被災者復興支援会議2 第2回フォーラム
恒常的な地域の見守りと心のケア体制を築くために
12月18日午後1時半〜 フェニックスプラザ


立木
 支援会議に3つの部会がある。福祉、健康、心のケアのメンバーが主に集まってこれからの恒常的な地域の見守り、心のケアの体制をどう作るか。現場の支援者や会場の皆さんとみんなで一緒になって考えたい。さまざまな形で作られていた施策が終わり、今後の施策にみんなの知恵を出していこうと。

 まず、最初に集まったメンバーを紹介する。
右手から
県営大倉山のシルバーハウジングで支援しているLSA、藤村美加さん
尼崎潮江のシルバーハウジングのLSAの若宮達也さん
地域の自治会で新在家南の民生委員、自治会長の高野拓治さN
支援会議メンバーの兵教大の富永良喜
コープ神戸の山添令子
魚崎南の民生委員でコープ委員の宮崎明美さん
宝塚心のケアセンターの臨床心理士、堀口節子さん
神戸協同病院の上田耕蔵院長
 
藤村
 なぜいるのかというと、今朝も立木さんから言われたが、平均年齢を下げるため。この場からも勉強したい。特養ホームから在宅支援をやるようになって半年。シルバーハウジングのLSAはたくさんいるが、私なりに感じたこと、日々思っていることを話したい。
 LSAは皆さんご存じのように、シルバーハウジングは、高齢者の生活安定、社会福祉サービスの供給をする。地域で自立して快適な生活を送るために、設計設備が配慮されたのがシルバーハウジング。その中で在宅生活を支援するのはLSA、安否確認、緊急時連絡、保健医療福祉地域の機関と連絡を取るのがLSAの仕事。
 大倉山住宅は、とても大きな住宅で、500以上の世帯が集まっている。その中でも県営の一般、高齢者徳目、障害者住宅、シルバー住宅が集まっている。シルバーが200以上ある大きなところ。高齢化率はナンバーワンぐらい高い。新しい地域なら、ボランティアとかできたりするかもしれないが、大倉山は古い住宅地なので難しい。周囲からの支援が期待できない。
 入居基準でシルバーに入居されるのは身体的な自立が基準だった。とにかく家が欲しい、いいところに入りたい募集され、コレクティブと言っても長屋みたいに協力して暮らそうという目的と違って、とにかく家が欲しいと入居された方が多い。とてもユニークな作りで、ふんだんに使えばとても住み易いところだが。いろいろな思いがあってなかなかうまくいっていない。器と実際のギャップ。
 その中でどんなことができるか。安否確認で回っているが、一人一人の思いがぜんぜん違う。32人の考え方があり、どういう援助ができるか毎日模索している。あなたにはこれをするという援助ではなく、隣同士、近所が支え合い、ふれあう援助。後ろからお知りをヨイショと持ち上げるような援助ができれば。
 32世帯、共同生活質が大きくあって、そのまわりに普通の世帯がある結うなところがコレクティブだが、8世帯に1つ、小さなコレクティブを4つ担当しているような感じ。4会それぞれに特徴がある。
 1階は、はじめの募集で足が悪い方はどうぞ1階にと入ったので、立派な調理器、大きな部屋があるのに、自分の部屋から出られない。コミュニティーを作るどころではないと、ふれあいを作るのが難しい。2階は健康で、はきはき物を言われる方が多いが、それぞれの主張、ポリシーが違って難しい。月に1度の食事会がやっと。それもああだこうだといってやっと。3階はコレクティブのリーダーがいるので、リーダーを中心にして集まりやすい。毎月料理教室と言って、地域のボランティアの先生を招いて料理教室を開いている。最初は3階の行事だったが、コレクティブ全体に広がり、大倉山全体に広がってきている。とてもいい働きをしているのが3階。4会は普段はバラバラに見えるが、ベランダの植木栽培などを通じて、食事会もさああつまろうとできている。
 大倉山は4会それぞれに運営の仕方が任され、各階の役員が選出され、各階で共同質を使うと運営されている。1階のような場合は役員さんもどうしたらいいか頭を悩ませている。私も同じ。今後の課題。
 何かしようとしても、皆さんからお金も集めて水道代、ガス代も集めねばならない。お金はどうすれば集められるのか。沢山の課題が残っている。どう共同室がいかせればいいのかと思っている。
 リーダーが活発で、何でも音頭をとってやってくれる。3階なんかは、あかんかったらあかんでいい。次やってみようという。1階2階3階4階とどうすればいいか、課題。

若宮
 シルバーハウジングのLSAの相談員をやっている。シルバーってなにということを話したいが。LSAが抱えている一番の問題は、一人職場。一人で30−40人の支援に当たる。団地サイズが大きいと500人の人が何らかの形でLSAに頼る。水道とか、義援金とか。管理人と思って「管理人さん」と声をかける人もいる。
 私は喜楽園から配属されているが、5人のLSAが喜楽苑にいるが、何か困ったときの相談員がいたらいいと私がいる。全国の研修をお願いしてもないようだ。皆さん、LSAは燃え尽きるのではと思うほど一人で苦労している。東京だと住み込み。とんでもない。住民からすると、5時に帰らずに、5時に来て浅野9時に帰ればと言われるが、住み込みだと24時間精神が休まらない。LSAの一人職場が大きな課題。
 昨年7月からかかわり、現状は管理人のように万相談引き受けとなっている。カギのかけ方が分からない。電気錠だから。最近は家族や身体の相談になってきたが。最初は屋根が落ちてくるのではとかの不安を訴えたり、午前中に何度も電話してくる人とか。要介護度4−5が特養だが、「四国の親戚に行って来る」「スイミングスクールに」。最初は驚きだった。介護の人間関係は、手をさしのべるというか体力的に大変だが、介護は精神的にもつながりを持てる。LSAは緊急時の一時的な家事援助。行政や福祉サービス、街の電気屋さんとつなぐ。精神的に大変な仕事。
 専門性を持って、一つの職種として独立して行くべき。感じるのはコーディネーターの存在。市から復興住宅相談員が来てくれている。生活腹腔相談員が団地に2人県から来ている。何かあれば、複数で相談できることが確立されている。心のケアセンターも県からも今年度いっぱい、市も来年度いっぱい。バックアップ体制が必要。国レベルでのLSA、被災地でのバックアップがあればいいなと今日来た。いろんな話を聞きたい。

立木
 LSAはより豊かにしていく一つのサービスだが、さらに地域に存在している見方は自治会。

高野
 共同募金や日赤募金、神戸祭りの前夜の六甲ファミリー祭りの資金集め。町内に灘の有名さ茅7者会って、酒屋にお金を集めに行く仕事。地域の民生委員、児童委員をやっている。震災後、新在家南には658戸の市営と公団、県住がやってきた。行政から代表を作れと、同僚民生委員で全戸をまわり、緊急連絡先とか、通院先などの台帳を作った。90所帯が65歳以上の一人暮らし。13・6%。生活保護世帯は67世帯で10・2%。生活保護は、最低でも毎月一人、多いときでは2人、申請されている。不況でアルバイトもなく、体も弱ってきたとか、従来、仮設で住宅費いらなかったが、家賃がいるので負担できないとか。
 民生委員の職務は、台帳作り、民生委員だけでは最低限度の孤独死防止もできないので、勧誘をして友愛訪問グループを作った。5人一組で2組作り、民生委員の補助をしてもらっている。
 県市からのお祝い金などが出るが、1回70件ぐらい配ることもする。生活福祉資金を借りる人と保証人と一緒に区役所にいく。民生委員が生活指導して変換されるように努力することになっている。
 改善したい点は、自転車とかバイク、車の盗難がしょっちゅうある。何とかしたいが、今のところできないのが現状。冬場を除いて、若い人が自転車置き場にたむろして、ジュースを飲んでカンを棄てたり、たばこを吸ったり、ビニールの袋も落ちている。今は寒いのでないようだが。先月には、ビルの施設で中央階段の最上階でぼやがあった。新聞とライター段ボールが散らばっていた。自治会があるところ、ないところ、共益費だけ集めているところがある。基本は自治会。隣組は昔からあるが、自治会が基本になっている。いまだに、老人会や婦人会、子供会ができていない。
 HAT神戸は1800戸あるというが、ここはあとからできたが、老人会、婦人会ができているという。渚福祉センターという活動拠点がある。そこに役員たちが集まって福祉事業をやっている。センターとしての事業もされている。それを見て、やはり拠点がないとできないなと実感した。新在家はまだ拠点がないので。各建家の集会所の利用だけだから。
 地理的な問題として、住宅の北側に43号線があり、医療機関もスーパーも幼稚園も学校も何もない。お年寄りも車椅子の方も43を渡らないと生活ができないところ。
 今年の夏、民生委員として残念なことが起きた。母子家庭の家で、母が自殺された。31歳、長男が中学生13歳、長女が小学生で9歳。原因は息子の非行で悩まれた。発見されたのは飛行されていた息子。本当に母の死を一生背中に負ってまじめに生きてくれればと思っている。子どもを道連れにされなかったのは不幸中の幸い。
 社会的な環境改善をどんどんしている。改善された点は、交番を作って欲しいとお願いしていたが、出前交番ができて週に2回3時間ほど来てもらうようになった。バイクや自転車の盗難は半減した。青少年問題として、中学の青少年問題協議会に働きかけて、夏休みや冬休みに、みんなで巡回しようと。一人では脅されたりするが。PTA、民生、防犯協、交安協など民間団体すべて入って回っている。投票所が遠いので、43を超えていくのに15分ぐらいかかる。車椅子の人や足の悪い人が行かない。ほとんどの人が行かない。選管に申し出て、今回から団地内の集会所に投票所をこしらえてもらった。周囲の住民も一緒に投票できるようになり、灘広報に出してもらった。少しは便利になったのでは。ポストもなかったが、灘の郵便局にお願いして、最新式のポストを設置してもらった。年末に欠けて、笠井、放火、盗難などがあるが、年末警戒をしようと、市住でやることになり、1万円で提灯を作って、拍子木も作って、26−30日。8−10時半まで夜警をする。犯罪を防げるわけではないが、拍子木の音を聞いて注意する気持ちを持ってもらったらと思う。神戸の市バス、u毆)(B
路線が代わるので新在家南にも引いて。ワンコインカーをとお願いしている。HATから大石側の南の沢の鶴資料館経由、新在家南の復興住宅、阪神新在家、JR六甲道、阪急六甲、神戸大、六甲ケーブルをつなぐよう。大学生にすぐ三宮に行かないで、地元で買い物するようにもお願いしている。この不況期に笑えないホットな話。私の町内で15年ぐらい建設会社の手伝いをしている人。ジャンバーや作業服を着ている人が、サラの自転車に乗っていた。3日ほどしてあったら、紳士靴に背広上下、ワイシャツもサラの物を来て真っ赤なネクタイで電動機月自転車に乗っている。胸には携帯電話。宝くじに当たったのかと「どうしたの」と聞いたら、数年間年金をもらっていなかったという。数百万円一度におりてきて、毎月10数万円もらえるという。最初の自転車は盗られたという。「あの人、いろんな人に金を貸しよる」という。あとでトラブルになると、兄に電話して、お金の管理をしてもらった。退勤を入ると人間、仕事を辞めて贅沢に走り、携帯電話でスナックの女性の電話を待っている。思わぬことがあれば副作用もあると実感した。個人的な心のケアとしては、悲しいこと、苦・u毆)
しいことがあれば、すぐ根なさいという。寝ている間は忘れられる。寝られない人は旅行にでも行ってきなさいという。旅行に行けない人は、親友のところに行きなさいという。苦しみは私に話してもらえれば、半分になる。喜びを人に話すと倍増すると言っている。

立木
 魚崎南部で民生委員をされている宮崎さん。女性が多く、その中で民生委員のマンパワーは地域での活動されている見守りの人材源。コープ神戸の委員もされている。どんなきっかけでされたのか?

宮崎
 民生委員の前にコープ委員をやっていて、ふれあい食事の回を月に1回やっていた。ちょうど震災の年に、遠くに行った人から電話がかかり、遠く言っているが行ってもいいかと鈴蘭台からふれあい食事の回に来ている。コープの住吉のボランティアが復興にいってふれあい喫茶をやっている。仮設があったときに、仮設対応の民生委員になった。仮設がなくなったので普通の民生委員だけになった。自宅の前に魚崎の県住ができた130件。そこの担当になって欲しいとまた民生委員になった。20人ぐらいを担当しているが、月に2回お弁当を配っている。お雛様とか、ヘルスセンターを一緒に言ったりして楽しくするようにしている。南町5丁目自治会に入って欲しいと誘ったが、住宅で自治会を作り、カラオケとか新聞回収とかを自治会で活発にやっている。5丁目自治会には入られなかった。家の前が住宅なので、窓を開ければ顔が見えるので「お元気ですか」と顔を振っている。まだ慣れていないので、声をかける程度。余り難しい相談事でも応えられるほどの才能はない。なるべく毎日会うようにしているだけ。けっこう元気にされており、住吉側に散歩されているのを見守ること・u毆)
でやっている。みなさんいろいろおっしゃったが、私は活動的にはないのですが。中学校のPTAや地域の役をやっていて、そこからのお誘いがあった。まだ難しくやっていないのでこんなところで話すのが恥ずかしい。自治会もやっているし、青少年もやっている。最初はPTAがきっかけ。

立木
 PTAから地域への流れがあるのか?  国も地域での活動を民生委員にやっていただこうといっているが。

宮崎
 流れがあるわけではないが、根が好きなのでは。コープ委員も誘われてやってみようかなと。高齢者に声をかけると、自分の娘みたいと言ってくれる。体も大きいので「あっ宮崎さん」となる。あまり家庭の中までは無理だが、何かあれば役所にいうがと言っているぐらい。週1回の友愛訪問もしてもらっている。声をかけるだけだが、南部で10グループ以上ある。民生委員の上の方が。うちの地域でボランティアをやってくれる人はすごくいて、時間があるときはやりますよと。こちらからお願いしますと言わなくても来ていただける。地域でいろんなこと、盆踊りやコンサートとかやって、そこで知り合う。向こうからも声をかけてもらう。

堀口
 民生委員さんからしんどくなったら寝なさい、寝れなければ旅行に、友だちと話せばしんどいのが半分になると。その通り。私たちも話したら半分になるよとやっている。その中から見えたことと、今後の課題を。
 宝塚は、2,3ケースを紹介するのでこの中だけに。まだら被災の場所。住民の温度差も激しい。そこで活動し、メインの事業は相談。狭いところなので8月にオープンしたが、避難所から仮設にすべて移っていた。仮設でも地域の保健関係やボランティアも活動していた。そこでわれわれがぽんと入った。心のケアという言葉はご存じで、「何をしに来たのか。ケアより住宅、お酒を」と言われたが、何もないけど、話を聞くだけ。見ず知らずの人に話をしてくれない。住民と一緒に仮設作りから初めた。一緒にくさ引きしたり、遊び場を作ったり、子どもの面倒を見たりして、住民と親しくしながらみんなの中に入っていった。カウンセラーに何か話してもいいかなと思ってもらう人が増えてきた。口コミで待ってもらうようにもなった。今は復興住宅に入っている。個別の対応中心になり、私たちの出番が来た。家の中でゆっくりと話を聞かせていただく。集会所を利用したグループ活動。ただの茶話会では来てくれないので、ヨガやリラクゼーション、フラワーアレンジメントと工夫を凝らして集まりやすくし、口も心もホンワリという場を続けている。もう一つ大きな役割を果たしたの・u毆)
は、心の健康の普及啓発活動。市民対象の講座やLSA、ボランティア、援助者を対象にした研修会、講習会を定期的にしている。われわれだけではなかなかそういう会を開けない。年に数回やっている。駅とかで声をかけてもらうようにもなった。
 4年活動してきて、いろんな職種の方と一緒に活動し、保健、民生委員、市職員、自治会。専門家が疲れ切っている。専門家の援助者の役割を果たしてきた。若宮さんが言われた一人職場での苦悩の日々。すごくよく分かる。皆さん被災者なのに、家を、自分の家族を追い解いて、それを気にしながら被災社有船で無理して仕事をしている現状を見てきている。その方の話を聞いて、いろんな行事の時の立ち話とか。援助者への援助という視点がとても必要と実感した。
 今後の課題は、われわれ5年で終わる。3月いっぱいで心のケアセンターがきれいになくなる。西宮は何とか残るが。宝塚は平成10年度で950件。今年度は1000件越す。それがゼロになり、関係機関が怖がっている。何割うちに来るのかと、どんな対応したらいいか困っている。われわれがやってきたことを伝える会を開くことにしている。県や市の人とよく話しているが、身近な相談窓口、どんなところでもいいが、市民がふっと行けるようなところに我々専門家がいる場所を作って欲しいと言っている。専門家も気軽な相談に行けるところにも心理職をおいて欲しい。PTSDの視点を持った人も置いて欲しい。1年後、5年後、10年後というかた、沢山おられる。実際、2,3年目より4年目が増えている。
 残して欲しいという声がたくさんあり、やってきたかいがあった。いろんな専門機関に心理職を置いて欲しい。

上田
 地域密着型病院の院長。医療生協の病院です。社会福祉法人こまどりの理事長、特養作りで金集めに汲々している。震災で医療感が代わった、人生観が代わった。今日のテーマ、震災前には何のこっちゃと思っただろうが。
 2点。一つは虚弱な後期高齢者の問題。高齢者の12%の介護保険の対象。医療福祉の理論的な話。住宅の話。二つ目はコミュニティー作りは心づく利ではと言うこと。レジュメを作ってきた。
 生活支援に新しい分野を作った。LSAの方はいろんな言われ方をした。それが面白い。仕事の複雑さ、大事なことを表している。
 仮設に毎週往診するようになり、コンサルの方、都市計画の方とも付き合うようになった。ボランティアの交通整理をLSAがやっていた。大変な仕事にやりがいを感じられていた。LSAは朝の笑顔を見たいから仕事をしているのか。LSAは孤立せず、他の人と交流する。聞いた話を全部しまってしまわねばならない。市から直接支援してはいけないといわれたから。
 仮設はしばらくしたら入居者同士の話が出きるようになったが、恒久住宅、体にはいいが心に良くない。他人との関わりで自分があるし、うわさ話で互いをなだめあうもの。仕事でも昼休みうわさ話をしているなかで、勉強している。愚痴を言ってすっとするとか。夜になるともっと花が咲くのだが。ストレスをいやし会って勉強している。耳学問をしている。その仕事が心のケアセンターさんの仕事だったろう。公営住宅に入っている人、どうしたらと。うわさ話ができるようにすればと。ただ、やったらどうと思うだけでは広がらない。
 大量供給、家賃補助、高齢者住宅の供給、コミュニティーの支援。全国の3分の1のシルバー住宅が被災地にできた。ここがどうなるかで全国のシルバーがどうなるか決まる。介護の施設は増やさない。虚弱な人も、軽い人も入らない。シルバーがケア付きになっていく。コレクティブもできた。ケア付きは日本にはなかった。医療、年金は選考したが、福祉、住宅は省略した付けが出ている。日本は3分の2課半分しかない。医療が半分以上、個室ではない。これで介護がスタートする。施設の住まいへの進化を考えていない。日本全体で数が少ない。バリアフリーと命のチェックにとどまっている。LSAも倒れてから支援に行く。最低限の仕様。できたことはすごいが、良いシルバーにするにはどうしていけばいいか。
 住宅はプライバシーがあるが、ケアがない。施設はケアがあるが、プライバシーはない。生き甲斐、ふれあい、うわさ話がないとダメ。どうみんなで作っていくかとなる。

立木
 テーマごとに10−15分で回していこうと考えている。いろんな話が出て、一つ一つ一晩語り合えるが。LSAという新しい援助のスタッフ。LSAを孤立させないためにどうするか。
 藤村さん、困ったときに今はどうしているのか

藤村
 ひとりぼっちにはならない。220人なので、LSAが4−5人いるので、こういうことがあったのでどうしらいいか、アルコールの人がなどと話が出きる。分からないと神戸福祉振興協会の方に相談する。

立木
 神戸市は、市民福祉振興協会を通して法人に行っている。市の処遇、アルコールのこととかいやなこともある。その窓口がある。若宮さんが尼崎、芦屋で相談を受けている。
 若宮さんの仕事は確立されているのか。

若宮
 神戸市の振興協会の存在は大きい。全国的にも相談窓口が確立されていない。相談窓口ですよという職種を作っても、住民の人をイメージして、仲間がどう活動しているのか分からねば、LSAのストレスは減らない。芦屋は複数、24Hを交代で回している。まったく一人のところだと、私のところに来て15ふんー20分しゃべってすっきりしたと、私何もしていないのに。言えないということがストレス。私のような存在が必要だが、予算化されていない。総予算の中での人件費捻出。シルバーの予算一人270万円。被災高齢者自立支援事業を会わせているので、ふれあい喫茶やコミュニケーション支援をできるが。相談員、コーディネーターという仕事は見込めない。それがLSA全体の課題。

立木
 来年1月に支援会議で提案したい。LSAをトピックにしたいと最初に言い出したのは山添さん。被災者、支援者と対話してきて、現場で話をきくなかで、LSAがバラエティーに富んでいる。ばらつきがあると最初におっしゃった。なぜ、LSAの支援をテーマにしたいというか?

山添
 4カ所ほど、HATや川西などで復興住宅で話を聞いた。LSAが同席されている。件の担当部局に具体的にどうかと言われたが。率直に言うと、藤村さんが言われたように、自分のフロア、対象者の人間関係の相談に乗っている方もいるし、それを超えて担当のシルバーだけでなく、その場のまわりの自治会、ふれあいコーナーの方とも地域のボランティア、民生委員と連絡とりながら、身近な生活相談、コミュニティー作りまで入っている人も。住民、地域から頼りにされている人もいる。健康相談や安否確認の仕事だけをされる人も。
 LSAが地域と積極的に関係を持とうとか。集会室の近くに事務所があるので、その方の考え、接遇の仕方一つで集会が使いやすかったりする。ボランティアとして入っていくときも、LSAの対応一つでやりやすいとかやりにくいとか。重要な役割。LSAの本来の福祉的な対応以上の役割。どうも必要ではないか。地域作りで力を発揮できるように配置できれば。欲張れば、復興住宅だけでなくまわりの地域を巻き込んだ役割を果たせば大きな力になるのでは。

立木
 古い形のLSAでなく、新しい在宅福祉の形を作るLSA。コミュニティーワーカーになるのだと振興協会の立場で接しておられる方もいる。若宮さんが見えていないと難しいと言われたが

重野
 地域型仮設住宅1500戸、27カ所建てた。誰をスタッフに置くか。シルバーハウジングのLSAをモデルに50戸に一つ相談員を置いた。出したスタッフの面倒も見れなかった。たまたまヘルパーさんとして委託していた中堅の寮母さんだった。面白そうな仕事でやるやるとやりたがり画やった。まあまあうまくいった。最近、最後の長良仮設も終わった。障害者、高齢者、それも重度障害の方ばかりのところでうまくいった。震災がなければこんな無茶な住宅はできなかった。肇に受け持ったときに、お年寄り、心がこもっていた。コミュニティーワーク、グループワークを作りだすのがLSAの仕事。それがそこそこうまくいき、経費も安く付いた。9−5でなんとか乗り越えたのが神戸市として良かったのでは。震災後ももともと施設併設型で建てるところを、復興住宅にぺたぺた付けて、元の施設に離れて作った。やる気がある人はどんどんやる。親施設がバックアップするところもやる。孤独の人はそのまま。一括して研修するようにと回ってきた。各家庭の高齢世帯支援も回ってきた。月1回の会議、研修をしている。近くの人がやるのに越したことはないが、親使節から離れて・u毆)
いる孤独な人がお仲間ができ、情報交換できるのですごく楽になったと言われている。個別な困難には飛んでいく。小さな区ぐらいのグループを作って、シルバーも50人ぐらいの会議になるので小さいことがデイ会ので小さな会議を作ってやっていこうと。新任LSAに2日間の研修をするとか。最新の情報で、精神科医やコミュニティーワークとかの学問知識とかを身につけてもらおうとやっている。

立木
 喜楽苑、ものすごくコストを持ち出してやっていると思うが。すべてできないが。

若宮
 震災直後、ケア付き仮設を提案したように、必要だから予算を付けろとアクションを起こす。福祉にかかわる人、民間の人も分かっているだろうが、必要だから持ち出す、無駄なことはしない。24時間の毛厚木仮設の経験を生かして、南芦屋浜で常駐型の対応をしている。1−2人の持ち出しはあっても、つぎの1−2人の人件費を市や県が出してくれるようになって行ければ。なぜそれで成り立つかというと、かかわっている人、住んでいる人、家族の方、ボランティアの方の協力が大きい。感謝している。

立木
 公的なサービスの提供者が民間の方。利用者の方の機密保持の中身は何のため? 行政は公務員としてのしばり。LSAの秘密保持は何のため?

上田
 他の人が知ったら腹を立てるだろう。秘密の保持は援助という点では一人で解決できないことはなんぼでもあるから、やりとりせざるを得ないだろうが、法律的な問題は分からないが。「他の人と相談していいか」とサインをもらうようなところにいくのもどうか。専門職の間に話がとどまるのであればいいのでは。

立木
 援助される対象者に信頼してもらうために、秘密の保持の原則ではないか。援助を展開するために、スーパーバイザーや他の援助者にも相談してもいいのでは。

上田
 LSA同士が話し合うときに、どういう場所でやるか。関係ない人には聞かれないようにしていくことも大切。

立木
 コミュニティー作り。器はできたが、人のつながりを築き直すこと。そこでLSAがする仕事とは。プロの建築家としてボランティアで入っていて、住民組織の重要性を訴えられた石東さん。

石東
 自治会を作るのはなかなか難しい。果たしてどの人ができ人なのか分からない。その中で地域で長いこと様子を見ている人、民生委員だと思う。新在家南の600戸以上の住宅、市だけでなく県、公団が200戸ずつだと思っているのでどこも主体にならずにしんどい。その地域を見られていた民生委員が高野さん。600戸を全部回って、一人暮らしの高齢者を訪ねるのはものすごい仕事。行政がリストを回せば楽だが、個人の秘密なのでできないという。地域で見守っている人は民生委員しかいない。今までと違って新しい活動が要求されている時代。民生委員が音頭をとって、新しい人が来られたら入ってもらう。
 民生委員は玉石混淆。名誉職ではなく、時代に即応して活動してもらう。地域のことを見守る、自分たちの相互扶助をするリーダーを見つけるのが新しい民生委員の仕事。

高野
 微力なので、どれだけのことができるか不安。なぜ、5棟あって、一つにしっかりした自治会ができたのかというと、私も発起人になり、めぼしい人にも話をして、設立総会も集会所も小さくて80人しか入らず、廊下に溢れた。お前は何ものだとか言われたが、ここの建物福祉を勝ち取るには自分たちの力で自治会を作らないと。行政や企業に訴えて行かねばならないのだと。そのうちに落ち着いてきて、やろうじゃないかと。主な方に会長になって、その場で推薦して、あとやっている。勇気を持って、ぜんぜん知らない人に言っていくのは勇気が言った。その方ならやってくれると思って動いたのがその自治会。市と県とはやり方が違う。県は自治会はどちらでもいいと思っている。管理人は県から決められている。共益費などを集めている。掃除なども共益費からプロの人が来ている。市は共益費は電気代とエレベーターだけ出やすいが、自分たちで掃除をしなければならない。ゴミだらけのエレベーターも自分たちで掃除しなければならない。自治会がないと何もできない。できるだけ行事を呼び込んで心と顔のつなぎ愛を示して、高野なら任せて大丈夫と言うことを示さないと。そこ・u毆)
が最初が苦しかった。掃除も、最初に出てやっていた。地域の人にこの人の任せれば大丈夫ではと思われるのが大変。

立木
 民生委員の多数は女性。区単位の民生委員の協議会は男性が多くなる。魚崎で女性の総務は?

宮崎
 民生委員副総務も女性。14人いて11人が女性、年齢も若くなっていて40−60代まで。高野さんはすごい尊敬するが、地域、自分が担当しているところのお年寄り、子供たちに声をかけるところからやってきている。県営住宅の自治会を作るところまでは手を出していない。こっちへの働きかけもなかった。私は構えないで常に声をかけることを思っている。

立木
 600戸の台帳作りをしたのは民生委員で企画されたのか?

高野
 台帳は神戸市の社協に所定のフォームがあり、そこにデータを埋めれば基本台帳として役に立つ。個人的に連絡ができる。区からやってくれないかと言われた。

宮崎
 ほとんどの民生委員は担当して全部訪問して連絡先とかを調べる。それが任務。

立木
 民生委員は行政とそういう情報を共有できる地域のボランティア。なかなか行政の人からもらえないという。法律の元に、公務員的な色彩もある。2重の性格が、これからボランティア的な活動をしていく人が民生委員になっていくことでメリットになるのでは。
 心のケア、ふっと立ち寄れるところ、専門家のケア窓口が必要と言われたが、堀口さんはどうされるのか。

堀口
 すべて5年契約で雇用されているので全員3月末で首。各自で探さねばならない。猛襲職活動に入っているスタッフもいる。私自身はとにかく常勤で務めていて、来年度以降のことを考える余裕がない。何とかなるかと考えている。

立木
 これまではカウンセリングルームがあってそこでケアだったが、この間は出ていって話を聞いていたが。

堀口
 個人オフィスは全く個人カウンセリングなのでそこは続けたい。地域の機関から、なくなるとのことで手伝って欲しいとか、スーパーバイザーとしてきて欲しいとか。個人カウンセラーという立場と、地域での活動の立場と二つをやっていきたい。

富永
 このまま終わってしまう。震災の影響だけでなく、児童虐待、DVなど様々な心の問題が出ている。この財産を恒常的な施策に載せる必要がある。保健所に心のケアルームを設けるとか、臨床心理の方とかソーシャルワークの方をおくとか。専念できる人が被災地に限らずいるのではと思っている。教育関係、スクールカウンセラー震災の時に配置され、2000項弱に配置されている。各区に1−2校。そこも充実する必要がある。密室で相談を受けるのではなく、予防的なことをやる必要がある。でかけていっての心の授業。ストレスの切り抜け方とか。もっと充実させていく必要がある。被災地で心のケアがこれほど大切なことという認識できた。こころのケアの総合センターが立ち上がるというが、予防、診療、教育、啓蒙、研究ができればと夢のようなことを思っている。

立木
 いままでのまとめでいうと、LSAという新しい職種、日本の3分の1は阪神間で仕事をしている。日本の在宅福祉の先端的な実験場が阪神間にある。実験場でもあるが、直接サービスの経費は出ているが、どの人に当たっても同じサービスを受けられるようにはなっていない。阪神間全域で、現場のLSAの相談に乗ってもらえる体制、サポートしてくれる人が必要。それがサービスの質の安定には必要。研修会、交流会を小グループで持てるよう、業務として認められることも制度として必要ではと思った。
 地域で、すまい、近所、廊下やエレベーターがどこまできれいにされているか、世話がされているかでそこの住み易さが決まってくる。住民が自分たちでどれだけ解決できるか、その棟やその住区の品格が出る。それは行政がやってくれるのではなく、自分たちで決めて、ある意味で統治するようになっていかないと、行政とパートナーシップがくめない。
 心のケアというような目の見えないサービスに金を払う、そういうことが今後も提供されること。誰もがつながっていることを社会が保証する、そういう仕組みが必要だと。
 
室崎
 素晴らしいディスカッションありがとうございました。支援会議の紹介を兼ねてコメントしたい。支援会議は、被災者と行政の間の第3者として復興支援の提言をしていくことを基本スタンツ。なるべく現地には行って被災者の声を聞き行政に届ける。今日のフォーラムもその一環。行政にも居住者にもいろいろ提案していく。できるだけいい提言を作る。
 もう一つは、個人的な思いもあるが、立木さんは最初のメンバー、我々は新メンバー。最初の会議は住宅の再建をいかに図るかだった。第2段階はどうなのか。3つのポイント。被災者の範疇がもっと広いのではないか。被災者と、被災者をつなぐ専門家、LSAとかまちづくりコンサルトか、NPOとか、そこで大きな動きができている。そういうところまで含めて支援する。入れ物としての住宅復興から、総合的な復興に、コミュニティー作り、まちづくりに広がった復興に。地域の見守りと心のケア、心のケアは地域の中で実現するのだろ。地域に力点を置かないと。3つ目は被災経験を財産にする取り組むことが必要。被災地文化のこんぽんはみんなで助け合う社会。心のケアの方の活躍にもかかっている。今後とも支援会議を皆さんがたに支援していただくことをお願いして最後のあいさつとしたい。

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 速記者・中川の個人コメント。
 地域のコーディネーターになりうる立場の人は、いろんなところにいる。問題は了見を狭く持たないこと。また、被災直後から救援者と被救援者と分けられないように、それぞれの人、例え高齢者でも何か役に立つことをしてもらえるようなしかけを沢山考えておくこと。行政の窓口を一元化しないで多様化しながら、情報を共有して顔を合わせる仕掛けが必要。LSA同士のコミュニケーションだけでなく、その地域でのいろんな活動にかかわる人が立場を超えてコミュニケーションできるといいなあ。

注)
本速記録は、時事通信社神戸総局記者の中川和之氏(n-kaz@kh.rim.or.jp)(中川氏のHPサイトはこちら)のご好意により転載したものです。


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