリー・スタンピードはカルガリー市民にとっては永遠とも言える長さで現在まで続いてきました。スタンピードというのは一大ボランティア運動なのです。それをカルガリー市民は間近に見て経験してきたのです。スタンピードが市にどのような貢献をしたのかも合わせて見てきたのです。一度スタンピードの手伝いをするとボランティアについても肯定的な経験をし、翌年もまたその翌年もなんらかのボランティアに参加しようという気持ちになるのです。

 もう一つの大きな要因は1988年の冬季オリンピックです。個人的な気持ちを言わせて頂くと、あの時にボランティアをしなかった人をとても可哀想にさえ思います。信じられないくらい楽しい経験だったんですよ。市のために働いたり、色々な人との出会いがあったり、素晴らしい体験でした。

 これが何故カルガリーではボランティアが盛んかという私なりの説明です。もう一つの理由ですが、西部では皆起業家魂というものを強く持っています。「よし、それをやってみようじゃないか」ということを言い出す人が大勢いるのです。「前例がないから、やめておこう」というのとはまったく正反対な生き方です。そうではなくて「どんな障害があろうが、本当に必要だと確信したなら、それを起こそう」という態度です。

 今いったような事が全部組合わさって、アルバータ州、そしてカルガリー市をボランティアリズムの最先端に押し進めたのだと思います(〜00:27:30エンド)

<<追加分1997年1月7日ここまで>>

 

  1. ヘリテージ(歴史遺産)公園歴史村のボランティアーズ

 

開拓時代の西部カナダの町並みや人々の暮らしを、そのままに実演して見せるのがカルガリー・ヘリテージ公園歴史村である。ここは生きた歴史博物館であり、当時の文化や風俗、習慣を、市民が直接参加しながら楽しみ学ぶことができる。この歴史公園の主役もまたボランティアたちである。当時の様々な歴史衣装に身を包み公園の各所で働く人たちの大半がカルガリー市民のボランティアである。また、この公園を運営する組織自体が民間の非営利団体である。行政に頼るのではなく、公共性の高い社会サービスを市民自らの手で紡ぎだし、市民自らの手で自治をするというのがボランティアリズムのもう一つの側面なのである。

 

 

この日は、年間を通じてヘリテージ公園最大のイベント、「ヘリテージ公園秋まつり」が開かれた。当日は1500名の登録ボランティアの中から800名のボランティアが開拓時代そのままの衣装に身を包み、祭りの催し物の運営を行った。また、カルガリー子供病院のボランティアや農産物の生産や流通業者のボランティア200名も応援に駆けつけ、カルガリー名物の秋まつりを盛り上げた。

 

(ラインダンスの母娘たちの「ヤッフ!」で終わる)

 

  1. ジェイル・アンド・ベイル:カナダ・ガン協会の資金集めイベント

 

 

ボランティア活動で人々が一番時間をかける活動とはどのようなことだろうか。実はサービスやケアの提供ではなく、ボランティア団体のための資金集めや組織化活動、そしてそのための会議出席などである。1987年の全国調査によると、ボランティア組織の経営や運営、組織化に関する活動は、ボランティア活動時間全体の3分の1を占めた。その中でも組織の運営の要になるのが資金集め活動である。カナダでは、ボランティア活動で人々が一番多く時間をかけているのが民間非営利団体のための組織的募金活動なのである。

 

 

ご覧いただいているのは、ガンの医学的研究やガン患者への支援を行うカナダ・ガン協会が主催する資金集めのイベントの模様である。カルガリー市警の警官もこのイベントには毎年協力している。ジェイル・アンド・ベイル、牢屋と保釈金、と名付けられたこのイベントでは、職場や家庭に突然警官が現れ、手錠をかけられて、市内のショッピングセンターにもうけられた模擬裁判所に連行される。裁判官は地元テレビやラジオの有名人のタレントがボランティア出演している。陪審員も市内の有力者や有名人である。そこで罪状と保釈金額の判決を受けると、囚人服がわりの野球帽とエプロンをかぶり模擬刑務所に拘禁される。そこから友人や知人に電話をし(電話風景20:26:36〜20:26:49「今ジェイル・アンド・ベイルで留置場に入ってるんだけど、釈放されるのに2千ドル集めなければならないんだ。ああ。だからいくらでもいいんだけど、ガン協会に寄付をしてくれませんか。君がこうやって電話をする一人目の友だちなんだ。」)、保釈金額に達するまでカナダ・ガン協会のために寄付金を募るのである。

 

 

50年以上の歴史を誇るカナダ・ガン協会の目的や使命について、協会の専任ボランティアコーディネータのナンシー・ジャックさんに語ってもらった。

 

 

ジェイル・アンド・ベイル以外にも、カナダ・ガン協会は年中を通じて様々な資金集めイベントを開いている。そのほとんどすべてがボランティアによって運営されている。ガン協会の活動に熱心に参加するボランティアの中には、自分自身や自分の家族がかつてガン協会のボランティアに助けられたという経験を持つ人が多くいる。自分が受けた親切を他の人にお返しをする。そのような気持ちがきっかけとなっているのである。

 

 

わたしたちは日本を発つまで、ボランティアを「小さな親切」運動そのものととらえていた。けれども、ボランティア先進国カナダの実情は、それを大きく覆すものであった。たしかにボランティアリズムの根っこには、他者への親切や他者から受けた親切を第3への親切でお返しするといった「善意の循環」の思想があるかもしれない。けれどもボランティアリズムにはそれ以上の哲学が込められていた。それは、公共のサービスを行政に頼らず、市民相互の善意の交換を通じて市民自らの手で公共性を紡ぎだし、運営する民間主導主義の考え方であった。

 

公共的なサービスの実施を民営で行うこと。その際にボランティアを積極的に活用する。それは、社会生活のあらゆる側面が行政主導型になっている私たちの社会が、今後どのような方向に進むべきかを示唆する大きなヒントを与えるものであった。

 

公共性は民間が紡ぎ出す。それがボランティアリズムの核心にある思想なのだった。