立木茂雄「大人」であることの非線形性(1998年度日本社会学会大会・開催校企画シンポジウム『現代社会における「大人」の意味』、1998年11月23日(月)午後13:30-17:00、於 関西学院大学)


  1. 家族療法の臨床から

     システム家族療法は、心理療法の一種である。対象とするのは、不登校や家庭内暴力、拒食、非行などの児童問題が主であるが、心因性のうつやアルコール依存症、あるいは精神分裂病などの成人の問題にも適用が試みられている。治療の主眼点は、家族成員間の相互作用系にみられる症状維持的なフィードバック連鎖(問題維持連鎖)を発見し、それを断ち切ることにある。システム家族療法では、相談者の問題は、本人や家族が 解決の努力を怠っているからではなく、むしろ解決しようと努力するがゆえに、結果的に維持・強化されると考える。図1(問題維持連鎖の概念図)はこの関係を概念化したものである。問題という原因が解決策という結果をリニアに引き出すだけで終わるのではなく、解決策それ自体が、問題を維持させるという悪循環の連鎖が生まれる、と考える。

    問題

    ↑↓

    解決策

    図1:問題維持連鎖の概念図

    問題維持連鎖に陥った親子や夫婦の相互作用は、「売り言葉に、買い言葉」といった、一見して「大人げない」やりとりを延々と続ける。この「大人げない」やりとりから関係者を解き放ち、より「大人のやりとり」へと誘うことが臨床の目標となる。

  2. 問題維持連鎖とカオス反制御

     健康な心臓の鼓動には不規則なゆらぎが見られる。一方、心臓発作の起こる直前の鼓動は、メトロノームのように正確な周期であるという。これに対して、健常者の心拍波形はカオス的なゆらぎによって特徴づけられるのだという。

     同様の現象は、健常者の脳波と、てんかん患者のけいれん時の脳波のゆらぎの研究からも確認されている。健常者の脳波はより複雑なゆらぎを示すことが知られている。心電図や脳波のゆらぎに関する研究は、健康な生活体にとっては、カオス的なゆらぎこそが健康の指標であるという視点を与える(合原、1995)。

     対人相互作用についてはどうか。もし私の言うことに、あなたが100%応じてくれるならば対話の必要はない。けれども、私の言うことに、あなたが注文をつけ、その注文に応じて私が言うことを改め、またそれにあなたが注文をつけ、といったプロセスを繰り返してゆくうちに、当初は予想もつかなかった方向に会話は展開してゆく。

     大人げないやりとりとはどのようなものか。それはつまるところ、「相手に対する反発」といったその場面で予想される反応(preferred responses)に固執することで、構造的により単純な会話の秩序に依拠する相互作用のことである。従って意外な展開(dispreferred responses)もなく、会話はかなりの程度予測可能となる。臨床家の仕事とは、このように規則性が高くなった相互作用系に、ある種のゆらぎの種をまくことだと考えてよい。

     図2・3は、結婚カウンセリングを受けた夫婦の、治療初期と後期の談話を、談話計量の手法で数値化し(Tatsuki, 1994)、結果として得られた談話の時系列データを相空間図にまとめて比較したものである(立木、1995)。これを見ると、明らかに後期の談話では、前期にくらべて相互作用系のカオス的ふるまいが高まっていることが見て取れる。

    図2:結婚カウンセリング初期の相空間図   図3:結婚カウンセリング後期の相空間図

     表1は、このデータのカオス性について、相関次元と最大リアプノフ指数をもとに推定したものである(立木、1995)。最大リアプノフ指数について見れば、治療後期は顕著に増加していることが分かる。

       表1:夫婦の相互作用データに見られるカオス性の解析の結果

    相関次元

    最大リアプノフ指数

    治療初期

    治療後期

    治療初期

    治療後期

    約4〜5次元

    約4次元

    .295

    .544

     

  3. 大人のやりとりへと導くもの

 カオス的なゆらぎには、安定した方向へ向かう性質と不安定な方向へ向かう性質の二種が同居している。したがって、カオス的なゆらぎの周期軌道は、馬の背にのせるサドル型の形状となる。相互作用が安定的な周期点を通過する、まさにその瞬間に、サドルの背からつきおとすことで、一瞬のうちにゆらぎの不安定性を発生させる。これが、カオス反制御の考え方である。それでは、どのような具体的なはたらきかけが、相互作用のゆらぎを引き出すのだろう。

 岩のまわりを流れる川の水は、流れがおだやかであるなら、明快に記述し、予測することができる。しかし流量が増すと、うずが巻き始める。こうなると、水のふるまいは予測不能なカオス状態となる。これは、システムのパラメター量を一気に高めることでカオス性を引き起こす方法を示唆する。例えば、通常は最終局面で回避されるはずの問題維持連鎖の回避策を禁じることで、システム内の緊張を意図的に高める方法がある。大人のやりとりへと導く一つの鍵は、このようにパラメター量を一気に高めるような力の操作にある。

 カオス性を高めるもう一つの方法は、当該の力学系のパラメターの数をふやす方法である。現実をメタポジションから再構成することによって、現象をより次元数の高い空間に射像させる。出口のない堂々巡りと思われていた現象に、新たなパラメターを付加し、このパラメターのささいな変化から、カオス的な状態を誘発するのである。大人のやりとりへと導くもう一つの鍵は、このようにパラメターの数を増やすといった認知枠や次元の拡大の方法である。

 パラメターの量を高める力の操作。パラメターの数をふやす認知枠拡大の操作。この二つが少なくとも大人のやりとりへと導く鍵であると考える。

 参考文献

合原一幸(1995).「生命・カオス・工学」『数理科学』(特集−生命とカオス−)381号、5-10.

Tatsuki, S. (1994). Discourse Scaling Analysis of Clinical Interaction: A Dual Scaling Approach. (Unpublished Doctoral Dissertation) The Faculty of Social Work, University of Toronto.

立木茂雄(1995).「問題維持連鎖とシステム家族療法」『数理科学』(特集−生命とカオス−)381号、60-66.