立木茂雄「アドホック・ネットワーク組織による危機マネジメント:関西学院における阪神・淡路大震災時の広報を資料として」第3回日本広報学会発表要旨(関西学院大学) 1997年11月29日
1) 危機マネジメントの組織論
危機とは、通常の問題解決の方策が突然に当てはまらなくなる事態である。危機的事態は「好ましくないもの」、「困ったもの」と受けとめられがちである。しかしながらライフサイクル論によれば、危機とはある発達段階から次の発達段階への移行の時期に生ずる現象で、うまく危機に対処することを通じて人はより高度な人格的統合に近づいていく(Erikson,1973/1968)。人間にとって危機は変化し成長するための千載一遇のチャンスでもある。
人と人とのつながりから成り立つ組織にも、危機的事態のマネジメントに対してふた通りの考え方が成り立つ。一つは、危機を「好ましくないもの」、「困ったもの」ととらえて、その解消を組織的に実行する立場である。これを危機管理の立場と呼ぼう。一方、危機とは変化し成長するためのチャンスととらえ、これを積極的に組織運営に取り込む考え方がある。これを危機対応の立場と呼ぶ。
変化や危機に対する組織のマネジメントが「危機管理型」になるか、「危機対応型」になるかは、組織そのものの構造(Parsons, 1951)によってある程度規定される。なぜなら特定の組織構造は、それに見合った最適の対処課題(Litwak, 1985)を持つからである。そのために組織は変化や危機に直面した場合に、「その状況がどのような対応を求めているか」ではなく、むしろ「自分たちの組織はどのような対応がより得意か」といった判断で対処の方策を考えがちになる。
表1は、組織構造とそれに見合った最適課題や変化マネジメントの原理の対応関係をまとめたものである。この表に基づけば、ピラミッド型の組織構造は、ネットワーク型の組織と比べると、予測不能で対応の選択肢が多岐にわたる事態ではうまく機能しない。このような事態で、ピラミッド型組織がとりうる対応は、二つある。一つは、変化に対して絶えず後手後手にまわりながら現実との対応に失敗しマヒ状態に陥る、というものである。もう一つは、危機時に限定してピラミッド内にアド・ホックなプロジェクト・チームを組織化し、意志決定の権限をこのチームに一時的に委譲することを通じて、ネットワーク型組織の特徴を組織内に取り込むというものである。
本研究では、阪神・淡路大震災における学校法人関西学院の危機対応について、大学のアドミニストレーションおよび救援ボランティア活動のマネジメントという二つの事例について、組織広報と現場におけるアクション・リサーチをもとに、危機対応の諸側面を分析する。
表1: ピラミッド型組織とネットワーク型組織の特徴、最適課題、変化マネジメント原理(cf., Parsons, 1951; Litwak, 1985; Stacey, 1992; Romme, 1992)
ピラミッド型組織 |
ネットワーク型組織 |
構造的特徴 |
構造的特徴 |
感情中立性 機能限定性 サービス普遍性 機能・資格による所属 集合志向 |
感情性 機能非限定性 サービス特殊性 出自・場による帰属 自己志向 |
最適課題 |
最適課題 |
ルーチン業務 分業 対応の選択肢が限定 前例主義 専門知活用 |
非ルーチン業務 分業不能 対応多岐 予測不能 日常知活用 |
変化マネジメント原理 |
変化マネジメント原理 |
危機管理 ノイマン型”If-then” プログラム遂行「世界はリニア系」 負のフィードバック |
危機対応 自己組織性 「世界は複雑系」 カオス制御・反制御 |
2)関西学院の危機マネジメント
震災当日からの10日間という最も危機的な事態で顕著な動きをみせたのは、武田建関西学院理事長・山口恭平常務理事をトップとした「全学連絡会」という名のプロジェクト・チームである。震災当日の午前10時20分には、大学に出てくることのできた教職員だけで最初の会合が自然発生的に開かれた。これが全学連絡会であり、震災当日からの3日間は午前・午後の2回、計6回開かれた。震災4日目の1月20日からは1日1回の間隔で、間に日曜をはさんで1月23日までの間に更に3回開かれている。全学連絡会は情報の共有、学生、教職員や建物に関わる必要案件などを迅速に処理した。1月24日(震災から1週間目)からは全学連絡会の議論を踏まえて、学院各組織の代表者からなる災害対策本部の第1回会議が持たれ、意志決定の権限は災害対策本部に引き継がれた。しかしながら、災害対策本部そのものの構成や機能などの根幹は、第1回から9回までの「全学連絡会」というアド・ホックなプロジェクト・チームが計画したものであった。
最も動きがはげしかった震災直後3日間の午前・午後のすべての全学連絡会に、大学執行部側から出席していたのは副学長(教務部長を兼務)の鳥越浩之だけだった。全学連絡会での動きを受けて、1月17日震災当日の午前中の時点で、鳥越は1月21日までの暫定全学急行措置をとった。1月19日に始めて開かれた「大学連絡会」の席上で、秋学期の授業終了および定期試験を予定通り実施する旨の決定を行った。さらに、入学試験を当初の予定通り2月第1週に実施することも併せて決定した。これらの迅速な意志決定は、鳥越や浅野考平入試部副部長のリーダーシップのもとに決定された。学院の動きに呼応して、大学執行部側には鳥越をトップとしたアド・ホックなプロジェクト・チームが自己組織化され、教務・学生・入試などに関する実質的な意志決定がすべてこのプロジェクト・チームに委譲されたのである。鳥越らの「超法規的な措置」は1月27日に開かれた臨時大学評議会で、すべて事後的に承認されている。
震災対応時のプロジェクト・チームが、役職上の責任者によって構成された通常のピラミッド型の組織ではなかったことを物語るものとして、大学側の震災広報を例にあげよう。1月20日づけの朝刊各紙には、「関西学院大学志願者の皆さんへ」と題する第1回目の震災広報が関西学院大学入試課の名前で出された。これは入試手続きや日程などに関する純粋に事務的な広報であり、大学入試部サイドが独走で進めた形に近かった。当日1月20日の全学連絡会(第7回)の場で、経済学部(当時)の久保田哲夫は、関西学院として発した第1回目の震災広報で被災者への見舞いのことばが触れられていなかったことについて、激しく弾劾した。その勢いで久保田は、震災広報の第2報にはかならず見舞いの言葉をいれること、大学の学生会館を一般被災市民にも解放することなどを提案し、了承されている。
第7回・第8回全学連絡会における久保田の資格は、単に「大学に出てくることの出来た教員」という「場による所属」以上のものではなかった。一方、入試部の広報は、入試部副部長が役職上行った決定に基づくものであった。震災時の危機的状況では、大学入試部に代表される感情中立的で、分業、専門知志向のルーチン業務的決定は、感情的で、機能非限定的、日常知(常識)志向である久保田の非ルーチン業務の論理の前にあえなく敗退したのだった。このような決定が可能であった全学連絡会は、あきらかにネットワーク型組織の論理に基づいて運営されていたのである。
3)関西学院救援ボランティア委員会の活動
震災時の危機状況に対してより積極的な対応を行ったのが関西学院救援ボランティア委員会である。震災後の5日目にあたる1月21日より正式に活動を始め、4月中旬までの3ヶ月間の間、ピーク時には大学近辺の14の避難所を24時間体制でサポートした。1月24日づけの第3回震災広報では、前述の久保田の尽力により、救援ボランティアの募集を広報文書の最後に付け加えることができた。その結果、救援志願者の数は飛躍的に増加した。約3ヶ月間の救援活動期間中、延べ7,500名以上のボランティアが救援活動に従事した。
救援ボランティア委員会は、数名の教員が呼びかけ人となったが、その業務や人員のマネジメントの実質はボランティアの学生自身が行った。新しいアイデアが浮かべば、発案者自身がリーダーとなって「この指止まれ」式に活動を組織化した。このように、学生ボランティア一人一人が自分自身の日常知を武器にして主体的に行動し、またそのような学生同士の連帯が可能となるネットワーク型の組織構造が自然と生まれていったのである。まさにこのようなネットワーク型の組織であった故に、状況の予測が難しく、また対応の選択肢の幅が広く、分業化の機が熟しておらず、従って一人一人のメンバーが自らの日常知を最大限に活用することが求められた震災後の混乱状況で、極めて見事に救援活動を継続することができたのである。