支援会議Uの活動をふりかって(2001年3月11日)


 わたしは、たまたま初代とパートUの二つの支援会議に関わった。両者を簡単に比較してみよう。

初代支援会議が活動したのは、緊急対応・復旧期だった。主として仮設住宅居住者の生活問題に焦点を当て、行政として予見不能な事態や、新たに出現してきた課題について、「生活者の常識」をよりどころに提言・提案を行う。そこに支援会議の意義があった。初代会議の活動の特徴は、「現場(アウトリーチ)主義」と「(生活復興のための)提言・提案(アドボカシー)」活動である。生活復興のためには「自律・連帯という市民としてのこころざし」をもとう。これが初代支援会議の主張だった。

これに対して支援会議U全体の活動を特徴づけるキーワードは「生活復興のための市民・行政・事業者のパートナーシップ」。より市民の立場からこれをとらえると、「参画」・「協働」になる。NPOや商店街事業者への中間支援、高齢者や子育て家庭への恒常的な地域見守り体制づくり、教育の社会化をめざしたトライやる・ウィークなどの体験学習を促進するための家庭・地域・学校の連携などは、参画・協働にむけた「こころみ」であり、それをいかに強めるか、が支援会議Uの基本テーマだった。

つまり、初代支援会議は「こころざしとしての自律・連帯」、支援会議Uは「参画・協働のこころみ」がキーワードだった。

今後の支援会議の活動を特徴づけるキーワードは何だろう。それは「持続可能な参画・協働へのふみこみ」といったものになるのではないか。今、わたしたちは神戸・阪神間で、市民社会が創発してゆくまさにその実況現場に立ち会っている。その中から生まれ出てくる優れた取り組みに学ぶ。そして、そのこころみを持続可能なものにするために、手続きや方法について、市民・行政・事業者のあいだで協約(compact)を結ぶ。市民社会づくりに向けた基盤制度づくりにふみこむ。これが、支援会議Vの大きなテーマになるのだと思う。

初代支援会議に比べて、支援会議Uのプロジェクト・チームには余裕があったように思う。なぜなら、状況が予見不能で対応の代替策が多数という初代支援会議における緊急対応・復旧期と比べると、支援会議Uでは状況が安定化・慢性化し、その対応施策もルーチン化・専門分業化が可能だったからだ。でも、支援会議Vがとりあげる(はずの)課題は、持続可能な市民社会づくりである。これは、予見不能・代替策多数の状況であり、行政・事業者などの「専門知の論理」では対処不能な事態となることが予想される。「生活者の日常知」と「ネットワーク」を武器として、支援会議が活性化される舞台が今ふたたび整うのだと思う。