市民が紡ぎだす公共性−被災地復興と市民力−『産政研フォーラム』Winter, 2001 No.49


公共性は市民が紡ぎだした

6年前、神戸・阪神間を襲った地震は、電気や水道やガス、交通といった都市の快適な暮らしを支える基盤を一瞬にして破壊した。また区役所や市役所といった身近な行政自体も被災者となったため、これまで当たり前に利用してきた公共サービスのほとんどがマヒ状態に陥った。この混乱期に、公共的な領域の活動の多くが一般の市民同士の助け合いや、外部からのボランティアの手でになわれた。ボランティアの数は1月から3月末までの間で130万人にも登ると推定され、「ボランティア元年」と呼ばれるブームが到来した。そのうねりは特定非営利活動推進法(通称NPO法)を作り出すきっかけとなった。

社会経済的に見るなら、この一連の現象はどのようにとらえればよいのだろう。それを解く糸口は震災が1995年、ちょうど戦後50年の節目に起こったことにある、と私は考えている。国家総動員法が発令された1938年を境に日本は戦時体制に突入し、国の機構が東京一極集中・官僚統制型のしくみへと変容した。戦後も基本的にはその体制が維持されて戦災復興、経済発展が実現された。この戦前・戦後の50年あまりにわたる歴史の流れの中で、「公共的なことは行政にまかせ、民間は私的利益の追求に専念する」という戦後民主主義の生き方が常識となった。戦後50年がたち、東西ベルリンの壁が崩壊とともに冷戦が終結し、制度疲労がはじまっていたこの常識を、震災は激しく揺すったのである。




ボランティアもNPO活動も、「市民が公共性を紡ぎだす」活動である。市民や民間の団体も公共性を担って良いし、むしろ市民のつとめとして積極的に関わるべきだ。震災を経験した神戸・阪神間では、これが都市の新しい常識になろうとしている。図1は、世の中の見方がどのように変化したかを図式化したものである。世の中を、お正月の鏡もちにたとえるなら、それを真横一文字に切り取り、上半分を「公」、下半分を「私」とするのが震災までの世の中のとらえ方であった。「公共性=行政、私的利益の追求=民間」がその本質である。このような世界観では、公共性とは「他人ごと」の世界であり、「公」という「他人にまかせて」おけばよいものであった。しかし震災は、「公」でもなく、さりとて「私」でもない領域、すなわち「共」の領域が確実に存在することを私たちに教えた。「共」とは、市民が公共性を紡ぎ出す場であり、そこでは公共性が市民一人ひとりにとって「我がこと」と感じられる。震災後の混乱期には、公共性が公私を含めた多元的な主体によってになわれた。震災直後に出現したこの新しい現実は、私たちの世の中の見方を永続的に変えるだけの力を持っていたのだと思う。

公共性を「わがこと」と思う

神戸・阪神間の市民に見られる公共性を「わがこと」と思う意識は、一学徒の単なる繰り言ではない。神戸と他都市の意識調査の比較からも、数字の上で明らかに差が存在する。図2は1999年9月に行った神戸市民1万人アンケート結果と、同じ項目を使って1999年12月に時事通信社が実施した全国世論調査の結果を比較したものである。私的な欲求をある程度押さえても、他人との結びつきや他人のことに関心を向けることが大切である、という気持ちが、神戸・阪神間の市民では他都市と比べて1割から2割も高いことが明らかになった。

震災直後の数週間、暮らしのために必要な物資や情報の調達は、一人一人の被災者の手に任された。その中で、神戸・阪神間の市民が確実に学んだことが二つある。一つは、自分が動かなければ誰も助けてくれない、という事実である。と同時に、限られた資源を皆で分かちあうためには「足るを知る」ことも大切だ。自分一人で生きているのではないし、自分一人で生きて行けるわけでもない。「自分だけは特別」という気持ちは許されない。さらに皆が困っていることは、他人ごとにせずに、皆で話し合い、協力して解決していこうという姿勢も市民は学んだ。「自分」発で行動を起こす。しかも私的欲求は手なずける。さらに、他人と協力して地域の問題を自分たちの手で解決していこうと考える。「公共性を我がこと」と思う意識が、自律(自らを律しながらも自己主張ができる)や連帯(困ったことは他人まかせにせず自分たちで解決する)を育んだ。都市に住まう市民に新たなこころざしが生まれたのだと思う。

 

政府の失敗・市場の失敗を乗り越える

多くの市民が公共性をわがことと思えるようになるなら、自律・連帯の行動が生まれ、結果として安全で安心、しかも安息できる地域のくらしが実現される。いや、むしろこのように言いかえた方がよい。多くの市民が公共性をわがことと思えないかぎり、安全も安心も、まして安息なくらしも不可能である、と。

 21世紀の日本の社会は二つの失敗に直面している。これからのより良いくらしは、大きな政府を通じても(政府の失敗)、市場での競争を通じても(市場の失敗)維持できない、という現実である。

「ゆりかごから墓場まで」という福祉国家政策は、政府による公共事務の独占をまねいた。その結果、行政機構は肥大化し、社会サービス分野に低労働生産性が定着した。超高齢化社会の到来とともに、このような方策は財政を破綻させることが明らかになった。

企業活動を活発化することによって豊かさを維持しようとする自由競争至上主義は、結果的にデジタル・ディバイドなどのように、「持てる者」と「持たざる者」との格差・差別を増大させる。夢のように語られやすいIT(情報通信技術)革命であるが、それは結果として市場の地球規模化を通じて従来の雇用慣行を破壊する可能性も持っている。雇用を守るための手段としてワークシェアリングなどが当たり前に導入されるようになると、多くの働き手にとって、職場は社会的な地位や所属感、自らの誇りの源泉としての地位を弱めていくだろう。

 公共性をわがことと考えるボランティアやNPOがセクター(世の中の一つの象限)として力をつけることは、これら二つの失敗に対する最も有力な解決策となる。このセクター(NPO団体の当事者たちは「ボランタリー・セクター」と呼び始めている)を強めれば、政府に対しては、社会サービスの実行者・管理者としての機能を止めさせ、契約を通じてNPO・NGOあるいは営利企業(FPO, For-Profit Organization)に事業をアウトソース(外注)させることが可能となる。人的資源として多数のボランティアが参画するNPOやNGOから、他との差違性を売りにする営利企業までの幅広いサービス実施主体の間に競争が生まれ、社会サービスの生産・流通にも消費者と商品との最適化をはかるマーケティング・マインドが働くようになるだろう。

政府には市民との協働を通じた政策形成の実務や財源の確保者としての責任を明確にする。公共性をわがことと考える市民が作り上げる社会を市民社会と呼ぶが、市民社会にあって政府は「大きな財団」のようなものになるのだ。

一方、市場に対してボランタリー・セクターは、職場に代わって人々が社会的地位や意義を見いだす場を提供する。30代・40代といった働き盛りの層でも、報酬を得るための「かせぎ」は市場で、人としての尊厳や誇り、有用感を得るため「しごと」は市民社会に求める人たちが増えてくるだろう。

強力なボランタリー・セクターの実現をぬきにしては、これからの持続可能な成長は見込めない。これが21世紀の日本の現実であり、課題なのである。

市民力を興す

 市民が世の中のできごとやしくみに関わる行為を運動や活動と呼ぶなら、その中味は時代とともに変化してきた。60年代の市民運動は反戦や反公害などに代表されるように「反対」がキーワードであった。70年代にはコミュニティ運動が行政主導のもと各地で進められたが、その本質は「陳情」である。市民活動は80年代から芽生えたが、その根幹は「参画と代案提示」である。これに対して、21世紀の市民社会のキーワードは「行政・企業との協働」から、さらには市民自らによる地域の統治(セルフ・ガバナンス、市民自治)が目指されるだろう。その時に必要とされるものこそ、自律・連帯のこころざしであり、それを可能とする「共」の感覚である。

 市民社会におけるこころざしについて、すでに18世紀の社会思想家J.J.ルソーは以下のように語っている。

 

身を労するかわりに、金を出してみるがよい。やがて諸君の手には鉄鎖が返ってくるであろう。あの«財政(ファイナンス, finance)»という語は、もと奴隷の言葉であって、都市国家においては知られていなかった。本当に自由な国では、市民たちは万事自分の手で行い、何一つ金ずくではすまさない。彼らは自分の義務を免れるために金を払うどころか、金を払ってもいいから自分の義務は自分で果たしたいと思うだろう(『社会契約論』(中公文庫), 1762, 124-125)

 

震災から6年が過ぎた神戸・阪神間を見渡すと、建物や道路、住宅といった暮らしのための器は、順調な復興を果たしたのがわかる。けれども、終のすまいでの暮らしが本当に安心できるものにするためには、隣近所で声をかけ合い、見守り、互いに支え合うしくみを作り上げていくことが必要である。そのようなしくみづくりは、行政や専門家だけにゆだねることは不可能であり、市民自身が地域の一員として参画し、行政や専門家と協働しながらしくみをつくり運営していくことが不可欠である。自分というものをしっかりと持ちながら、同時に他者と協力して地域の問題を自分たちの手で解決していこうという自律・連帯のこころざしこそ、安心で安息できる地域での暮らしを実現するための大きな資産となるのだ。このこころざしを、震災から被災者支援の活動を続けてきた支援者たちは「市民力」と呼ぶようになった。

 自律・連帯のこころざしが、地域の統治を他人まかせから、市民自らの手に取り戻させる力となるのである。それは、社会的存在であるヒトを、一人の大人として自立させ、一人の市民としての責任を全うするために地域共同体の運営に参画させる原動力、まさに市民力となるのだ。

 

中間支援が必要だ

 市民活動や市民事業とも呼ばれるNPO団体の活動であるが、その現状は極めて脆弱である。政府の失敗・市場の失敗を受けて、今後の持続可能な社会を築くためには、共の領域を強めていくことの重要性は、官・民ともに認識している。では、どのような支援が望ましいのだろう。これまで6年間の被災地での実験から、NPO活動を活性化させるための決め手は中間支援(インターメディアリー)組織の充実にあることがわかってきた。

 行政や企業といった既存の安定した運営基盤を持つ組織と比べると、NPOはManpower(ヒト), Money(カネ・モノ), Management(経営ノウハウ)の3Mのどれをとっても格段に見劣りがする。このような新興弱小組織が、既存巨大組織と関係を築く場合に、経営資源を求めてあまりにも近づきすぎると、取り込みや下請け化、あるいはそれに対する反発や確執が生じる。結果的に公共性を多元的な価値に基づいて実現することがかなわなくなる。かといって、組織の自律性を保つために没交渉を貫けば、必要な資源が得られず、NPO活動の拡大は見込めない。

 NPO団体が、行政や企業、そして一般市民からの支援を受けつつ、同時にその設立の使命に忠実な組織運営を行えるようにするには、経営に必要な資源を「共」(パブリック)の場で調達できるようにすればよい。NPOのためのある種の市場が必要なのである。そうすれば社会的に意義のある活動を立ち上げようとする起業家の卵は現れる。さらに安定した資金提供者を獲得し、組織として一人だちできるようになるまで、オフィスを提供し、経営ノウハウの伝授などの面倒をみるインキュベーション(卵のふ化)のしくみも必要だ。いわば「共」の分野におけるベンチャー・キャピタル市場やインキュベーション事業などのしくみ作りがNPO支援の基本である。これが中間支援(インターメディアリー)である。

NPOの中間支援、それさえもNPOでできることを、被災地の実験は教えてくれる。神戸市東灘区に事務所を置く特定非営利活動法人コミュニティ・サポートセンター(CS)神戸は、NPOの中間支援を使命とするNPO団体である。この団体が現在ふ化を行っている事業の中には市民発電所とエコ・カーを用いた「くるくるコミュニティプラン」なるものまである。出力10Kw/hrの太陽光パネル(一台1,600万円)を公共建物の屋上に2カ所設置し、そこで発電された電力をエコ・カーに充電し、地域の高齢者、乳幼児、妊産婦、障害者を始め多くの地元住民の足代わりとなって外出を助けようとする企画である。この事業の立ち上げは、現役時代、それよりも2桁も3桁も多い規模の事業を手がけていた大企業の元部長である。

 被災後の住宅地域では、住民主体でまちづくりを進めるまちづくり協議会が作られた。相反する住民同士の利害の調整や計画づくりで活躍したのが、住民によるまちづくりを支援する中間支援者たちである。まちづくりの中間支援活動で威力を発揮したのは、活動の参加者の知恵を共有化し、問題解決策を発見していく草の根ワークショップ(知恵の工房)の開催である。草の根ワークショップの基本的な手法は、親和図(KJ法)や連関図法といったTQMの手法であった。「会社人間」と呼ばれる人たちは、今後のまちづくり活動で大いに貢献できる貴重な知恵の持ち主でもあるのだ。

 市民活動や市民事業、NPO活動の支援とは、放っておけばつぶれそうな組織を、助成金や補助金などでつぶさないようにする、護送船団方式の支援ではなく、社会的に意義のある活動を行う組織が次々と生まれ出てくるようにするしくみ、すなわち中間支援の場を整備することにある。市民活動のための市場が整備されるなら、官・民のなかにある多くの知恵や資金や物資が、市場原理を通じて、それを必要とする当事者組織との間で効率的に交換され、年々とその規模は拡大してゆくことになるだろう。このような善意の循環が生まれる市場づくりが市民社会の実現を確実なものしてゆくのである。


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