立木茂雄・山中速人プロデュースCD−ROM『阪神・淡路大震災 マスメディアが見落としていた現場からの証言 ボランティア編・被災者編』ライナーノート発売元一期一会:ichigo-ichie@hi-ho.ne.jp


●ピープルズチャンネルの誕生

ピープルズチャンネルは、ボランティアが制作し、ケーブルテレビ局を通じて放送した被災者向け情報番組である。

 番組のアイデアが閃いたのは1995年2月末のことである。震災5日目から始めた関西学院救援ボランティア委員会の仕事を1日だけ抜けだし、滋賀県瀬田で開かれるカオス理論の研究会に参加するため名神高速を飛ばしている時だった。東西の流通が寸断し吹田から京都方面への車の流れが途絶えた高速道路は、通勤時間帯の午前9時でさえ車はまばらだった。

 震災から2ヶ月。被災者は避難所の方々だけではなかった。地域の小売業も甚大な打撃を受けた。営業を再開するまでにこぎ着ける店もあらわれてはいた。けれど、客が戻ってこない。避難所では物資がタダで手に入る状況で、お金を払ってモノを買うという経済活動のインセンティブが働かなかったのである。

 当時、放送メディアは、阪神間の中で起こった出来事を阪神間の外に流すのが仕事になっていた。テレビはあまり役に立たなかった。ひどい惨状が繰り返し映るのだが、被災者にとって大事な情報とは、例えば自分が住んでいる地域の歩いて行ける範囲で、どんなものが手に入るのかということだった。行きつけの店の営業再開の情報も喜ばれるにちがいなかった。

「被災者の、被災者による、被災者のためのテレビ番組」のコンセプトが生まれたのはそんな時だ。瀬田での研究会を初日で抜け出し、非常勤講師でマスコミュニケーション特論を担当していた徳永利光と、このクラスをたまたま受講していた立木ゼミ3回生の瀬恒健太に連絡をとった。「ピープルズチャンネル」をボランティアで制作し、地元のケーブル局から放送しようと持ちかけたのである。翌日、徳永はソニー大阪支社(当時)の佐伯正美を通じて地元のケーブルテレビ局、ケーブルビジョン西宮に面談の約束を取り付けた。立木・徳永・佐伯がケーブルビジョン西宮で番組放映の合意を取り付けたのはその翌日である。 関西学院救援ボランティア委員会のなかにメディア隊が組織された。主力は瀬恒のほか、松田大作・武石亜紀・坪倉裕子・福原愛といった立木ゼミ3回生と、徳永が声をかけたカメラマンの今西善助やタレントの堀江良信、土井真由美といったプロ達だった。徳永の監督で取材は3月3日から始まった。オンエアは1995年3月6日であった。営業を再開した店の情報(元気印お店レポート)や、救援ボランティアの紹介(元気印人間レポート)を15分番組にまとめケーブルビジョン西宮に持ち込んだ。こうして95年3月31日までの4週間に合計8本の番組を制作し、昼と夜の毎日2回放送した。また番組を視聴できない地域や避難所へは、ボランティアの協力を得てビデオテープを配布した。

 

●ぴーぷるずチャンネルへ

1995年4月16日、救援ボランティア委員会は関西学院ヒューマンサービスセンターへと改組し、緊急救援活動に区切りをつけた。その4月末、兵庫県情報政策課の政井悟から問い合わせがあった。3月のピープルズチャンネルの番組を県が提供するひょうごチャンネルで再放送できないか、という問い合わせであった。やりとりを続けるうちに、いっそのこと震災復興やボランティアに関する番組を、新たに制作しようというアイデアがふくらんだ。今度は、西宮だけでなく兵庫県12局(当時)のケーブル局をネットで放送するのである。ただし、番組の制作費用は当方で負担するというのが情報政策課の条件であった。

当時、私は新しく生まれたヒューマンサービスセンターの活動の一つとして、震災復興の諸側面を定点観測で映像に記録することを考えていた。ただし、まったくの手弁当で学生やプロのボランティアが動いた3月と違い、年間を通じて番組を制作し続けるには、それなりの予算と人員の確保が必要だった。 幸いなことに新番組の制作費については、関西学院の今井鎮雄理事を通じて国際ロータリー第2680地区災害復興委員会の支援を受けることができた。このようにして、震災復興や被災者支援の諸活動をテーマとする非営利番組として、兵庫県情報政策課が提供する「ひょうごチャンネル」の中に「ぴーぷるずチャンネル」コーナーがスタートしたのである。 西宮地域だけをエリアとした番組づくりから、芦屋や神戸、姫路などにも番組スタッフは足を伸ばし取材を続けた。新番組では、徳永が講師を務める新年度のマスコミュニケーション特論の受講生有志がリサーチや前取材を行い、ディレクター徳永のもと今西・堀江・土井などのプロ・スタッフと共に本制作を行うという体制が固まっていった。やがて放送後の番組は、社会学部1回生東中綱利のリーダーシップのもと、テープ起こしをし、それに静止画像をつけ加えて、ヒューマンサービスセンターのホームページで公開する試みなども始めた。

 

●私とあなたの街

 95年の夏の終わりのことである。私と妻は、夜の散歩の途中、恩師である武田建関西学院理事長のお宅を訪れた。武田家の居間で流れたのが「私とあなたの街」という歌であった。

あなたのため 私は歌う

私のため あなたは歌う

この街のため 私たちは歌う

私たちのため 街は立ち上がる

しらいみちよの歌が流れる中で、寿子夫人は、この歌のできあがるまでのいきさつを語った。それは、震災を機会に、一台の車に同乗して通勤するようになった3人の中年のサラリーマンの話だった。その中にピアノを弾く1人がいた。被災という厳しい環境の中から、自然と頭に浮び離れられなくなった旋律が生まれた。もう一人が詩をつけた。そして三人目が「もとのように電車が走ったり...街に活気がもどったり...目に見える傷は、どんどん癒やされていくのが分かるけど、心にずしんときた痛みは、結局は、自分で丁寧に癒やしていくしかないって、思う。」そんな想いを、ジャケットの文章にし、自らもカップリングの詩を作った。やがて、この歌はプロの目にとまり、マヒナスターズの元ボーカルしらいみちよの歌でCDとして発売されることになったのである。

 翌日、私は徳永に連絡をとり、番組でこの歌を取り上げるように提案した。徳永は他の取材予定があり、当初乗り気ではなかったが、とりあえず前取材で3人に会うことは了承した。その夜、興奮した声で電話をかけてきた。私とあなたの街の作曲者は、松下電器宣伝事業部長の峯村光彦であり、作詞者は総括部長の林宏、ジャケットのコピーは企画部長の蟇目吉英の作であると告げたのである。松下電器の全世界での広告宣伝を大阪ビジネスパークのツインタワーから統括するトップの3人だったのである。しかも、峯村の子息健太郎は、関学大アメリカンフットボール部時代は名ディフェンスバックとして同部総監督武田建(関西学院理事長も兼務している)の教えを受けていた。一方、林も関学で教育心理学を専攻した同窓であった。3人は、番組の取材に快く応じただけではなく、関学ヒューマンサービスセンターが制作するぴーぷるずチャンネルに、松下電器のフィランソロピー活動として支援する可能性を語った、というのである。

 国際ロータリー2680地区災害復興委員会からの支援により、番組はスタートできたが、実際の制作費は、非営利活動といえども確実に必要で、しかもその額は当初想定したよりも大幅な赤字になることが見込まれていた。われわれは喜んで、松下電器からの支援を受けることにした。

●CD−ROM化へ

 ぴーぷるずチャンネルは1995年6月から1997年3月まで兵庫県内の12のケーブル局で放送された。ボランティアが行政と交渉し、団体や企業からのフィランソロピー資金によって事業を運営し、その成果物をケーブルテレビとはいえ公共のメディアで放送を続けた。これは改めて考えると、画期的なことだと思う。

 「被災者の、被災者による、被災者のためのテレビ番組」という理念のもと、行政や団体、企業の担当者と、ボランティアや制作スタッフがパーソナルな(顔の見える)関係を共有し、それをほとんど唯一の資源としながら、私の側から公共性を紡ぎだした。それがピープルズ(ぴーぷるず)チャンネルという非営利(NPO)活動であった。 

 ボランティアによる公共放送番組の制作の歴史的な意義を、私に教えてくれたのは、東京経済大学コミュニケーション学部教授の山中速人である。小学生時代からの友人で、関学の学部・大学院の同窓でもある山中は、95年1月21日から活動を始めた関学救援ボランティア委員会の事務局を、開設数日後には東京から陣中見舞いに訪れている。山中はコミュニケーション研究の視点からも、是非われわれのプロジェクトを映像資料として残すべきだと主張した。そして、同学部のメディア工房で情報ボランティアを組織し、95年3月のピープルズチャンネル、同6月から97年3月までのぴーぷるずチャンネルの番組を取り寄せ、その映像資料の再構成を行い、CD−ROM化の指揮を取った。

 さて、このCD−ROMの出版でも、松下電器宣伝事業部から物心両面でご支援を頂いた。とりわけ制作のマネジメントでは、時枝信康契約担当部長、中田純一推進課長の多大なサポートを受けた。さらにジャケットのデザインからパッケージングでは今岡忠篤企業宣伝制作担当部長をはじめ、多数のスタッフの労を煩わせる結果となった。ここに記して深くお礼申し上げます。

 ボランティアが、同じ目の高さで被災者や救援ボランティアを取材する。そうして切り取られた震災復興の諸側面を、被災者の生活とボランティアの素顔という二つの視点にまとめたCD−ROMがこのようにして生まれたのである。

ピープルズ(ぴーぷるず)チャンネルプロデューサ

関西学院大学社会学部教授 立木茂雄

2枚組\12,000 (発売元一期一会:ichigo-ichie@hi-ho.ne.jp