カナダにおける企業とボランタリーセクターの関係

立木茂雄(関西学院大学社会学部)


1)カナダの行政革命

 カナダは北米大陸にありながら、政策的には戦後一貫してイギリスや北欧流の福祉国家政策を続けてきた。しかしながら1990年代に入ると景気後退や失業のまん延化、医療や社会福祉関連支出の膨張、さらに以前からの公債の利払い費の増大などにより、国家財政の赤字は大幅に拡大した。1993年11月に発足したクレチエン自由党政権の最大の課題は歳出カットにより財政赤字削減を大胆に実行することであった。それはまさに「行政革命」という名に値するものだった。 

 この大胆な「行政革命」の結果、1994年度から4年間で連邦政府各省庁の経費は平均で21.5%も削減された。細かな内訳で見ると、運輸は約70%、工業などの自然資源も約60%、教育は約40%カットされ、司法や福祉の分野でも10%近い関連予算がカットされたのである。同時に連邦政府から各州政府に分配される交付金も大幅なカットが断行された。さらに連邦政府の公務員も大幅な削減が行われ、その数は全公務員数32万人中の約14%にあたる4万5千人にものぼった。

 行財政改革は連邦政府・州政府に留まらず、市の行政にも大きな影響を与えていた。筆者が訪問したカルガリー市でも大幅な行政組織のリストラが進行中であった。その際の合い言葉が「行政サービスの外部移管(アウトソーシング)」であった。これは「政府が行うことに必ずしも必然性や合理性のない仕事は外部の民間移管する」という方針を意味する。福祉の分野について言うと、ほとんどのサービスは民営化が可能であると判断された。その際の受け皿として登場するのがNGOやNPOと呼ばれる非政府・非営利の組織や団体である。

 この場合行政は、公開入札によるコンペ方式でもっとも効率よくサービスを提供するNGOに業務を発注し、その費用だけを負担する。一方サービスの管理や運営は、100%NGOやNPOに任されるのである。

2)「福祉目的税」に近い感覚で市民はNPOに寄付をしている。

 NGOやNPOは今まで以上に公益サービスの実施主体としての重きを増すようになった。そしてNGOやNPOを市民サイドから支援する市民や企業からの寄付金の重要性がさらに高まったのである。

 非営利団体への寄付金は、税控除が受けられることもあって通常の市民の感覚では「福祉目的税」に近いものである。しかし、行政が実施する「福祉目的税」とは異なり、寄付金の場合市民はどのサービスや団体に寄付をするかが選択できる。その結果、真に公共の利益にかなうと多数の市民によって賛同されたNPOは財政的に存続が適えられ、一方問題があると判断されたNPOは淘汰されてゆく。このようにして福祉や社会サービスにも、ある種のマーケット原理が発揮されるようになっているのである。

 マーケット原理。それこそが行政とNGOやNPOを峻別するものである。NGOやNPOには市民サイドから見れば税控除を受ける寄付金先として競争原理が働く。一方行政サイドから見れば事業の公開入札を通じて、競争原理が働く。その結果サービスの淘汰が行える。けれども行政組織はいったん立ち上げるとその改変やリストラには多大の抵抗が生まれるのである。

3)市民社会における政府の役割とは?

そもそも政府とは一体何だろう。この点について明快な回答をしてくれたのは石油採掘の多国籍企業シェブロン社の地域貢献担当部長のジリアン・ラムゼイ氏である。ラムゼイ氏は筆者に以下のように語ってくれた。

政府は、議員によって統治されている。その議員を選ぶのが有権者である市民である。市民は議員に税金が効率よく運営されるように仕事を委譲している。ところが気がついてみると、その税金だけでは社会の全てのサービスをまかないきれない事態になっていた。たしかに政府は社会サービスの提供についてなんらかの役割を担うべきだとは思う。けれども、政府が100%責任を持つべきではないと思うし、個人的には絶対そんなことをさせてはいけないと考える。今こそ、市民一人一人が本来自分たちに備わっているパワーを取り戻すことが大切だ。そして自分の生活について自己責任をもつことが必要である。企業もその中で役割を担うだろう。政府と市民と企業の3者が協力するならきっと変化が生まれると思う。

ある論者はこのような北米の行政改革の方針について以下のように述べている。

政府の仕事は船の舵を取ることで、漕ぐことではない。サービスを提供するのは漕ぐことだが、あいにく行政は漕ぐことはあまり得意ではない。( D.オズボーン・T.ゲーブラー(1995/1992)『行政革命』日本能率協会マネジメントセンター刊)

4)市民社会における企業の役割とは?

 北米の大企業は従来から地域貢献部などの活動部門を通じて企業フィランソロピー活動を充実させてきた。シェブロン社も従来から主として環境保全と人的資源開発を主要なテーマとして企業フィランソロピー活動を展開してきた。同社が現在一番力を注いでいるのが企業ボランティア活動の推進である。企業が教育や環境、福祉や芸術などの分野に資金的支援をするフィランソロピー活動は北米では長い歴史を持つ。すでに多くの企業がこのような活動に取り組むようになってきた。そのような環境で、他社との違いをより際だたせるために、社員が自ら汗をかいて労働時間を地域の非営利組織やボランティア団体に提供する企業ボランティア活動に目下一番関心があるのだという。もしシェブロン社がより意味のある地域貢献活動を進めて行こうとしたら、またそのように地域住民から認められるようにするためには、他の企業との差異性を際だたせるべきだと考えたからである。その答えが社員ボランティアの奨励であった。

単に資金を出すだけのチャリティーやフィランソロピーだけではなく、社員自らが地域のために汗を流す企業ボランティア活動の重視へと企業姿勢の戦略的転換が考えられていたのである。そこには、ボランティアリズムを企業における一種の社会的投資活動と考える立場が鮮明になされていた。

 今後行政革命がさらに進行するなかで、NPOやNGOの活動の支援者として企業はさらにその比重が増してくるのかどうかをラムゼイ氏にたずねてみた。同氏の答えは明快であった。企業は応分の支援はするが、すべて企業が資金を提供できるわけではない。行政が果たさなければならない役割が存在する。企業・政府・市民の3者のうちどのセクターも単独で(行政改革の)問題を解決することは出来ない。一人一人の市民はまず議員に対して政府がどんな事業に税金を実際に支出しているのか説明をし責任をとらせるようにすることが必要である。政府では出費が収入を上回る状態が長く続いてきた。その点について財政的な責任を求めることが第一に必要である。企業だけに、政府の財政カットによって生じた穴を埋めることを期待するのは正しいことだとは思えない。

政府の仕事は船を漕ぐことではなくなるにせよ、いぜんとして船の舵を取ることは求められるのである。この点についてカルガリー市福祉局のジュディー・ベーダー氏は、政府が社会サービスについて財政的責任を負うということを法律で明記するか、政策として合意を得るか、何らかの保証が必要であると強調した。この場合、政府というのは極めて大きな財団のようなものになるのだ、というのがベーダー氏の説明であった。

5)行政、私企業、そしてボランタリー・セクター

 カナダのボランタリーセクターの活動について聞き取りをするなかで「ボランティアリズム」という言葉をよく耳にした。この言葉は、一つには社会サービスの提供の際にボランティアを積極的に活用するという意味である。と同時にもう一つには、公共のサービスを行政にたよらず市民自らで紡ぎだし運営するという非政府・民間主導主義の意味も含まれている。民間主導による公共サービスの提供という考え方の源流は、19世紀の英国にさかのぼる。この頃、教会や学校は国家の手ではなく、民間の手で運営されるべきだと強く主張されるようになった。このような考え方はボランタリズムと呼ばれ、政府主導という意味のスタチュトリズムと強く対比されてとらえられたのである。

 現在カナダで進行中の行政革命は、社会サービスをまったく民間側に放りだす19世紀流の自由放任政策でもなく、かといって行政主導の手厚い福祉国家政策でもない。政府は必要な社会サービスを見定めて財源を確保することに責任を持つ。つまり船の舵を取る責任を放棄することはできないのである。しかし、実際のサービスの提供、つまり船を漕ぐことは、行政でもなく、かといって営利企業でもない、NPOやNGOなどのボランタリー・セクターを重視することであった。民営主導で公共サービスを提供することによって競争原理が働き、結果として質の高いサービスが効率よく運営されると考えられるからである。

 ボランティアリズムは私の側からの公共性の紡ぎだしである。しかしそれは、政府や営利企業といった他のセクターからかけ離れた地平での徒手空拳の活動ではない。むしろ政府は財源を確保することで、営利企業は企業フィランソロピーや地域貢献活動を通じて、そして一般市民は寄付行為によって、ボランタリーセクターの活動を資金面で積極的に支援していたのである。

 カナダのボランティアリズム。それは公共サービスを政府の独占から解放することで競争を促し、民間が得意とする起業家精神と市場原理によって行政機構そのものを変革しようという行政革命の核心ともつながる思想なのであった。